土佐料理 祢保希

渋谷 土佐料理 祢保希


監査役時代の異業種交流会のメンバーのお1人とその後輩の人と三人で飲んだ。この方は、年齢推測70歳。まだ現役で2,3の役職をこなしているようだ。若い。

この方推薦の祢保希(ねぼけ)は、土佐料理の美味しい店だ。現役時代しなかった話がつい出てしまうような、成り行きとなった。で、焼酎をいささか飲みすぎた。

ねぼけ

鰹たたき
土佐揚げ、銀杏

鰹のたたきと土佐揚げは本日一番の味(写真は各一人前)
ねぼけ料理1

蛸と小芋
蛸と小芋

土佐の米焼酎
焼酎

鰹のさえづり
鰹のさえづり

鰹団子
鰹団子

お茶漬け
お茶漬け

出雲月山

○島根の酒、月山 (出雲月山
   吉田酒造 島根県能義郡広瀬町

☆山形の酒、月山 (銀嶺月山
   月山酒造 山形県寒河江市  東京では山形の月山しか入手しにくい。


■ 岡山への赴任は、NHK大河ドラマ「毛利元就」が放映されている時期。
その時興味をもったので、尼子一族の居城、月山富田城散策した。

『城郭は内郭、外郭から構成され、塩谷口、お子守口、菅谷口の三つの入口がある。周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことの出来ない立地条件を具備しており、中国地方における中世城郭の代表的な城跡として重要視されている。』(「富田城」より)

全国の名城、5~60箇所見たが、この城はなかなかいい縄張りである。
毛利の策略・尼子の内部崩壊もあって四年四ヶ月の攻防の後、落ちたが、人的要因を無視すると、もっと持ったものと思われた。

この城下にあった酒屋、吉田酒造は当日生憎の休み。酒蔵の脇にあった名水を飲んだのを覚えている。この水は、県の名水百選に選ばれ、月山の仕込み水として使われている。


■ 『酒蔵の創業は文政9年(1826年)、広瀬藩の藩公特許による酒造館として始まりました。「月山」の酒名は、この城山にちなんで銘名されました。』(「月山(島根/広瀬町)より)


酒は、思い出の出雲月山
酒器は、女房の禁を犯して新作した絵志野・徳利。重さ400gで、酒は440ml入る。徳利造りは、3年ぶりくらいだと思う。女房の機嫌はすこぶる悪い。ぐい呑みは、鼠志野。

月山

今もてはやされている酒に比べると、やはり昭和60年頃の、昔ながらの酒、という感がする。

島根の思い出

日本橋三越からの帰りは、ほとんど地下のJR快速かメトロ銀座線を使う。
この日は、昼食をとるため地上に出た。
なんだか変わっている。目の前に島根館があった。2年ほど前に出来たそうだ。

日本橋の島根館

○島根の思い出

岡山赴任中は、山陰地方のあちこちを回った。
鉄の御三家、古代青銅器の発掘地、窯場巡り・・・。しかし、霊感の強い角川春樹が毛利・尼子の戦いで生じた無数の亡霊に恐れて逃げ帰ったという石見には、怖がりの私も近づかなかった。

今や世界遺産。石見銀山のパンフレットが目立つ。
石見銀山

島根館隣に、島根料理の“主水”。
主水

○出雲大社市で食べた‘割りこ蕎麦’を注文した。
割りこ蕎麦

☆松江の御菓子

○彩雲堂 不昧公好 若草
若草の由来:松江藩七代目藩主松平治郷の詠んだ歌

曇るぞよ 雨ふらぬうちに 摘みてむ 

    栂尾山の 春の若草


『奥出雲・仁多地方で取れる最良のもち米を使用しています。若草の求肥の弾力、歯切れの良さは、コシが強い寒冷地の米ならではのものです。』(「御菓子司 彩雲堂」より)

菓子は、若草
若草

■ 菓子器:新作 彫三島白花文鉢写 (底は羊歯文)
『ビジュアル版お茶人の友6 茶席の菓子』P51

菓子器

断面
若草断面

○桂月堂 かこい梅

『自然の恵み・紀州産の粒選りの梅の実を丸ごと蜜漬けし、柔らかな求肥で包みました。甘酸っぱい梅の風味が爽やかです。』(「和菓子 松江 桂月堂・・」より)

かこい梅


かこい梅

断面
かこい梅・断面

日本伝統工芸展

日本橋三越本店で、

54回日本伝統工芸展を見た。

日本伝統工芸展
日本橋三越本店・7F会場手前から三越本店7F

第54回日本伝統工芸展・図録図録

今年の展覧会は、例年と何か違って見えた。
審査員が変わったのか?

1)象徴的な作品のひとつは、新しい技術・道具の活用発想の斬新さ

a.小島由香子、積層硝子皿「月暈(つきがさ)」貼り合せと削りの技術。
『 六枚の厚い板ガラスを重ね合わせて接着し、削り込んで成形した作品。皿の内側はマットに、外側は磨いて仕上げている。皿は曲面に作られているため色彩の濃淡ができ、光がガラスを透して、あるいは表面のマットな面に乱反射して微妙な陰影を作りだしている。モノトーンの色調が清澄な空気をよく表現しており、幻想的な美しさを感じさせる。(白石和己)』(図録より)

b.松田典男の螺鈿飾箱「落流」指先で折る螺鈿片の作成技法。
『 涼感あふれる作。流れ落ちる水流は、指先で折った薄い白蝶貝と線状に切った厚い黒蝶貝の螺鈿で、煙るような瀑布を象徴している。深い被せの蓋をあけると、内部には三段の身が重なる。各段見込みに黄蝶貝を敷詰めて、滝壺を思わせる。色味や輝きの強い貝は用いず、漆黒の地に淡く輝く螺鈿の効果が内外にあふれている。(小池富雄)』(図録より)

