金海猫搔き手・絵唐津と甘杯

金海猫搔き手・絵唐津と甘杯

 とらやの日本酒入り羊羹二種で、抹茶を飲んだ。白の貴醸酒入りの方が酒の香が強く感じる。大吟醸の方が香りが立つという予想とは真逆だ。甘杯の値段を聞かれたので正直に答えると、「うぁ高!」で絶句した。「升は食べられないのだから余分よ、と」。味については、特段のコメントなし。多分合格なのだろう。

(1) 金海猫搔き手茶碗写しと甘杯(白:満寿泉貴醸酒入)
猫掻き手と甘杯白

(2) 絵唐津屈輪文茶碗写しと甘杯(黒:満寿泉純米大吟醸入)
絵唐津と甘杯黒

とらやの「花びら餅」で一服

とらやの「花びら餅」で一服

自作・和太守卑良 彡文赤彩茶碗写しと花びら餅
和太守卑良 彡文赤彩茶碗写しと花びら餅

自作・柳原焼三島写茶碗写しと花びら餅
柳原焼三島写茶碗の写しと花びら餅

大晦日にとらやで買ってきた「花びら餅」で一服した。会ではなく二人きりであり十日頃でもないが、我が家の初釜めいたものを毎年元旦にしている。あって欲しいのが「花びら餅」である。物置から抹茶茶碗もどきを引き出した。今年は柳原焼三島写茶碗と和太守卑良 彡文赤彩茶碗の両写しとした。両碗とも懐かしい。

花びら餅 on 総織部皿
花びら餅on総織部皿

花びら餅 on 唐津釉皿
花びら餅on唐津釉皿

とらや花びら餅等で 抹茶一服

のどかな正月に酒ばかり飲んでいると、抹茶が欲しくなる。
とらや製 正月の生菓子・花びら餅や季節の生菓子で一服した。
なんとなく穏やかな気分が増していく心地がする。

とらや花びら餅等で 抹茶一服

(1) 花びら餅と御本立鶴茶碗写し

花びら餅御本立鶴茶碗写し
花びら餅と御本立鶴茶碗写し

(2) 心百花と安南染付梅花文碗写し

心百花と安南染付梅花文碗写し
心百花と安南染付梅花文碗写し

(3) 若菜餅と珠光青磁茶碗写し

若菜餅と珠光青磁茶碗写し
若菜餅と珠光青磁茶碗写し

心百花と若菜餅断面
生菓子断面

(4) とらやの花びら餅と生菓子

A.花びら餅in鼠志野亀甲文四方鉢

花びら餅in鼠志野亀甲文四方鉢
花びら餅in鼠志野鉢

B.求肥製心百花&きんとん製若菜餅in黄瀬戸どら鉢

求肥製心百花&きんとん製若菜餅in黄瀬戸どら鉢
求肥製心百花&きんとん製若菜餅in黄瀬戸鉢

とらや袋と箱&開封
とらや袋と箱&開封

とらや・東京ミッドシティ店/
   cf.とらや 赤坂本店は、社屋建て替えに伴い、2018年まで休業中
とらや・東京ミッドシティ店

東京ミッドシティ
東京ミッドシティ

粋甘粛で抹茶を一服

粋甘粛で抹茶を一服点てた。
粋甘粛は岡山に赴任した時に、初めて買ったお菓子である。
源吉兆庵が、多分岡山から、鎌倉や東京に進出する頃であったと思う。

粋甘粛彫唐津茶碗写し

彫唐津茶碗写し

粋甘粛・断面 on 青織部皿
翆甘粛・断面
粋甘粛
翆甘粛
粋甘粛・箱入り
翆甘粛・箱入り

織部輪線文深茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第49作。

織部輪線文深茶碗写し

『輪線文というか、線条文というのか、ともかくこれが視覚上もっとも単純なデザインであることには違いないだろう。技法上では、さらに簡単である。ロクロ上で回転する器に、絵筆の一端をのせれば、それでたちどころに模様が描けるのだから。だが、それでも、それが単純な所作ではあっても、やはりその人の個性が出てしまうのだから、こわいようなものである。たっぷりとしたのどかさがよい。』
(「カラーブックス 413)茶碗のみかた? 保育社P21 より)


織部輪線文深茶碗写し
織部輪線文深茶碗写し

織部輪線文深茶碗写し・正面
織部輪線文深茶碗写し・正面

織部輪線文深茶碗写し・高台
織部輪線文深茶碗写し・高台

織部輪線文深茶碗写し・見込み
織部輪線文深茶碗写し・見込み

お菓子は、黒糖金平糖

『今はもう数少くなった鎌倉の松、昔はそれは沢山ございました。
松林を歩くと、足下に転っていた「松ぼっくり」、蹴とばしてみたり、球にみたて投げてみたり、なつかしい子供の日の想い出に還る気が致します。素朴な黒砂糖の風味を生かし、金平糖を「松ぼっくり」に見立て、仕上げてみました。』(「豊島屋・商品のご案内」松ぼっくり より)

