古京焼わらびの絵茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第50作

このもどきシリーズも50作目となった。
1,2月は、21年度のセミナー年間計画の作成と個人的な研修の受講で忙しく、陶芸教室を休んだ。3月以降、新しく51作目以降に挑戦しようかどうか考えてみようと思っているところである。

古京焼わらびの絵茶碗写し


『見事にデザイン化されたわらびに眼をみはるとともに、江戸初期にして、完ぺきともいうべき域に達した日本的工業デザインに誇りを感じたものである。…この茶碗は、古京焼の範囲に入れるべき古作。古京焼の見どころの一つは、上絵具の重厚な色調にある。赤は暗く沈み、緑は青みを帯びて深く、青は濃いコバルトブルーといった調子。』
(「茶碗のみかた?」カラーブックス413)保育社P55より)

残念ながら下絵付けでは、上絵付のような色は発色しない。


古京焼わらびの絵茶碗写し with 上生菓子・早蕨
古京焼わらびの絵茶碗写し

古京焼わらびの絵茶碗写し with 上生菓子・菜種
わらび絵茶碗に、早蕨ではかぶりすぎると女房が言うので、菜種を合わせてみた。
古京焼わらびの絵茶碗写し2

古京焼わらびの絵茶碗写し・正面
古京焼わらびの絵茶碗写し・正面

古京焼わらびの絵茶碗写し・高台
古京焼わらびの絵茶碗写し・高台

古京焼わらびの絵茶碗写し・見込み
古京焼わらびの絵茶碗写し・見込み

お菓子は、さゝまの早蕨と菜種
器は、加藤唐九郎写しの黄瀬戸どら鉢
早蕨と菜種

早蕨断面
早蕨(薯蕷饅頭)
さわらぴ(じょうよまんじゅう)
『薯蕷饅頭で中は小豆の漉し餡です。蕨の焼印で早春を表現しています。』
早蕨断面

菜種断面
菜種(きんとん)

『軟らかな餡で出来ています。きんとんで菜の花を表現しています。』
菜種断面

お馴染み御菓子処さゝまの店頭
さゝま

木米染付金城製銘茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ 第46弾。

木米染付金城製銘茶碗写し


青木木米の加賀・春日山窯(石川県金沢市)における確かな作品として貴重な資料である。失透性の素地で、微細な貫入が多く半陶半磁といったところ。恐らく赤絵のための素地が、たまたま染付のままで残され、かえってそれが意表をつく洒落たデザインとなったのである。
木米は文化四年(1807)加賀藩の招きで、春日山に窯を開き、作陶の指導をした。木米が去ったあと、松田平四郎が本多貞吉、越中屋平吉羅を使って、窯を存続させた。』(「カラーブック 413) 茶碗のみかた?」保育社 P60より)


木米染付金城製銘茶碗写し


木米染付金城製銘茶碗写し・正面
木米染付金城製銘茶碗写し・正面

木米染付金城製銘茶碗写し・高台
木米染付金城製銘茶碗写し・高台

木米染付金城製銘茶碗写し・見込み
木米染付金城製銘茶碗写し・見込み

◆ 薯蕷製 織留(おりどめ)

『布を織り終えること、または織物の最後の部分を「織留」と呼びます。『織留』は、黄色の薯蕷製で金襴を、黒の羊羹製で織留を飾る房を表わした、きらびやかな錦を思わせる意匠です。』(とらや「生菓子解説」より)

織留 in 高取風掛分け碗
織留 in 高取風碗

織留・切断面織留・切断面

柳原焼三島写茶碗の写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第45作。


柳原焼三島写茶碗の写し

『筑後・久留米藩のお庭焼であった柳原焼は、中国、朝鮮、国焼の写し物を多くつくったが、茶器が主であった。
陶工には、寅吉、良八などの名工がおり、十代藩主有馬月船候自らも作陶した。製品は全て月船侯の贈答品と常什で、市販されることはなかった。大名的端正、高雅の趣があると評されている。この三島写は、枇杷色の発色が美しく、御本風の赤い斑点が景色を作り、端正ながら、やわらかくあたたかで、茶をうまくのませる佳碗であった。』
(「カラーブックス 413)茶碗のみかた? 保育社P73より)