2)地味だがすぐれた作品の受賞が目立つこと。

a.神代杉造食籠加飾のない素材美の追求。
『作者は長年、精緻な木象嵌(もくぞうがん)の技法を探求してきたが、今回はその加飾を一切せず、地の神代杉(じんだいすぎ)の柔らかく優しい素材美を表現した。器形は緩やかな曲線の十弁の輪華で、蓋表は黒や茶の縞模様、側面は木目が細かくそろった材で対比。蓋の稜線や身との合せ目、高台(こうだい)は神代桂(じんだいかつら)で引きしめつつ調和する。高貴な気品に満ち、作者の円熟した心境を示す。(柳橋 眞)』(図録より)

b.釉象嵌波紋鉢青磁艶消釉削り落とし&青磁光沢釉象嵌
『青い水面に現れた波に着想を得て、これを巧みに表現した作品である。揺らめく波模様が清廉な印象を与える。波の模様は青磁の艶消釉を削り落とし、線に沿ってさらに青磁光沢釉を埋め込む象嵌の手法を用いている。成形での注目は底の高台。大胆に高台を削ぐことで焼成時に器形の変化を生み、柔らかな鉢のフォルムが生れている。(中ノ堂一信)』(図録より)

c.江戸小紋着尺「二ッ割よろけ毛万」:50年前の型紙使用。
『今から四、五十年ほど前に彫られた型紙を使用。二ツ割毛万がさらによろけまで呈し、これまで横に展開する文様を中心にしてきた作者にとっては大きな挑戦であり、伝統という事柄を強く意識して臨んだという。その思いの深さが筋の細さや間隔にまで行き渡り、“きちんとよろける”という一見矛盾したこの文様の論理を布のおもてにみごとに表した。(今井陽子)』(図録より)


○積層硝子皿/図録
積層硝子皿

☆ 特に、積層硝子皿だけを見に来た高齢の夫婦がいたが、NHK教育テレビ「新日曜美術館」の影響は大きい。

小島由香子は、初出品で高松宮記念賞というビッグ賞を受賞。この作品を土星の輪のようと表現した人がいる。思ったより小ぶりだが、角度により色々の光が見える。昭和54年生まれ、若い。技法はコロンブスの卵。知ってしまえばどうということのない技法。しかし、従来、ガラス工芸家にはこういう発想はなかった。ところで、外側の削りはどうするのだろう、興味がもたれる。陶芸でも腰などの削りは案外難しいから。

皿の内側はマットに、外側は磨いて。→外から光がガラスを透過し、表面のマットな面に乱反射。そして各色ガラスは斜めにカットされることにより微妙なグラデーションが・・・→薩摩切子などで見られる手法。なかなか緻密な計算がなされている、と素人である私は思う。

利兵衛のダッタンそば

JR稲毛駅西側、交番を右に曲がり、東浅間通りを行くと目的の蕎麦屋がある。

その名は利兵衛。稲毛区稲毛東浅間通り


駅から少しあるので、常連さんでもっている店である。
私は、昼に蕎麦を食べに行くことがある。ごく稀に。

『千葉市内のラーメン屋は210店位というのに比べてうどん蕎麦屋は300店位ある。立ち食いそば屋を加えたらもっと多いはずだ。ちなみに同じ大衆食のカレー屋は千葉市内ではなく千葉県内全部で60店位しかない。
これだけ数が多く競争をしている「蕎麦屋」なのだから美味い店が少ないはずはないという推測のもとに食べ歩いてみたら、出てくる出てくる。蕎麦屋を侮ってはいけないのだ。』(「蕎麦屋」より)


陶芸教室のセレブな女性達が元気に作陶していた頃は、その亭主達の夜の溜まり場であったようだ。蕎麦屋は酒と肴がうまいというのが定説だから。

陶芸教室の先生の織部の酒器や大皿などが無造作に棚に置かれているのも特徴的だ。

本題に戻ると、ここの蕎麦はどれも美味しいが、特に、ダッタンそばがお薦めだ。

蕎麦屋・利兵衛

ダッタンそば
ダッタンそば

忍ぶ川ゆかりの店

思い川 (寿司屋)   豊島区駒込1-42-2


『芥川賞作家三浦哲郎の名作に「忍ぶ川」がある。熊井啓が映画化して話題になった。その「忍ぶ川」のモデルとなったのがこの店である。店の前にはそれを知らせる大きな看板も出ている。
映画では加藤剛が主演し、料亭「忍ぶ川」の看板娘・志乃を演じた栗原小巻の可憐さが話題になった。鮨屋なのだが、お弁当も出すし、酒のつまみになるような料理も多い。気楽に一杯飲むにはよい店である。』(「和食|グルメ街道」より)


過日、企業訪問したら、部長の話好きで、昼時間を越えた。
ここは六義園の近く、駒込の駅に向かうところで、ある店の前に来た。見覚えがある。そうだ花見の時に食いそびれた店だ。昼食をとることにした。

今回、店の写真を撮りそこなったので、花見の時の写真を貼り付ける。
思い川

ここで「忍ぶ川」ゆかりと称する弁当を注文した。

思い川弁当
弁当

ボリームも適度で、かつ、美味しい。よく客の入っている店だ。地元の人と思しきおばあちゃんも、近所の会社の若いサラリーマンも色々な客で一杯だ。
生憎、小説を読んでいないので、忍ぶ川のイメージはわかないが、夕べに一杯呑みに来たい雰囲気がある。ただし、現代の志乃さんがいるのかいないのか分からないが・・・

天下鯛へい

日本橋屋 長兵衛 中央区日本橋室町1-6-2


『日本橋屋長兵衛の和菓子は「江戸歳時菓(さいじか)」「江戸銘菓撰(めいかせん)」「朝生菓子(あさなまかし)」の3つのコンセプトで作られているそうです。』(「新ブランド「日本橋屋長兵衛」本店オープン」より)