器は、鳴海織部の振り出し
振り出しと黒糖金平糖

★ 弁柄ではなく、鬼板で輪線文を描いたが、濃度を薄めすぎて失敗した。
鬼板の濃度調整はいつも失敗する。学習効果がない。難しいのではあるが。


☆ 黒糖金平糖には、豊島屋以外にも色々のメーカーのものがあるようだ。
  宇治製茶エビス堂製菓京都豆富大阪糖菓緑寿庵清水一の菓音羽屋などなど。
このうち、緑寿庵清水は、『京都にある、日本唯一の金平糖専門店。』だそうだ。(「ブログ検索:金平糖-京つう」より)

乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ 第48弾。

乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し 
                                     (失敗作)


本歌は、『この茶碗を手にしたとたん、ゴッホのひまわりの絵を思い出したのだ。個性があまりにも対照的だったからである。
ゴッホは、画面いっぱいに黄をぶちまけたが、乾山は黄の代わりに、黒をおいた。燃えさかる火のような情熱がゴッホであり、乾山のこれは、深く静かに沈潜した情熱というべきだろう。
つまり、ゴッホの個性的なひまわりと同様に、この茶碗には乾山の個性が完全に表出されていて、さながら、乾山その人と対している心地がしたということである。』(「カラーブックス 413)茶碗のみかた?」P57より)


乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し
乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し

乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し・正面
乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し・正面

乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し・高台

薄墨のひまわりの花の黒が薄すぎた失敗作である。

乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し・高台

乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し・見込み
乾山銹染付ひまわりの絵茶碗写し・見込み

お菓子は、花あづき。先斗町駿河屋

『粒より大納言小豆をふっくらと煮上げ、こはく(寒天液)で丸くながし固めました。日持ちもよく長く小豆の風味をお楽しみ頂けます。お慶びにも仏事にもお使い頂いております。』(栞より)
花あづき

花あづき on 馬の目皿
花あづき on 馬の目皿

花あづき・断面

『かじると、外側の砂糖のカリカリした感じが強調されている。 しかし内側の寒天のプレゼンスは弱い。 つまり小豆がいっぱい詰まっているから小豆の味が先に来るのだ。 この小豆の香りが何ともいい。 こういう風味のセンスは先斗町駿河屋ならではのものだと思った。』(「 ひと口わらび(先斗町駿河屋)」より)
花あづき・断面


李朝白磁黒象嵌花唐草文茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ 第47弾。

李朝白磁黒象嵌花唐草文茶碗写し


李朝白磁に鉄絵象嵌文の例は少なく類品は希少である。しかもこれは、李朝も比較的早い時代に焼造されたものと推定される茶碗である。見込みには目あと四個があり、高台は露胎。気品ある容姿と、鉄絵具を象嵌のように埋め込んだそのおおまかで力強い線彫りは秀逸である。茶碗のスタイルは中国明初の陶磁にそっくりである。珍重すべき佳碗である。』(「カラーブックス 369)茶碗のみかた」保育社 P83より)


李朝白磁黒象嵌花唐草文茶碗写し
李朝白磁黒象嵌花唐草文茶碗写し

李朝白磁黒象嵌花唐草文茶碗写し・正面
李朝白磁黒象嵌・正面

李朝白磁黒象嵌花唐草文茶碗写し・高台
李朝白磁黒象嵌・高台

李朝白磁黒象嵌花唐草文茶碗写し・見込み
李朝白磁黒象嵌・見込み

お菓子は、関の戸

関の戸・箱
関の戸・箱入り

関の戸on独楽文皿
関の戸on独楽文皿

関の戸

鈴鹿山の峰の白雪の美しい姿を取り入れた優雅なもの。小豆のこし餡を白い求肥皮で包み、阿波特産の和三盆をまぶす。きめ細かな、快い舌ざわり。三重県鈴鹿のもの。』(「ビジュアル版 お茶人の友6 茶席の菓子」世界文化社 P60より)

深川屋
関の戸on独楽文皿

磁州窯梅鉢文茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第44作。


磁州窯梅鉢文茶碗
写し


磁州窯の焼物は、下手っぽく、つくりは粗雑になるが、それが侘び茶にかなうものとして昔から珍重愛用された。素地に白化粧し、それに文様を施すことが特徴である。
磁州窯は、華北の広範な地域の窯の総称で、宋代の前後から元、明、清の頃まで日用雑器を焼いた。古くは、この手のものを朝鮮産とみなし絵高麗と呼びならわしてきたが、近代に入って磁州窯と戸籍が改められた。』
(「茶碗のみかた」カラーブックス 369)保育社 P94より)