柳原焼三島写茶碗の写し
柳原焼三島写茶碗の写し

柳原焼三島写茶碗の写し・正面
柳原焼三島写茶碗の写し・正面

柳原焼三島写茶碗の写し・高台
柳原焼三島写茶碗の写し・高台

柳原焼三島写茶碗の写し・見込み
柳原焼三島写茶碗の写し・見込み

お菓子は、とらやの「のどかな朝」
平成21年のお題「生」にちなんだお菓子です。
◆ 羊羹製 のどかな朝 紅餡入

『『のどかな朝』は、白い羊羹製の生地で紅色の餡玉を巻き、牛の顔を表わした愛嬌たっぷりの意匠です。やわらかな春の光を浴びて、牛がのんびりと草を食んでいる牧場の朝を思わせます。』(とらや「生菓子解説」より)
のどかな朝on粉引き皿

のどかな朝・断面  紅餡入
のどかな朝・断面

古曾部安南写し茶碗の写し

抹茶茶碗もどきシリーズ 第43弾。

古曾部安南写し茶碗の写し


『古曾部窯は、寛政二年(1790)ごろ摂津の古曾部村(高槻市)で開窯、五代まで続き、明治末年に廃窯になった。高麗・京焼・唐津・明末物などの写しをもっぱら焼いた。遠州七窯の一つといわれているが、遠州とは関係がない。
これは安南染付をねらって作られた茶碗である。口縁は一文字、胴はゆるい曲線で、上に行くほど少し大きくなっている。胎土は鉄分があるので茶色。白化粧をし、薄い呉須で粗末な鳳凰が描かれている。二代目の作で、天保ごろのものであろう。古曾部の押印がある。』
(「茶碗百選」大河内風船子著 平凡社 P121より)


古曾部安南写し茶碗の写し
古曾部安南写し茶碗

古曾部安南写し茶碗の写し・正面
古曾部安南写し茶碗の写し・正面

古曾部安南写し茶碗の写し・高台
古曾部安南写し茶碗の写し・高台

古曾部安南写し茶碗の写し・見込み
古曾部安南写し茶碗の写し・見込み

冬籠 in 赤織部碗

羊羹製 冬籠(ふゆごもり) 白餡入

『長い冬の寒さに耐える草木のさまを紅色の羊羹製で、降り積む雪を山芋のそぼろで表わしました。雪の下でじっと春を待つ生命を感じさせます。』
(とらや「生菓子解説」より)
冬籠 in 赤織部碗

冬籠・切断面
冬籠

李朝白磁鉢形割高台茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ 第42作。

李朝白磁鉢形割高台茶碗写し


『この茶碗は李朝白磁の祭器で、特殊な耳の付いた胴に割高台で、焼物の碗としては異形に属するものである。
割高台については、従来から色々な説があるが、高台を割るということについて、私も一つの愚考を追加したいのである。中国古代の殷、周の礼器「鼎」「爵」の三足から転化、もしくは退化したものではなかったかとー。
だから、この割高台がわが国の茶の湯の礼器である茶碗に取り入れられても、決して不自然でもないと思う。」
(「カラーブックス 413)茶碗のみかた?」保育社 P92より)


李朝白磁鉢形割高台茶碗写し
李朝白磁鉢形割高台茶碗写し

李朝白磁鉢形割高台茶碗写し・正面
李朝白磁鉢形割高台茶碗写し・正面

李朝白磁鉢形割高台茶碗写し・高台
李朝白磁鉢形割高台茶碗写し・高台

李朝白磁鉢形割高台茶碗写し・見込み
李朝白磁鉢形割高台茶碗写し・見込み

柚形in黄瀬戸鉢

薯蕷製 柚形(ゆがた)  白小倉餡入


『柚子は古くから日本人に親しまれ、食用としても幅広く用いられてきました。また冬至には今も柚子湯に入る習慣が残っています。『柚形』は、香り高い柚子の皮をすりおろして加えた薯蕷饅頭です。』(とらや「生菓子解説」より)
柚形in黄瀬戸鉢