『・・日本橋屋長兵衛は、江戸時代に完成されたその技術、技法を基に、和菓子を通じて、江戸の豊かな伝統文化、歴史、歳時記を発信し、未来への和菓子の心を創造し続けます。』(「商品のご案内」より)


○ 天下鯛へい

『・・鯛の人気は絶大で、俳文集『鶉衣』では「人は武士、柱は檜、魚は鯛」として魚のなかで最上のものとされ、また鯛だけの料理法を百二種も集めた『鯛百珍料理秘密箱』という本も出されました。・・・
日本橋屋長兵衛では、天下泰平の世を想い、鯛の姿をそのまま和菓子に仕上げました。きざみ栗を散りばめた餡ときめ細かなこし餡をしっとりとした生地で包み上げました。その程よい甘さに口どけの良さをお楽しみください。』(「天下鯛へい 栞」より)


天下鯛へい
まるで、生の鯛か鯛かまぼこでも入れたような雰囲気の包。
天下鯛へい・包

菓子:天下鯛へい
菓子器:飴釉皿
天下鯛へい

天下鯛へい

『小さな鯛焼きの形をした和菓子です。・・・皮は、しっとりミルク味、餡は白餡と小豆のブレンド。』(「関心空間」ぽぽゆり より)
天下鯛へい・断面


■ 鯛焼き等鯛型をしたお菓子の過去ブログ

☆『桃林堂の小鯛焼 2007/1/4』
    ・桃林堂の小鯛焼
    ・柳家の鯛焼
☆『谷中のたべもの 2007/3/24』
    ・根津たいやき
☆『プティ・カスタ 2007/9/22』
    ・プランタン銀座 デパ地下のプチ・カステラ屋

岩魚の骨酒

岩魚の骨酒


大内宿の山形屋で買った土産、岩魚の燻製で骨酒を作った。
上手く燻してある。

山形屋土産

冷蔵庫に保管しておいた、骨酒用岩魚の燻製1匹を半分に切断。

岩魚の燻製

山形屋のおばさんの言うとおりにやってみた。1匹で4合の日本酒が適量とのこと。半分に切り、両面をグリルで焼いて、200ccの熱燗に投入した。200ccとは、私の一日の許容量。
少し色がつき、香りがするまで待った。
秋口の熱燗も中々いける。旨い。期待以上の美味さだった。
ここでも、シンプル イズ ベスト。

岩魚の骨酒

酒器は、最近作った片口。すり鉢のイメージで、櫛描きした。
菓子器のシリーズで作ったものだが、本来の片口の用途のひとつである酒器としても似合う。

片口

プティ・カスタ、鳳梨萬頭、加茂葵、本蕨

菓子色々

■ プティ・カスタ


プランタン銀座の地下街で見つけた、一口サイズの可愛いミニたいやき!いやいや…たいやきじゃないんです。姿、形はたいやきだけど実体はカステラ生地に“あん”が入ったその名も『 プ ティ ・ カ ス タ 』』(「東京人:たいやき風な『プティ・カスタ』」より)

プティ・カスタ

形:鯛焼きと普通の球
プティ・カスタ

断面:皮はカステラ生地、中味はカスタード
プティ・カスタ

菓子その他

■ 呉銘菓 鳳梨萬頭(おんらいまんとう)・檸檬(れもん):天明堂、細雪

『珍しいパイナップルジャムを、バターや鶏卵をたっぷり使った生地で包んだ中華風菓子。甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がります。(生産者の声)』(「地域別・名産品お取寄せガイド-中国・お菓子・デザート【広島県・・・」より)

『鳳梨とは中国語のパイナップルのこと。』(「呉観光協会」より)
呉銘菓

■ 加茂葵
宝泉堂
 京都市左京区下鴨膳部町21
『大納言小豆を寒天を使った砂糖ごろもでまとめてある、非常に上品で風格を感じさせるお菓子です。』(「心身元気になる料理生活」より)

加茂葵

■ 本蕨
鶴屋吉信
 京都市上京区今出川通堀川西入

『蕨の根からとるデンプンは、日本古来の野の味覚。本ものの蕨の味をご体験ください。』(「鶴屋吉信HP」本蕨より)

栗わらび、小倉わらび、わらびと三種類ある。写真は栗わらび。
本蕨


■ 用いた菓子器から

○鉄絵鉢
菓子器1

○伝統的唐津束熨斗文皿
菓子器2

○飴釉皿
飴釉皿

○青白磁皿
青白磁皿

山苞と夢水織

ジム帰りにまた菓匠白妙を覗いてみた。
結構買い物客はいるものだ。

山苞と夢水織
やまづとと夢水織


◆ 山苞 やまづと
「山苞」とは、山からの贈り物。

やまづと

菓子器:新作 黄瀬戸?
今回は、古典的黄瀬戸鉢を習作した。前回は加藤唐九郎写し

黄瀬戸?

山苞

山苞

断面:中味は栗か
やまづと断面


◆ 夢水織 抹茶

夢水織 抹茶

夢水織は、
五十鈴川のくずきりそうめん
・黒蜜と見掛けは酷似している。
そういえば、白牛酪餅の外観も、梅花亭や五十鈴の麩まんじゅうとそっくりである。
和菓子業界では、モデルとなる原型があって、誰でも模写していいものなのだろうか。
安南茶碗

塔のへつり

■ 塔のへつり


無人の会津鉄道・塔のへつり駅には、自動販売機は有ったが、コインロッカーはなかった。
駅から遊歩道入口へ300mちょっとというが、薮蚊を追い払いながらの道中は、旅行鞄と会津若松&大内宿土産を持つ手もしびれてくる。

『奇岩、怪岩が塔のように 塀立する塔のへつりは、 大川(阿賀川)ラインの中でも 最大の見どころ。百万年もの長い年月をかけて、 侵食と風化を繰り返し このように見事な景観を 創り上げました。へつりとは、この地方の方言で 川に沿った断崖や急斜面の意味。』(「NAF 下郷町 塔のへつり」より)