磁州窯梅鉢文茶碗写し
磁州窯梅鉢文茶碗写し

磁州窯梅鉢文茶碗写し・正面
磁州窯梅鉢文茶碗写し・正面

磁州窯梅鉢文茶碗写し・高台
磁州窯梅鉢文茶碗写し・高台

磁州窯梅鉢文茶碗写し・見込み
磁州窯梅鉢文茶碗写し・見込み

菓子は、とらや
◆ 薯蕷製 双葉饅 小倉餡入

『春は芽吹きの時。そこかしこで新しい命が生まれます。『双葉饅』は、薯蕷饅頭に緑と薄茶色のにおい(ぼかし)をほどこし、双葉の焼印を押した春らしい意匠のお菓子です。』(とらや「生菓子解説」より)

双葉饅on飴釉皿
双葉饅on飴釉皿

双葉饅断面
双葉饅・断面

ところで、
『◇平成21年歌会始お題

御製(天皇陛下のお歌) 
生きものの織りなして生くる様(さま)見つつ皇居に住みて十五年経(へ)ぬ

皇后陛下御歌 
生命(いのち)あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊(ユスリカ)の舞ふ

皇太子殿下お歌 
水もなきアラビアの砂漠に生え出でし草花の生命(いのち)たくましきかな

皇太子妃殿下お歌 
制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり 』
(「平成21年歌会始の御製・御歌・詠進歌」より)

古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第40作。


古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し


外側が鉄釉で、見込みを白磁とし、染付けで竹を絵付けしたもので、以前には吸坂といわれてきた類の一手である。だが、有田古窯跡の発掘研究が進み、多くの同巧の破片が発見されて、それらは初期伊万里と訂正されたものである。
素地に刻花を施し鉄釉をかけたもの、白磁と鉄釉をかけ分けたもの、鉄釉の一部を白抜きにし染付を施したものなどあり、従来から評価は高いが伝世品は少ない。そのうえこの茶碗は片口茶碗というからなおさらのことである。』
(「茶碗のみかた?」カラーブックス 413) 保育社 P49より)


古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し
古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し

古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し・正面
古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し・正面

古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し・高台
古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し・高台

古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し・見込み
古伊万里鉄砂染付竹文片口茶碗写し・見込み

とらや本社・赤坂本店  
祇園坊
 in 金海猫掻き手碗

求肥製 祇園坊(ぎおんぼう) 飴餡入

『飴餡を求肥でくるみ、和三盆糖をまぶし、白い粉を吹いた干柿をかたどりました。柿の一品種である祇園坊より菓銘がついたとも考えられます。』
(とらや「生菓子解説」より)
祇園坊 in 金海猫掻き手碗

祇園坊・切断面
祇園坊・切断面


李朝鉄絵塩笥茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第38作。

李朝鉄絵塩笥(しおげ)茶碗写し


塩笥は、もと朝鮮で塩や味噌などを入れていた壷であったが、わが国に渡来して茶人に取りあげられ茶碗として愛用された。口辺が開いてその下がつぼむ形の小型の壷で、ややお茶が飲みにくいので、人には出さずひとり楽しむことが多く、またの名を独楽茶碗ともいう。朝鮮と唐津焼に多いものである。(本歌は)伝世の味わいもよく、奔放豪快な鉄絵はまるで前衛書道に見るような趣をもち興味はつきない。』(「カラーブックス369)茶碗のみかた」保育社 fig85より)

『もとは朝鮮の手頃な塩壺を茶碗に見たてたもので、口辺の下がすぼみ、胴のふくれた壷の形をしているもの。冬場にお茶がさめにくいので、独楽茶碗として用いられます。井戸脇、唐津に多い。』(「茶碗鑑賞」より)


李朝鉄絵塩笥茶碗写し
李朝鉄絵塩笥茶碗写し

李朝鉄絵塩笥茶碗写し・正面
李朝鉄絵塩笥茶碗・正面

李朝鉄絵塩笥茶碗・高台
李朝鉄絵塩笥茶碗・高台

李朝鉄絵塩笥茶碗・見込み
李朝鉄絵塩笥茶碗・見込み

お菓子は、赤坂青野の栗山路
上:栗 一葉添え
周り:小豆羊羹
中:こし餡 練り切り巻き栗山路断面

菊花天目茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ第37弾。

菊花天目茶碗写し(失敗作)


『瀬戸天目の一種で、伝世しているものは二碗くらいしかない。天目茶碗をひ少し平たくした形で、口縁にはひねり返しがある。・・・すべての手法が粗雑であり、胴にはロクロ目が出ている。
町衆茶の湯が成立して和物道具を
作ろうという気運が生じ、いろいろな試みがなされたうちの一つだと思う。しかし、利休が侘びた茶室にふさわしい楽茶碗を作ったので、これらの茶碗は優品ではあるが、会所茶の湯にも町衆茶の湯にも向かなかったために廃れたのであろう。』
(「茶碗百選」大河内風船子 平凡社 P27より)