柚形・切断面
柚形

古雲鶴茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ 第41作。


古雲鶴茶碗写し


『(本歌は)高麗末期に作られた文字通りの高麗茶碗
胴には、四段に亀甲文が象嵌されている。器肌は高麗青磁特有の青で、やや灰白色を帯びている。亀甲は黒象嵌、その周囲を二本の白象嵌が囲み、亀甲の中に二つの丸い白象嵌をめぐらし、裾には白象嵌の蓮弁が並んでいる。・・・
もとは雑器
で、茶人が抹茶茶碗として取り上げたものである。伝世している高麗象嵌青磁の茶碗としては最も古いものである。利休が所持した「挽木の鞘」や、「狂言袴」と呼ばれる茶碗はこれと同手である。』
(「茶碗百選」大河内風船子著 平凡社 P28より)

雲鶴 - 高麗青磁による筒型の茶碗。貫入によって渋色が染み、景色をかもす。この一種に「狂言袴」と称するものがあり、丸文の象嵌模様を狂言師の水干袴に見立てていう。また、利休所持の「挽木鞘」(ひきぎのさや)が名物として著名である。挽木とは茶臼の取っ手のことで、筒が深いものを洒落ていう。』(「高麗茶碗-Wikipedia」より)


古雲鶴茶碗写し
古雲鶴茶碗写し

古雲鶴茶碗写し・正面
古雲鶴茶碗写し・正面

古雲鶴茶碗写し・高台
古雲鶴茶碗写し・高台

古雲鶴茶碗写し・見込み
古雲鶴茶碗写し・見込み

花びら餅on天目釉皿
花びら餅on天目釉皿

とらやの花びら餅
・断面

『丸い白餅の上に小豆色の菱形の餅を重ね、上に白味噌と砂糖煮にした「ふくさ牛蒡」をのせ、半月状に合せたもの』(とらやの栞より)
花びら餅・断面

三島茶碗「三島桶」写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第39作。

三島桶写し

『附属の細川三斎(ほそかわさんさい)の書状に、「天下無双(むそう)の名物」と称えられた三島(みしま)茶碗。江戸時代初期に「三島」と呼ばれたことが確認できる唯一の茶碗。鼠色の地に白象嵌(ぞうがん)で文様を施した、いわゆる高麗象嵌青磁で、三島茶碗の原型と考えられる。』
(「三島茶碗 銘 三島桶|大名(だいみょう)の数寄(すき)|主な収蔵品|徳川美術館」より)

『高麗青磁風で、三島と称したのはその文様によるものであろう。半筒形によって、三島と呼ばれた。外面に五段の横筋模様・・・。もと利休所持で、すこぶる愛蔵されたようであるが,その姿がおそらく彼の好みに叶ったのであろう。』
(『決定版お茶の心 茶碗」家庭画報編P50より)


三島桶茶碗写し
三島桶茶碗

三島桶写し・正面
三島象嵌筒茶碗写し・正面

三島桶写し・高台
三島象嵌筒茶碗・高台

三島桶写し・見込み
三島桶茶碗・見込み

お菓子は、赤坂青野の‘木の葉舞’
お菓子・木の葉舞

絵志野籬絵茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第36弾。

絵志野籬(まがき)絵茶碗写し

『(本歌は)桃山時代、美濃の大萱で焼かれたものである。・・・
志野の見処は、造形の確かさと、焼成の具合を賞味することは、他の焼きものと同様であるが、特に志野はその独特の温かみを持った有機的な肌の味わいがやかましくいわれる。』(「カラーブックス369)茶碗の見方」P12より)


絵志野籬絵茶碗写し
絵志野籬絵茶碗写し

絵志野籬絵茶碗写し・正面
絵志野籬絵茶碗・正面

絵志野籬絵茶碗写し・高台
絵志野籬絵茶碗・高台

絵志野籬絵茶碗写し・見込み
絵志野籬絵茶碗写し・見込み

お菓子は、赤坂青野の秋風
上:大納言甘納豆 一葉添え
台:ごま入り黄身時雨
お菓子は、秋風


伊藤東彦の布目山葡萄茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第34弾。

伊藤東彦布目山葡萄茶碗写し


『轆轤成形による愛らしい雰囲気の碗形。侘びた風韻すら感じさせる粗いカンバス(布目)に、穏和な日本的色彩で山葡萄を描いた。構図は大胆で迫力があり、質感や色彩との取り合せが巧み。けれんみのない高台削り。』(「茶碗百選」より)