この崖が、国指定天然記念物

土産物屋の展望台からの眺め
塔のへつり1

つり橋といい、舞台岩からの見下ろしといい、本来高所恐怖症の私ではあるが、両手の荷物でバランスが取れてすこぶる安定感があり平気だった。

左上から時計回りに、
遊歩道入口を下り始めた辺りからの眺め、つり橋を渡ったところの削れたところ、舞台岩?から見下ろした眺め、虚空蔵菩薩の祠
塔のへつり2

大内宿

■大内宿


◆会津西街道 会津若松から今市へ

藩主の参勤交代ルート、物資の輸送に利用
福島県南部、会津若松から山王峠を越えて、栃木県今市に至る会津西街道は約30里(120キロ)。会津藩の初代藩主保科正之の頃に整備され、江戸へ廻米などをはこぶ物資輸送路であるとともに、会津藩主の参勤交代の際にも利用される会津と関東を結ぶ重要な街道だった。』(「全国古街道事典―東日本編―」東京堂出版p96より)

江戸時代そのままの宿場の姿を残す大内宿
会津若松城下から約20キロ、三つ目の宿場である大内宿(下郷町)は会津鉄道湯野上温泉駅の北西約6キロ、標高680メートルの高原盆地にあって会津西街道に唯一残る宿場だ。
宿場の道幅は5メートル、南北に一直線に延びる400メートルの街道に沿って寄せ棟造りの民家40数戸が整然と軒を連ねている。道の両側の側溝を澄んだ水が勢いよく流れ、野菜などの洗い場として使われている。』(「同上」p97より)


○大内宿の全貌
大内宿

大内宿

大内宿

○大内宿雑風景
左上から、時計回りに
・美濃屋
『(明治11年イギリス女性)イザベラ・バードが宿泊した農家。蚕小屋と郵便局・運送所・宿屋を兼ねていた。』(「イザベラ・バードの道を行く」より)
マメコバチの巣筒
りんご・桃・梨などの花の受粉をさせる蜂。
・側溝
山からの冷たい湧き水で、ラムネや果物を冷やしている。ラムネよりこの水の方が冷たくて美味しかった。
・萱葺き材料
ここでは、主にススキが使われるようだ。
雑風景

大内宿には、街道に駐車している車が見あたらない。木曽路の妻籠宿や馬籠宿とはこの点が大きく異なる。この秘密は、街道を平行に挟む生活道
○大内宿の道路図
大内宿の道路地図

○大内宿の生活道路の様子
左上から時計回りに
・大内宿の中心を通る街道
・各民家の間の道路
・街道に沿う西側の生活道路
・街道に平行に走る東側の生活道路
大内宿の生活道路

○大内宿は、このとき蕎麦の花が満開であった。
満開の蕎麦畑




☆余談(1)
脇本陣石原屋(蕎麦屋)の看板犬/石原けい子ちゃん
クチコミで聞いたので、家の前にいた若女将を経由して女将に奥に閉まってあった人形を出してもらった。何で女の子、と聞くと、女将いわく、うちは女の子がいないので犬は女の子にしたの、と。そういえば、可愛い若女将が連れていたのもやんちゃな男の子だった。
石原けい子

☆余談(2)
山形屋の骨酒用岩魚の燻製
骨酒用岩魚

☆余談(3)
山形屋の堅焼き煎餅
堅焼き煎餅

渋川問屋と五郎兵衛飴

■ 会津料理

渋川問屋

会津鉄道で湯野上温泉行きを考えて、JR只見線の七日町駅前で昼食をとることにした。後から考えると、大内宿で蕎麦を食べる手もあったが・・・
何しろ前日に居酒屋籠太で会津料理を食べることが出来ないとわかって出発前に、郷土料理が食べれて、かつ、その後の列車への乗り込みの便を考えて、渋川問屋に予約を入れておいたのだ。

店の中や、庭も素晴らしいと聞いていたが、時間がなくて、写真に撮ることは適わなかった。
渋川問屋

○ 祭り御膳・亀

食前酒・棒たら煮・鰊の山椒漬・こづゆ・鰊の昆布巻ほか

こづゆについては、会津若松・喜多方・猪苗代・南会津・西会津等会津の各地で違うそうだ。
参照はこちら→『会津伝統の郷土料理こづゆ食べ比べ』(「るるぷぅAIZU」より)
この記事の中で、『「再現された江戸時代のこづゆ」(籠太)』というのはどういう味だったんでしょうね。興味津々です。

祭り御膳・亀

塩川牛
塩川牛

鰊の天麩羅・そば粒がゆ・季節の混ぜごはん・デザート
亀3

棒ダラ
が貴重な素材となるのは、海から離れた京都と同じ理由であろう。
(勿論、こづゆの出汁は、干し貝柱が基本ですね。)

若松市内観光で時間オーバーとなったので、結果として、渋川問屋での昼食は慌しいものとなった。七日町駅で、列車に飛び乗ったのはギリギリの状態であった。


■ 会津土産

○ 五郎兵衛飴

『昭和28年頃、当時“新平家物語”を執筆中の吉川英治先生より我が家に伝わる武蔵坊弁慶自筆の賞状について問合せを受けてその問にお答した事があります。この弁慶の賞状というのは源義経公が兄頼朝に京都を追われた“後の平泉落ち”の途次我が家に立ち寄り飴を所望された際、その代金の借証文として残したものと伝えられ、文治4年(1189年)午4月2日と記録されています。・・・』(「會津名産五郎兵衛飴由来」より)