2種類の施釉の仕方を間違った

菊花天目茶碗写し
菊花天目茶碗写し

菊花天目茶碗写し・正面
菊花天目茶碗写し・正面

菊花天目茶碗写し・高台
菊花天目茶碗写し・高台

菊花天目茶碗写し・見込み
菊花天目茶碗写し・見込み

お菓子は、赤坂青野の菊
お菓子・菊

織部台付茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第35弾。

織部台付茶碗

カップ型をした、まったく西洋風の茶碗である。当時、織部焼が、滔々として流入した西洋文化に刺激されて焼造した、南蛮人の燭台、煙管、その他の器物の絵付などと一環をなすものである。
しかし、それは現今のように、欧米の流行をうのみにしたようなものではなく、古田織部は、完全に消化し、自分のものとしているのはさすがである。紅毛手のお道具との取り合せにぴったりであろう。』(「カラーブックス369)茶碗のみかた」P16より)

絵付けは、普通の赤織部の手法で、白化粧土と弁柄で画いた。土は赤織部用。

織部台付茶碗
織部台付茶碗

織部台付茶碗・正面
織部台付茶碗・正面

織部台付茶碗・高台
織部台付茶碗・高台

織部台付茶碗・見込み
織部台付茶碗・見込み

お菓子は、赤坂青野のみのり柿
周り:羊羹
中:白餡入り上用饅頭
みのり柿

朝日焼風茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第30弾。

朝日焼風茶碗

『千年の歴史を持ち、茶の湯とともに発展してきたこの宇治で、清流宇治川の畔、朝日山の麓に、慶長年間朝日焼は誕生しました。朝日山の土を使い、きれいな水にも恵まれ、茶の湯の文化の根づいたこの土地での誕生はまさに自然の摂理にかなった発足であったと思います。室町期(1390~1573)には、この辺りには幻の窯「宇治焼」があったと伝えられています。唐物の珍重された時代に、国焼のひとつ「宇治焼」がどのような縁で茶の湯に用いられ重宝されたのかわかりませんが、今も名品だけが伝承されています。この「宇治焼」と「朝日焼」の関係については不明ですが、慶長年間に「朝日焼」の刻印を押し発足した、初代奥村次郎衛門藤作(陶作)とはあまり年代差もなく、「宇治焼」が廃窯になった後、しばらく絶えていた窯を新たに「朝日焼」として陶作が興したのではと考えられます。初代陶作についての詳しい資料はありませんが、今窯元に残されている初代の作品は、素朴な中にも格調が感じられ、宇治茶の恩恵と茶の湯の発展の中で生まれた貴重な造形そのもののようです。またいい伝えによりますと、「豊太閤の命により公の名嚥に供する茶器を制作、公深く愛玩せられこの地にお成りあり、以後藤作を陶作と改め家禄を賜った。」とあります。』(「朝日焼 京都・宇治の茶陶-朝日焼の歴史」より)


朝日焼風茶碗
朝日焼風茶碗

朝日焼風茶碗・正面
茶碗正面

茶碗・高台
茶碗・高台

茶碗・見込み
茶碗・見込み

お菓子は、とらや本社・赤坂店の主草(あるじぐさ)
主草

仁清・片男波写し茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第29弾。

茶碗 仁清・片男波写し


『仁清は後水尾上皇の叡覧に供する程轆轤ロクロ造りの名手でしたから,彼の手になった茶碗は何れも,薄くそしてふくよかな丸味のある姿に作られています。…また仁清の意匠は,彼が自分で考案したものかは判然としませんが,もし仁清自身が考えたとしたならば,大変に意匠家であり色彩家であったともいえます。…「片男波カタオナミ」や「鱗波ウロコナミ文様」の茶碗は,(金森)宗和好みと伝えられ,胴が少し引き締まった姿は仁清茶碗の特色の一つに数えられています。』(「880232「茶碗レクチャー4」より)


仁清 片男波写し 茶碗
仁清風茶碗

仁清写し 茶碗正面
★ 赤がうまく発色しなかった。

仁清写し茶碗 正面

仁清写し 茶碗高台
仁清写し茶碗 高台

仁清写し 茶碗 見込み
仁清写し茶碗 見込み

お菓子は、赤坂青野の赤とんぼ
菓子器は、安南蜻蛉文鉢写し
お菓子は青野赤とんぼ、器は安南写し茶碗

赤とんぼ 切断面
上(赤とんぼ):羊羹、外:上用饅頭、中:栗餡
赤とんぼ 切断面

高取焼写し掛分け平茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第28弾。

高取焼き写し掛分け平茶碗


高取焼は時代によって、全く毛色が違っている。高取焼草創期の「古高取」の中でも、特に「内ケ磯窯」は豪放かつ大胆な織部好みの意匠で、ロクロによって成形された真円にヘラで歪みを加えており、今日の視点から見れば芸術性豊かで興趣をそそる志向があるが、その奥に隠された思想により御用窯廃絶の憂き目に遭遇する事になった。後の「遠州高取」になると器は端正になり、古高取とは対照的に瀟洒、風流人好みの作品が焼かれるようになった。』(「高取焼」より)