『昭和48年(1973)第20回目本伝統工芸展に初出品した頃から布目技法による作品の発表を始めると、以後は一貫して花や草木を中心テーマとした絵付けによる展開を続けてきた。布目技法を繰り返し改良する中で見つけ出した、しっとりとしたやわらかみのある絵付けと器形によって独自の作品世界を作り上げてきた伊藤は、平成11年(1999)には芸術上の創作に関して事績著明な者に授与される紫綬褒章を受章した。』(「伊藤東彦」より)


布目山葡萄茶碗写し
布目山葡萄茶碗写し

布目山葡萄茶碗写し・正面


布目山葡萄茶碗写し・高台
布目山葡萄茶碗・高台

布目山葡萄茶碗写し・見込み
布目山葡萄茶碗・見込み

お菓子は、赤坂青野の紅葉
外:練り切り
中:こし餡
お菓子・紅葉

珠光青磁茶碗写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第33作。

珠光青磁茶碗写し 


●参考写真は、「茶碗百選」大河内風船子著 平凡社 P24より

『浅い碗形で作行はラフ、胴にはロクロ目があり、高台も無造作な雑器風の作りで、青磁釉が高台の周囲に四つ、五つ幕形に垂れている。色は枇杷色に近い。内面三箇所を櫛でひっかき、偏平な雲形模様を描いている。俗に猫掻という。胎土は厚く、灰白色で、硬い磁質であり、青磁の色は黄白色に近い青である。」(同上)
なお、「茶碗百選」の紹介は、こちら


『それまでの華麗な書院茶と異なる、侘び茶の創始者、村田珠光(1442-1502)は、中国南方の同安窯系諸窯で日用品として大量生産され、多くの国々へ輸出された、櫛書模様の付いた黄褐色の退色青磁碗を、茶道具に取り上げました。それがいわゆる『珠光青磁茶碗』と呼ばれる物です。珠光青磁茶碗は、高麗茶碗と同様に、安価な量産品なるが故の、「無心の賜物」なのです。 室町時代のそれまでは、華麗な天目や青磁といった唐物茶碗が、書院の主役でした。しかし桃山時代になって、高麗茶碗や楽茶碗が、草庵での茶会の主流となりました。』
(「Fuutoujin2」風陶人陶話より)

村田珠光は、
天目茶碗や玉のように澄んだ高級青磁ではなく、当時の中国浙江省の越州窯や龍泉窯、福建省の同安窯などに散在した輸出用雑器を焼くような周辺窯の作品をお茶の席で好んで使用しました。
その茶碗の見た目は決して美しいものではなく、その色は緑か茶色か分からないようなくすんだ色、形もなんとなく少し歪んでいるようなものでした。
しかし、そんな茶碗の中に日本人独特の「詫び寂び」の感性を見出した珠光に多くの茶人は影響を受けます。
それ以来、茶道において格式ばった中国製の高級陶磁器が重用される事は減っていき、くだけた作風のものや逆に下手のものに人気が集まりました。
このように、日本での中国陶磁器の使われ方に大きく影響を与えたのが、村田珠光であり、また珠光が愛した「珠光青磁」なのです。』
(「中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵-」より)


珠光青磁茶碗写し
珠光青磁茶碗写し

珠光青磁茶碗写し・正面
珠光青磁茶碗写し・正面

珠光青磁茶碗写し・高台
珠光青磁茶碗写し・高台

珠光青磁茶碗写し・見込み
珠光青磁茶碗写し・見込み

お菓子は、とらや本社・赤坂店の栗鹿の子
栗鹿の子

仁清の茶碗写し Part2

抹茶茶碗もどきシリーズ、第32作。
前回の仁清の茶碗写しは、片男波(失敗作)。今回は、

仁清の茶碗写し Part2

色絵忍草文茶碗写し 


●参考写真は、「やきもの名鑑[3]楽と京焼」P61より

本歌鑑賞のポイント
『碗形を基本に口縁部に変化をもたせた茶碗。露胎した器肌に萌黄、金彩で忍草が描かれ、それに萌黄の掛け切りが施されていますが、見込みの白釉が一部重なりを見せています。仁清の繊細さと豪胆さを印象づける茶碗として「色絵麟波文茶碗」と並び称せられるものでしょう。加賀藩前田家の旧蔵です。』(同上)