創業800年
はここからくるらしい。

五郎兵衛飴総本舗
総本舗

店内
許可を得て店内を撮ったのに、この方はカメラから逃げ回っているようだった。この方は、ひょっとして、38代目五郎兵衛さん?
店内

五郎兵衛飴
五郎兵衛飴1

五郎兵衛飴2

五郎兵衛飴3

五郎兵衛飴

『会津産の餅米麦芽だけで作る滋養に富んだ飴は、現在も昔と変わらない製法でていねいに作られています。外はもっちりの程良い歯ごたえ、中はとろっのなめらかな歯ざわり。口いっぱいに広がるふくよかな甘さは、さすが!のひと言です。』(「五郎兵衛飴総本舗の五郎兵衛飴」より)
五郎兵衛飴4

とにかく懐かしい味だ。私には、紙芝居屋で買った水飴が思い出された。800年前も、もち米と麦芽はあったであろうから。

御薬園

 御薬園


『若松城の東1.3kmにある会津松平氏庭園(国名勝)は、御楽園として親しまれている。・・・1643年(寛永20年)、会津の領主となった保科正之は、ここを保養所とし、2代正経が各種の薬草を栽培させてから「御薬園」の名がおこった。元禄年間、3代正容は江戸から近江出身の目黒浄定を招き、遠州流によって回遊・舟遊式の本格的な借景庭園として整備した。』(「福島県の歴史散歩』山川出版社 P207より)

『戊辰戦争では西軍負傷者の診療所にあてられたため、戦火を免れた。』(同上より)

『(明治元年、松平容保)会津に入るが鶴ヶ城に入らず城下御薬園で謹慎』(「松平容保年表」より)

御茶屋御殿
ここで抹茶と水羊羹を戴いた。
御薬園1

庭園の心字の池にある数寄屋造の楽寿亭
御薬園2

御茶屋御殿の右に見えるのは、重陽閣
重陽閣の前には、薬園がある。
御薬園3

重陽閣は、この日板前研修のため、薬膳料理の予約が断られた。
受付の女性は、それをよく覚えていて、気持ちだけですがと、プチプレゼントをくれた。
御薬園で採れたベニバナの種と、起き上がりコボシ。
プチプレゼント

鎌倉時代のものとされる石造三重塔(県文化財)
石造三重塔

庭の苔
冬は雪が積もるだろうに、どのように苔の管理をしているのだろうか。
庭の苔

院内御廟

○ 院内御廟(会津藩主松平家墓所)


『通称、院内御廟として親しまれている会津藩主松平家墓所は、院内山に会津藩初代の殿さま保科正之が長男の正頼が亡くなった明暦3年(1657年)に造られました。その後、二代藩主正経から九代松平容保までの殿さまのお墓が建てられていますが、正之のお墓は磐梯山のふもと猪苗代町の土津神社にあります。』(「院内御廟&東山温泉・・」カタログより)

三代正容の亀石
『碑石を支える台石で、亀趺(きふ)座といいます。古代中国の故事から引用された、死者の霊を護る想像上の動物です。』(同上より)
頭の方向は、すべて保科正之(ほしな まさゆき)の墓に向いている、と。
院内御廟


松平容保の墓



会津松平家9代松平容保(まつだいら かたもり)は、『会津藩最後の藩主。京都守護職を担い、新撰組を配下におく。孝明天皇の厚い信頼を受け、御宸翰賜る。享年59才(在位17年)』(同上より)

九代容保の碑石(ひせき・いしぶみいし)
『墓誌石ともいわれ、故人の姓名・生い立ち・人柄・終生の経歴・業績など、功徳を讃える文章が詳細に刻まれています。』(同上より)
容保の碑石

容保の表石(ひょうせき・おもていし)
『鎮石の表口にあたるところに目印として建てられた石で、故人の生前の名前と官位・身分が行書体で刻まれています。』(同上より)
容保の表石

容保の鎮石(ちんせき・しずめいし)
神を鎮め祀る石のことで、ご遺体はここに埋葬されています。霊神名が篆書で刻まれています。』(同上より)
容保の鎮石

時代を物語る碑石の大きさ
三代正容(まさかた)と四代容貞(かたさだ)の碑石は高さ5mもある巨大な石柱ですが、五代容頌以降は見るからに細くなって、何とも哀れになってしまいます。これも藩の財政が影響しているのでしょうか。』(同上より)

九代は、もっとも小さく、当然真新しい。

ところで、三代から九代までは神式だが、二代正経(まさつね)のは仏式であるので、参考までに写真を添えます。
仏式

院内御廟は、今も聖域であり、羽黒山のような趣が漂っていた。
御廟

籠太さん

■ 居酒屋「籠太」の親父さんとの出会い


出発前、ネットで籠太を予約した。日曜日は不定休。ところが、その日は生憎休みの日曜日。

『私の自宅の近くの居酒屋で今から十年程前にラベルのない試験酒を飲んだのが彼との出会いの始まりでした。非常に荒っぽくてゴツゴツした酒という印象でした。ただあまり感じない可能性のようなものを感じました
もしよろしければ。当日市内に居りますので携帯の方へ電話をいただければ夕食でも共にとりながらその辺りのお話を出来ると思います。よろしければお電話をください。』と、返事を戴いた。

ところで、行けなかった籠太のHPから、簡単に籠太の紹介を。
○籠太の取扱の
○籠太で食べれる郷土料理(蹴飛ばし、こづゆ、鰊の山椒漬など)


かくして、飛露喜について語るべく、見知らぬ私のために時間を作ってくれた。実に光栄である。

ちなみに、廣木酒造9代目は、醸造科でなく青学の普通の学科を卒業。社長兼杜氏。
NHKの「新日本探訪」というドキュメンタリー番組をきっかけに、今では、東京でもてはやされる酒となった。このテレビ取材の時も、籠太さんがかんでいるそうだ。

飛露喜とは、『蔵元さんいわく、「濃密な透明感のある、存在感のある酒を造りたい」…』(「飛露喜 蔵元紹介」より)