高取焼き写し掛分け茶碗
高取茶碗写し

高取写し平茶碗 正面
高取茶碗写し 正面

高取写し茶碗 高台
高取茶碗写し 高台

高取写し茶碗 見込み
高取茶碗写し 見込み

菓子は、赤坂青野の桔梗
菓子器は、彫三島白花文鉢
菓子は青野の桔梗、器は彫三島白花文鉢

桔梗切断面
外:練り切り 中:こし餡
桔梗切断面

筆洗形茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第26作。

筆洗形茶碗


朝鮮で筆を洗うために用いられたものを、日本の茶人が茶碗に見立てたものです。筆が洗いやすいように向かい合って、少し切り込みがあります。名物とされている信楽の花橘が有名です。』(「ひめの倶楽部美術館(2号館-茶道具-茶碗」より)

『筆洗茶碗は、李朝の「筆洗い」という道具を模して、日本の作家さんがお茶碗にもこの手のものを造り、江戸時代などでは見られましたが、現在ではこの手のお茶碗を作る作家さんは少なくなっているようです。』(「【萩】新庄貞嗣さんの萩筆洗茶碗より)


筆洗形茶碗
筆洗茶碗

筆洗茶碗
 正面
筆洗茶碗 正面

筆洗茶碗 高台
筆洗茶碗 高台

筆洗茶碗 見込み
筆洗茶碗 見込み

菓子は、赤坂青野の鳴子 in 平三島茶碗
青野の鳴子in三島茶碗

鳴子切断面
上:鳴子形 外:雪平

雪平
『「せっぺい」と読みます。
求肥に卵白と白あんを入れたものが雪平とよばれます。
卵白が熱い求肥の中に入ることによって卵白がかえり、白い生地になるというわけです。』(「和菓子(上生菓子)の作り方「雪平・外郎・こなし」」より)
鳴子切断面

井戸茶碗もどき Part3

抹茶茶碗もどきシリーズ、第24作。

井戸茶碗もどき Part3


井戸茶碗もどき Part3
長石釉を掛けた上に透明釉を掛け、還元雰囲気で焼成。
井戸茶碗

井戸茶碗もどき・正面
長石釉が口縁で止まらずに、少したれすぎた。
井戸茶碗・正面

井戸茶碗もどき・高台
井戸茶碗・高台

井戸茶碗もどき・見込み
井戸茶碗・見込み

お菓子は、赤坂青野の小倉ひねり
菓子器は、蜻蛉文安南風鉢
小倉ひねり

小倉ひねり・断面
小倉ひねり・断面

唐津茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第23弾。

唐津茶碗


『唐津は古くから対外交易拠点であったため、安土桃山時代頃から陶器の技術が伝えられていたといわれ、現在も佐賀県の岸岳諸窯など至る所に窯場跡が点在する。

唐津焼が本格的に始まったのは、文禄・慶長の役の頃からといわれ、鍋島氏によって大量に連行された陶工たちによって、李朝磁器の技術と築窯技術が持ち込まれたのが契機である。』(「『唐津焼き』事典」より)

『江戸時代に入って窯場が林立したために、燃料の薪の濫伐による山野の荒廃が深刻な問題となった。鍋島藩は各地の窯場が燃料の薪を切り出すために山が荒れているという理由で、藩内の窯場の整理、統合を強行した。朝鮮陶工を除く日本人陶工824 人を追放し、伊万里地域の窯場4カ所すべてと有田地域の窯場7カ所を取り潰し、有田地域東部の13カ所の窯場に統合した。それによって窯場は有田に集約されたため、唐津も甚大な影響を被り、多くの窯元が取り壊された。しかし、唐津の茶器は全国でも評判が高かったため、茶陶を焼くための御用窯として存続した。』(同上)


○ 唐津茶碗

この場合、正式には唐津土を使った茶碗。シンプルに。
ちなみに、先般の絵唐津丸十文茶碗は写し。
唐津茶碗

唐津茶碗・正面
唐津茶碗・正面

唐津茶碗・高台
唐津茶碗・高台

唐津茶碗・見込み
唐津茶碗・見込み

お菓子は、赤坂青野すごもり
菓子器は、総織部皿。
すごもり

すごもりの断面
すごもり・断面

古清水風茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第22弾。

古清水風茶碗

『仁清の色絵を継承するのが古清水焼で、その他修学院焼、野神焼、音羽焼、清閑寺焼、御菩薩焼、岩倉山焼、宇治焼、小松谷焼などが京都一円で焼かれた。』(「ひめの倶楽部美術館(2号館陶磁器用語集-か行)京焼き」より)


古清水風茶碗
古清水風茶碗

古清水風茶碗・正面
古清水風茶碗・正面

古清水風茶碗・見込み
古清水風茶碗・見込み

古清水風茶碗・高台
古清水風茶碗・高台

☆ お菓子は、とらやの夕涼み
お菓子は、夕涼み

赤織部茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第21作。

赤織部茶碗

『(赤織部)鳴海織部で使う赤土を素地に使い、鉄絵文様や白化粧土で装飾されています。 主に平向付、平向付見立ての茶碗、皿、鉢などに多くみられます。』(「織部」より)

☆ 第17作では、鳴海織部片輪文沓形茶碗を習作した。
こんどは赤織部の土のみを用い、かつ、鉄絵文様や白化粧土で装飾することも省略したシンプルな赤織部茶碗を作ってみた。


赤織部土を用いただけのシンプルな赤織部茶碗
赤織部茶碗

赤織部茶碗・正面
赤織部茶碗・正面

赤織部茶碗・見込み
赤織部茶碗・見込み

赤織部茶碗・高台
赤織部茶碗・高台

お菓子は、とらやの常夏
お菓子は、常夏

鳴海織部片輪文沓形茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第17作。

鳴海織部片輪文沓形茶碗
写し

       参考資料:「日本陶磁全集」fig.28 中央公論社


鳴海織部

『釉薬、文様は青織部と同じ技法ですが、素地に収縮率の近い白土と赤土を張り合わせて成型するところに特徴があります。白、赤、青、鉄茶の四色で意匠考案することができ、もっとも複雑な文様構成で鮮やかな色彩をもった織部です』(「織部の雑学」より)

織部沓茶碗
『織部焼の特徴のひとつに、大胆で斬新なデザインがあるが、南蛮風の絵や幾何学的な文様、また当時流行した辻が花の意匠と共通する図柄も多い。なお、辻が花をはじめとする染織柄の影響は、織部という職名が示すように、自身が接した染織業者や輸入されてきたさまざまな布類を見聞した結果であろうと推定される。闊達な筆致で描かれた文様は、桃山文化の雰囲気に満ちたもので、富裕な人々の生活の道具としておおいに流行したが、江戸初期の元和年間に急速に衰退していった。』(「茶の湯」より)


鳴海織部片輪文沓形茶碗写し
鳴海織部茶碗

茶碗・正面
茶碗・正面

茶碗・見込み
沓形
見込み

茶碗・高台
高台

お菓子は、とらや 「夏の野
道明寺製 紅餡入
お菓子・夏の野

絵唐津丸十文茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第16作。

絵唐津丸十文茶碗写し


『出光興産の創業者である出光佐三氏(1885~1981)のやきもののコレクションは、古唐津から始まった。その記念すべき第一号が写真にある「絵唐津丸十文茶碗」。意外なことに元は唐津嫌いだったという出光氏は、昭和14(1939)年にこの茶碗と出会い、その素朴さ、素直さに心を打たれ、「これがほんものなら、いくらでももってこい」と言ったのだそうだ。う~ん、一度は言ってみたいセリフである。
 最近になって地元の研究家が、有田町にある小物成(こものなり)という窯跡でこれと図柄の一致する類似の陶片を発見。これで「絵唐津丸十文茶碗」の出所がほぼ分かったわけである。』(「3月号特集・古唐津との出会い」より)


絵唐津丸十文茶碗写し
絵唐津丸十文茶碗

茶碗・正面
絵唐津丸十文茶碗・正面

茶碗・見込み
見込み

茶碗・高台
高台

お菓子は、とらやの「沢辺の蛍
きんとん製 小倉餡入
沢辺の蛍

米色青瓷茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第13弾。

米色青瓷茶碗


米色青瓷の名手には、岡部嶺男岸本謙仁などがいる。そして若手では、確か空手から転進した渡部秋彦が。

米色青瓷茶碗
米色青瓷茶碗

器形は、天目茶碗風にしてみた。
米色青瓷茶碗

見込みと、結晶の様子
米色青瓷茶碗 結晶の様子

高台
高台

菓子は、ささまの上生菓子‘玉川’
『たまがわ(きんぎょくかん)
玉川(錦玉羹
小豆の漉し餡と白餡と黒胡麻の入った白餡を錦玉羹で固めた物です。
美しい流れの玉川を表現しています。
北海道産小豆、北海道産大手亡、砂糖、水飴寒天、黒胡麻、羽二重粉を使用 』(「御菓子処さゝま」玉川より)
ささまの上生菓子、‘玉川’

井戸風茶碗 Part2

抹茶茶碗もどき、第12作。

井戸茶碗もどきPart2


『井戸の名については、諸説有りますが、見込みが深いからつけられたという説もありますが、これは奈良興福寺の寺臣、井戸氏所持の茶碗が当時名高く、これから起こったものという説が一般的です。
 ちなみに井戸の名の起こりであるこの茶碗は、のちに筒井順慶に伝わって、深めで高台が高いので筒井の筒茶碗といわれ、略して筒井筒・・・と呼ばれ、井戸の中の名碗となっています。』(古今亭志ん朝の噺 第33話「井戸の茶碗」より)