○親父第一推薦の店:「会津っこ」も日曜日で休み。
そしていくつかの店も休み。たどり着いたのが、鶴我。
店

この日・この店での籠太さんの推薦は、

?奈良萬 夢心酒造(株) すっきりしている
?てふ  国権酒造(株) コクがあるのに、さわやかで、切れがいい
?飛露喜 廣木酒造本店 無濾過 賑やか 

いずれも美味しい。今、会津の酒が注目されるわけがわかる。今日は特に‘てふ’が気に入った。

☆帰ってから、会津の酒を調べてみた。例えば、「フィールドイン楓林舎で地酒を楽しもう」でも、この三つはノミネートされている。

【三つを飲み比べての私の感想】
○飛露喜:発展途上にある酒
○飛露喜:銘柄の多さは、素人杜氏が現状に満足することなく日々チャレンジ続けている証拠? そういえば、山形の十四代と似た歳。十四代を超えるべく目標はとてつもなく高いところにあるのかもしれない。  
○飛露喜:‘歓びの泉 大吟醸極至中汲’に似た賑やかな味

てふ

突出
つるむらさき、枝豆
紫つる草等

蹴飛ばし(馬刺し)
このうち、たてがみは初めて。熊本や長野のものより美味しく感じた。
蹴飛ばし

ユッケ
ユッケ

色々携帯で写真を撮ったが、一生懸命に話を聞こうとして、『保存』処置をしなかったために、多くのショットが消えていた。学習効果のない爺である。全く惜しいことをした。会津の漆塗りの酒器に、会津の旨酒は似合ったのに。

○このあと、籠太さんの行き付けのバーへお供

ソルティドッグ 
私のは、ノンアルコール。 一応スノースタイル

実はこの一週間舌炎に悩まされ、チョコラBBを飲み続けたのによくならず、2日間の酒断ちとお粥暮らしで、何とかこの日に備えた。会津の酒を堪能するための執念で、お陰で美味しくいただけた。良き先生に恵まれたし。そういう状態なので、酒は三杯で終了させた訳である。

バー


『ご主人の鈴木真也さんは,郷土料理の研究家でもあり,こづゆ等の郷土料理がいつでも楽しめる。こづゆは,古く武家料理から広がった代表的な郷土食で,お椀の蓋に盛って出したのが最初。』(「全国居酒屋紀行 会津若松編」より) 


■「籠太」の親父さん、本名鈴木真也さんのもうひとつの顔は、

『○日本経営品質協議会アセッサー
    ちなみに、日本経営品質賞は、会社の健康診断
    マルコム・ボルドリッジ賞の考え方を基本にしている。
    日本では、(財)社会経済生産性本部が創設
    その成果は、市町村商工会や自治体にコンサルタント事業を実施

 ○地域興しマイスター/専門分野:経営・加工・文化
    地域食材の加工、郷土料理の復元・伝承
    その成果は、
    会津若松御薬園にて天保年間の会津藩料理を再現指導(昭和60年)
    会津の明治期の婚礼、江戸期の精進料理を再現(昭和61年)
    会津古典料理研究会を創設  』(「特定農山村総合支援事業」より)

この日も、喜多方?のイタリアンレストランの経営指導に出掛けたとのこと。

 ○作家:電子出版 「いのちの継承―会津の食から」鈴木真也/奥会津書房

いずれにしろ、多才な人だった。お疲れのところ有難うございました。
いい写真も残せず、ましな文章も思い浮かばず、宝の持ち腐れとなったことをお詫びします。

信夫山と御山角屋

信夫山


『信夫山は西側の羽山(別名:湯殿山)、中央部の羽黒山(別名:谷山)、東側の熊野山(別名:金華山)の三山(信夫三山)の総称。青葉山、御山という別名がある。福島市のシンボル的存在で市の中心部に位置し、福島盆地を遠くから眺めるとまるで浮島のように見える山容がなんとも愛らしい。古代から山岳信仰で栄え、山中には由緒ある寺社や遺跡も多く、参拝する為の主な参道(登拝路)が幾つかあったといわれるが、現在でもその跡が主な散策コースとなっている。』(「信夫山」より)


この日は、時々霧雨の降る日だった。

○信夫山(第一展望台)からの福島市の眺望
信夫山展望台

○五つ石
説明板によると『信夫山の熊野比丘尼に可愛がられた五匹の犬が比丘尼が亡くなった後も主を忘れずここにうずくまり石に変ったと伝えられる。』
五つ石

○登山道
登り道

○下から信夫山を振り返り観る
信夫山


田楽茶屋御山角屋

その店は、信夫山山麓の信夫山公園の中にあった。

『福島の神々の山、信夫山  その麓で“ふくしま”を食す』(「御山角屋」より)

御山角屋

◆ 蕎麦点心 鈴

○季節のご飯・漬け物・小鉢・柚子玉

蕎麦点心1

『(柚子玉は)里芋をつぶした生地で、こんにゃく、シイタケ、クルミを包んだ後、油で揚げ、柚、白みそ、黄身で作った柚みそでくるむ。』(「みんゆうNet」より)
柚子玉の中味

○柚っこ汁

『柚っこ汁は大根、ニンジン、白菜など根菜類を一口大に切り、有機栽培の季節の野菜やそば団子とともにアサリとかつおだしで煮込む。白みそと少量の赤みそを入れ、柚の皮を散らしてできあがり。』(「同上」より)
蕎麦点心2

○田楽

『田楽は、こんにゃく、お豆腐、里芋の3種類。焼けた柚味噌が香ばしくて、おいしいー』(「御山角屋で郷土料理」より)
蕎麦点心3

○笙幻そば

『創業明治23年。…北限の柚を使った料理とこだわりの笙の幻蕎麦が楽しめる。笙の幻蕎麦は、西会津産を使用、つなぎなし、製粉方法は殻付き石臼挽き。歩留まり48~52%と厳選した粉で仕上げた蕎麦は香りが良く、透明感とコシがある。生粉打ち、手打ち細麺に切った形状は、鰹本枯れ節、厚削り使用のそばつゆと融和し、のど越しが良い。』(「ふるさとご意見版」より)

蕎麦点心4

信夫文知摺

信夫文知摺


『かつてこの地は、綾形石の自然の石紋と綾形、そしてしのぶ草の葉形などを摺りこんだ風雅な模様の「もちずり絹」の産地でした。その名残りを今に伝える文知摺石は、都からの按察使(あぜち 巡察官)源融(みなもとのとおる)と、山口長者の娘虎女の悲恋物語を生み、小倉百人一首にも詠まれました』(「信夫文知摺」栞より)

○文知摺石
しのぶ文知摺

鏡石伝説
『別れを悲しむ虎女に融は再会を約束し、都に旅立った。残された虎女は、融恋しさのあまり、文知摺石を麦草で磨き、ついに融の面影を鏡のようにこの石に映し出すことができた。が、このとき既に虎女は精魂尽き果てており、融との再会を果たすことなく、ついに身をやつし、果てた。』(「しのぶもぢ摺について」より)

もぢずり vs もじずり
『この歌の「もぢずり」は花の「もじずり」である、という誤解が結構広がっているようなのです。

 歌に読まれている「もぢずり」は、日本国語大辞典に次のように説明されています。忍草の葉を布帛に摺りつけて、もじれ乱れたような模様を染め出したもの。また、ねじれ乱れたような模様のある石に布をあてて摺りこんで染めものともいう。古来、陸奥国(福島県)信夫郡から産出する絹織物の模様として和歌・俳諧に多く歌われている。しのぶもじずり。しのぶずり。なぜ「しのぶ」がつくのかについて、忍草(*1)を摺りつけたからという説と、陸奥国信夫(シノブ)郡から産出するからという説が、どちらも盛り込まれています。(*1) 「真淵は、この忍草には今いう羊歯類の植物ではなく、垣衣と書くもので、屋根や垣根や石の上などに寄生する植物だという」(岩波古典文学大系補注)
 どちらにせよ、「もぢずり」は「もじれ乱れたような模様」のことで、ネジバナという植物を指すものという説は見当たりません。』(「古典と植物(1)もじずり」より)


○河原左大臣(源融)の歌碑/明治8年建立

「みちのくの忍もちずり誰故に乱れ染めにし我ならなくに」


河原左大臣歌碑

○芭蕉の句碑/寛政6年建立

『後世、この地を訪れた松尾芭蕉も、奥の細道の中で、この文知摺石を前に一句したためています。』(「信夫文知摺」栞より)

「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」

芭蕉句碑

●奥の細道 芭蕉ゆかりの地

『あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童べの来りて教ける。昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。』(「おくのほそ道文学館」より)
 
芭蕉像

○正岡子規の句碑/明治26年来訪、昭和15年建立

「涼しさの 昔をかたれ 忍ぶずり」


正岡子規句碑

○多宝塔

『また、この他にも、多宝塔や観音堂など、古来の古を語る多くの文化財が残されています。』(「信夫文知摺」栞より)

多宝塔

●柴山景綱掘りおこし
『文知摺石は、元禄9年の桃隣「陸奥鵆」に「長サ一丈五寸(約315cm)、幅七尺余(約210cm)」の大きさとあるが、その後次第に埋まり、明治になると地上からわずかに頭を出すまで(高さ一尺、縦五尺、横三尺)になったという。信夫郡長の柴山景綱がこれを掘りおこし、今日の姿にしている。』(「しのぶもぢ摺について」より)
柴山景綱

カウンセラーの資質向上のために

日本産業カウンセリング学会・第12回大会に参加した。
今回のテーマは、地域における産業カウンセリング ~地域で支えあう人々の輪~

本当のことを言うと、ワーキング・プアーであるカウンセラーの私が自腹を切って参加するにあたり、東京大会に比べて旅費と宿泊費が上乗せになる地方開催は辛い。



◆ ここで、日本産業カウンセリング学会とは、

『21世紀に入り、社会は混迷の度を深めています。
現代は不安と緊張の中で、私たちは、ややもすれば心のバランスを失いがちです。そして家庭でも、学校でも、職場でも、心理的なサポートを必要とする病理的な出来事が多発しています。
こうした時代背景をふまえて、カウンセリングへの社会的関心が急速に高まっています。

産業社会でも、大きな構造改革が起きていて、勤労者のメンタルヘルスキャリア開発人材育成が注目され、現代社会のニーズに即したカウンセリング活動が求められています。

日本産業カウンセリング学会は、このような社会的要請に応えて、1996年3月に創立されました。以来今日まで、会員も飛躍的に増加し、日本学術会議より研究団体として認定され、着々とその基盤を固めつつあります。

本学会は企業体はもちろん、病院、学校、施設、公共体、諸団体などを幅広く視野に入れ、そこに働く勤労者の健康、福祉、能力開発に貢献することを目的として、実践的なカウンセリングの研究活動を推進しております。』(「日本産業カウンセリング学会・学会案内」より)



◆ 私は、駆け出しのキャリアカウンセラー(キャリアコンサルタント)である。

3年半前、定年退職とともに全く経験していない職種を選んだ。本来は人事スタッフ経験者の職種であるとされていた。当時、60歳男の再就職先は皆無だった事情もある。
そこで、就職後、土日を利用してキャリアコンサルタント養成講座を受講。終了時に、木村周先生と桐村晋次先生から、これからスタートです、産業カウンセリング学会に入会し、勉強すべきです、希望者は推薦しましょう。と声を掛けて戴いたのが入会のきっかけである。

主に求職者に対する就職支援や、中高年齢者に対するライフプランの作成支援が任務であるが、60歳までの産業人としての基盤の上に、キャリアコンサルタントの基礎知識をあわせて実践中である。