☆ 萩土を用い、還元焼成してみた。青み掛かった発色となった。
同じ土を使った酸化焼成は、既報の通り。


井戸茶碗もどき
井戸茶碗もどき

器形は、井戸茶碗風
井戸茶碗もどき

見込み
井戸茶碗もどき

高台
井戸茶碗は、『「わきどり」といって、高台わきが削りとってある』(「茶碗について」より)
この土、この釉薬では“かいらぎ”は出ない。
井戸茶碗もどき

菓子は、ささまの上生菓子 ‘青梅’
『青梅 (求肥)
白餡を求肥で包んだ物です。大きく実った青梅を表現しています。
北海道産大手亡、砂糖、羽二重粉、水飴、片栗粉(手粉として)、着色料(青色1号 黄色4号)を使用』(「御菓子処さゝま」和生菓子 より)
菓子は、ささま'青梅’

草花文紅安南写し

‘抹茶茶碗もどき’第11弾。

草花文紅安南写し


『「安南(あんなん)」とは、中国が唐時代に現在のベトナム北部を支配するために設置した安南都護府に由来し、この地域の陶磁を日本では安南焼と呼んだ。本品は江戸時代から伝来する「紅安南」として名高い。見込中央に「寿」の文字を赤絵具で書く。』(「徳川美術館-過去の企画展示-」より)

本歌は、
釉調
見込みには釉を剥いだ蛇の目があり、中央に赤で寿の字が書かれている。内壁にも唐草風の文様が描かれ、趣を添える。器の素地は白だが、高台内に渋釉をたっぷり施すのも安南茶碗の約束。

形姿

やや端反りの碗形で、高台は広く高く、端正でゆっくりとした姿を持つ。やや厚手のふっくらした造り、染付の上に赤、緑で施された、たどたどしい唐草文様などから、手に取らずとも温もりの伝わる、いかにも茶碗らしい一碗である。』(唐物茶碗ー安南・宋胡録「お茶人のための 茶碗百科大図鑑」世界文化社 P57より)


草花文紅安南写し
紅安南写し

図柄を奈良絵にすると、赤膚焼のような雰囲気になる。
ところで、どうも高温で焼成されたようだ。本歌のカサカサとした味わいがない。
紅安南

高台内は、安南茶碗の約束、渋釉。
紅安南高台

紅安南見込み
写真ではわかりずらいが、釉を蛇の目状にマスキングした。
別日、別の文献によると見込みにはもう一段草花文がめぐらされており、また“壽"ではなく“寿"の字であった。見えないところを想像するのは難しい。
紅安南見込み

お菓子は、鶴屋八幡・よそえ文
こしあん入青こなし葉巻白玉あられ付
お菓子は、鶴屋八幡よそえ文

安南染付・花唐草文碗(国内用)

‘抹茶茶碗もどき’第10作目。

安南染付・花唐草文茶碗(国内用)
 写し。


ただし、失敗作。土灰釉を多く掛け過ぎてしまった。
目標は、絞り手。結果はかすり文様のごとくなった。
根を詰めて、絵を描いたのに・・・。

本来作ろうと思ったものは、『甦える安南染付 ホイアンの奇跡』岸良鉄英著 里文出版 のP31にある花唐草文碗(国内用)。
この茶碗の特徴は、高台が高く、重ね焼きのため見込み部分に円環状に釉が削り取られている。高台内は、輸出用と同じく国内用も鉄渋が塗られている。


安南染付・花唐草文茶碗(国内用)を狙ったもの。
花唐草文碗(国内用)写し

安南の国内用は、高台がすこぶる高いのが特徴。重ね焼きのためと。
花唐草文碗

絣文様
に応用出来ないか・・・。縦だけでなく横にも流れてくれないだろうか。
花唐草文碗

重ね焼き風にするため、見込み部分に円環状に釉をマスキングした。
花唐草文碗

菓子は、鶴屋八幡、柏餅(みそあん)
みそあん入薄黄丸形柏の葉巻く
菓子は柏餅

【参考】
去年作った安南茶碗・絞り手
このくらいの釉の流れを計算していたが、土灰釉を厚く掛け過ぎてしまって、絵が流れすぎてしまった。
安南鉢・絞り手

呉器もどき茶碗

抹茶茶碗もどき第6弾。呉器茶碗の器形を模してみた。


呉器もどき


『碗部は木椀のように丸く、また高台は畳み付きに向かって開いたいわゆる撥高台である。・・
この種の茶碗を焼いた窯は慶尚南道にあり、同じ地域で伊羅保が焼かれている。・・・また呉器は祭器として造られたと推測されるものもある。』

『呉器
御器、五器とも書くが、禅院で使用する塗碗の「ごき」に似た形からこのように呼ぶ。薄手で丈の高い端整な形で、高台は撥形で高く開いているのが特徴である。』(「茶の湯道具事典」野村瑞典著 主婦の友社P229より)