今回も、私の大会出席主目的は、キャリアカウンセラーの資質の向上にある。

○ 学会企画講演:
キャリア開発支援とキャリアカウンセリングの役割
立正大学 宮城まり子先生

ここでは、
Krumboltz 『人は生涯学習し続けるものであり、キャリアはこうした生涯に渡る学習によって形成される』

Frankle,V.E 『『幸福のパラドックス』―幸福は結果としてやってくる』
Planned Happenstance 『『計画された偶発性』―幸福は準備あるところにやってくる』

『キャリアカウンセラー自身が、働く人のロールモデル、キャリアモデルである』
キャリアカウンセラーのキャリア開発と質的向上―さらなる『育自』への課題等わかりやすい解説でシメとなった。
講演風景


○ ラウンドテーブルでは、『カウンセラーの資質向上とスーパービジョン』に参加
座長:上脇 貴先生(持田製薬(株))
話題提供者:寺田 正美先生、コメンテーター:楡木 満生先生

学会のスーパービジョン特別委員会の検討状況の報告と今後の取り組みについての意見交換会であったが、Nから参加した人と同様、東京から参加した私としては、カウンセリング現場の人間から言えば、あまり時間を掛けすぎないでほしい旨の要望を申し上げた。最長あと2年半たてば、契約期間満了でサードライフの道を探す身であり、4,5年後に形を成しても意味がないからだ。

○ その他からひとつだけ紹介すると、個人研究発表で、『男性の悩み相談から見えてくるもの』大阪市及び京都市男女共同参画センターの発表は意外なもので、参加者にとってサプライズなものであった。『家庭を持つ男性にとって妻との関係は最大級の悩みである。「妻と義母の仲が非常によく、自分が阻害されている」「家に帰るなり色々な愚痴を聞かされる」「何か言うとヒステリックに言い返される」「食事や洗濯等がすべて自分だけ別にされる」等』…えぇ~?深刻な男性は多いそうだ。それ程までとは知らなかった…。
我が家は? 私が鈍いだけかも…

おひつ膳・田んぼ

大変美味しいご飯と鯖の味噌煮を食べた。

おひつ膳 田んぼ
  平成八年創業ごはん専門店


西新宿店:西新宿三井ビル2F
西新宿三井ビル

おひつ膳 田んぼ

今日のお米は、長岡こしひかり。
昼おひつ膳は、鯖味噌煮と焼き鮭があったが、迷わず鯖。
田んぼ

昼おひつ膳(さば味噌煮)
先ず、この店の鯖味噌煮は、私が食べたものの中で三本の指に入る。
鯖・みそ汁・だし巻玉子等でご飯を半分ほど戴いた後、残りのご飯に玄米茶をかけて、漬物・味付け海苔と一緒にお茶漬けとしていただく。ご飯の注文を大盛りにしておけばよかった・・。
久し振りに美味しいご飯を戴いた。伊達に御櫃に入れてない。

昼おひつ膳

木曾さわらのおひつに入ったごはん。蓋を開けて立ちのぼる湯気と香気が、なによりも贅沢。鮭イクラ、明太子、ふぐなど、具をたっぷりのせた「おひつ膳」は、定番だけで8種類。箸休め2品と、デザート、玄米茶、薬味がセットになっています。おかわりした2杯目のごはんをお茶漬けにして食べるのも、ここならではの楽しみ方。「ごはん屋ですから、主役はお米」と店主の岡野真吾さん。冷静な語り口ながら、ごはんへの情熱も心意気も半端ではありません。週替わりで供される米は、2種類。今年は、粘りとコシの強い新潟のコシヒカリと、あっさりめの岩手のひとめぼれを選択。・・・』(「おひつ膳 田んぼ 西新宿店」より)

炊き方●専門の米屋に頼んで毎朝精米してもらう。3升炊きのガス釜で1~2升分を随時炊く。蒸らし30分。炊き上がり45分。』(「同上」より)

『今回おいしい炊きたて白いご飯をもとめて食べ歩くこと数十軒。定番コシヒカリから、アキタコマチ、ひとめぼれ、ササニシキにミルキークイーン。雑穀までいれると、ざっと10種類ちかく。口にいれると、甘みが広がるものや、ちょっとモッチリとした食感のもの、粒が大きくて口の中でほどける感じのもの。普段気にして食べていなかっただけに、“こんなに風味食感も違うんだ”と目からウロコの連続でした。二週間同じものを食べ続ける地獄のロケハンも、今回ばかりは炊きたてのツヤツヤ白ごはんが目の前に運ばれてくるたびに“あ~日本人に生まれてよかった”と目を細めてしまう幸せの日々。すっかり炊きたてごはんにはまってしまった私は、無印良品の土鍋を買い込み、自宅でも実践中。・・・』(「同上」編集部ウラ話(デリシャス10月号の巻)より)


■ 筑波大学名誉教授 村上和雄
○ 2003年の3月、

イネの遺伝子解読
に成功

『これはね、もう「日本のためにやってやろう」という思いですよ。アメリカのベンチャー企業が、1999年、「イネの遺伝子解読をやる」と宣言したので、私は強烈なショックを受けた。これを成功されると、日本人のアイデンティティを失うことになると言っても過言ではありません。主食であるコメの品種改良をするときに、必ず、特許料を支払わなければならなくなる。』( 「イノベーティブワン」より)

○ この人は
『「ヒト・レニン」という、血圧を引き上げる性質を持ち、高血圧を引き起こす原因となる酵素(タンパク質)の遺伝子解読に、世界で初めて成功・・』
この素晴らしい人については、既にご存知の方も多いと思いますが、いずれの機会にかご紹介できればと思います。
(ほんじつは、こめまで)
プロフィール

yogaz

Author:yogaz
飯山満通信へようこそ!
満73歳になりました。予定寿命まで後7年です。ただいま終活中です。当面75歳までは、ボランティアガイドと生涯学習・介護予防のお手伝いを続けたいと思います。
なお、2006年6月14日から始めた飯山満通信は、2013年12月14日、ブログを引っ越しました。Dtiblogのブログサービスが終了したためです。

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