抹茶茶碗器形:呉器もどき
お菓子は、鶴屋吉信呉器もどき茶碗と鶴屋吉信

器形:呉器もどき
呉器もどき

高台
呉器もどき高台

井戸茶碗もどき

‘抹茶茶碗もどき'シリーズの第4作は、井戸茶碗もどきである。


井戸茶碗


井戸茶碗
とは、
『井戸茶碗は作ったのではなく生まれたのだ!との説、「造作したところがない」「それは美を論じつつ作られた品ではない」 この言葉に接したとき、陶芸の世界に入った若い私は強烈な衝撃を受けました。
そうなんだ、平凡な日常の道具にこそ本当の美が宿るそのとおりだと感じました。その柳宗悦の井戸茶碗に対する評価が世の定説になりました。・・・若い頃、 「民芸」に夢中になった頃でした。懐かしいですが、
 しかし井戸茶碗を作りたいと思うようになり、悪戦苦闘していく内にいろいろな思いが目覚めてきたのでした。
何も考えずに、その技法もわからずに、ただ形を追っていっても井戸茶碗にはなりませんでした。
 ●本当に当時の陶工は、無作為だったのか? ●何も考えずに井戸茶碗が作れたのか?
● 本当に朝鮮の飯茶碗だったのか? ●典型的な雑器だったのか?
● 「轆轤は心がゆるんでいるのである。形に面倒は要らないのである。数が沢山できた品である。仕事は早いのである。削りは荒っぽいのである。」本当にそうな のか?本当に?
● 「誰だってそれに夢なんか見ていないのである。こんな仕事して食うのは止めたいのである。焼物は下賤な人間のすることにきまっていたのである。」本当なの か?
● そもそも朝鮮で焼かれたのか? ●なぜ同じ茶碗がないのか、なぜ全て個性があるのか?

 そうして、井戸茶碗への思いは、延々と続き何年か経った頃、よう やく井戸茶碗の雰囲気が感じられる茶碗ができたのでした。そのときの感動は忘れ得ぬ思い出です。』(「井戸茶碗ー見果てぬ夢ー」より)


井戸茶碗もどき
お菓子は、一幸庵の道明寺
井戸茶碗もどきと道明寺

井戸茶碗もどき
井戸茶碗もどき

高台
井戸茶碗もどき

ただ、萩の土を使っただけの飯茶碗にすぎない。とにかく、高台脇の一削りで仕上げるのにこだわっただけのもの。釉薬も窯も違うので、最初からビワ色はでないよと教室の先生から言われている。

とにかく、井戸茶碗もどきは、難しい。いずれまた挑戦することにする。二十年程早すぎたかも・・・。

黒織部茶碗もどき

‘抹茶茶碗もどき'シリーズの第2作は、黒織部茶碗もどきである。


黒織部茶碗


黒織部茶碗とは、
『桃山時代の博多の豪商神谷宗湛の茶会記『宗湛日記』に記された慶長4年(1599)2月28日の古田織部の茶会の記録には、次の一文がある。
ウス茶ノ時ハ、セト茶碗、ヒツミ候也、ヘウケモノ也
ひずみ」と「瓢軽」をもつこの茶碗は、織部茶碗ではないかといわれている。歪んだ形の茶碗は、織部の特徴の一つで、その形を平安時代の木沓に例えて「沓形」という。

黒い織部には、文様がない「織部黒」と、文様がある「黒織部」の2種類がある。黒い色は、焼成中の窯から引き出すことによって鉄釉を黒く発色させたもので、「引き出し黒」と呼ばれている。
』(「桃山陶」より)

『織部は、江戸時代初期に美濃地方(現在の土岐市)元屋敷窯で焼成が開始された。茶人 古田織部の好みで創られたと云われ、織部釉とも呼ばれる銅緑釉が特徴の総織部・青織部や胎土に赤土と白土を用いた鳴海織部などがある。この黒織部は鉄釉を施し焼成中に窯から引き出し急冷したもので、その多くが口縁が歪められた沓形茶碗である。その形体も黒釉の部分に窓を作り文様を描くもの、黒釉をヘラで掻き落とし文様を付けたものなどハ゛ラェテイに富んでいる。』(「黒織部茶碗」より)


○黒織部茶碗もどき
菓子は、たねや

黒織部茶碗もどきと抹茶&生菓子

黒織部茶碗もどき
‘もどき'が本歌と違う点は、引き出し黒でないことである。
もどきは、天目釉で黒を発色させている。文様は釘彫り。
文様は、大和文華館蔵・黒織部から一部借用した。
器形は、別の黒織部の沓形を模した。
黒織部茶碗もどき

高台
高台

プロフィール

yogaz

Author:yogaz
飯山満通信へようこそ!
満73歳になりました。予定寿命まで後7年です。ただいま終活中です。当面75歳までは、ボランティアガイドと生涯学習・介護予防のお手伝いを続けたいと思います。
なお、2006年6月14日から始めた飯山満通信は、2013年12月14日、ブログを引っ越しました。Dtiblogのブログサービスが終了したためです。

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