色絵忍草文茶碗香雪美術館
口造りは僅かに波打つ。口辺部から胴の外側一部に緑暗色の釉薬が流しがけされ、さらにその一部に乳濁した釉薬が僅かにかけられている。釉薬がかけ残された部分に忍草が描かれている。
忍草
は「偲ぶ」から、慕い思うもととなることにかけられて、和歌に読み込まれている。

秋ごろわづらひけるを、おこたりて、
たびたびとぶらひける人につかはしける
うれしさは忘れやはするしのぶ草しのぶるものを秋の夕暮れ

伊勢大輔(新古今和歌集 巻十八 雑歌下)


・・・忍草を描くことは、仁清の茶碗の古典文学への親近性を感じさせる。偲ぶとは、今ははるかに遠い所、あるいは鬼界に去ってしまって逢えない人への思いであろう。忍草の図像には、逢えない人への面影が重ねられている。』
(「99kiyou.txt」より)


色絵忍草文茶碗・写し
仁清茶碗の写しPart2

仁清茶碗の写し・正面
仁清茶碗の写し・正面

仁清茶碗の写し・高台
仁清茶碗の写し・高台

仁清茶碗の写し・見込み
仁清茶碗の写し・見込み

お菓子は、とらや本社・赤坂店の栗蒸羊羹
栗蒸羊羹

あとがき
・引用文献で「萌黄の掛け切り」「緑暗色の釉薬」とあるところに、ありあわせの緑釉を使ったので、本歌とはかけ離れた発色となった。
また、掛け切りの方向が違ったものとなった。
・正直なところ私はもともとは京焼が好きではなかった。ところが抹茶茶碗もどきシリーズで仁清や乾山といった巨匠の作品を写真を見ながら習作しているとなるほど良いものかもしれないという気がしてきた。

高取焼写し茶碗Part2

抹茶茶碗もどきシリーズ、第31弾。

高取焼写し茶碗 Part2


Part1は、高取焼き写し掛分け平茶碗
Part2も掛分けだが前回とは別物の、大名家伝来の写しである。


『高取焼とは筑前国福岡藩黒田家の庇護の下に御用焼として焼成された陶器です。藩窯の流れを汲んだ高取焼の窯は運命ともいえる浪々とした移窯を繰り返してきました。小堀遠州の好みを受けて創出された遠州七窯として知られ、茶陶が中心に焼成されました。その起源は文禄・慶長の役の際に召致されてきた渡来陶工・八山(和名:高取八蔵)が初代藩主・黒田長政の命で鞍手郡鷹取山麓(現:福岡県直方市)に開窯した事に始まります。・・・
1.永満寺宅間窯 (現:福岡県直方市永満寺)
2.内ヶ磯窯 (現:福岡県直方市頓野)
3.山田窯 (現:福岡県嘉摩市上山田)
4.白旗山窯 (現:福岡県飯塚市幸袋)
5.小石原鼓窯 (現:福岡県朝倉郡東峰村小石原鼓)
6.大鋸谷窯 (現:福岡県福岡市中央区輝国)
7.東皿山窯 (現:福岡県福岡市早良区祖原)』(「上野焼 高取焼 古美術 骨董 買取」より)


☆ 高取焼宗家・13代高取八山の窯は、1996年の7月に訪ねたことがある。上野(あがの)焼小石原&高取焼、小鹿田(おんた)焼小岱焼高田(こうだ)焼と、北九州第二回目、すなわち福岡・大分・熊本3県の窯場巡りのときに立ち寄り、ぐい呑みを一つ買った記憶がある。素敵なぐい呑みであった。大事にしまってある。

遠州好みの
あの‘綺麗さび’
には及びもつかないが、雰囲気は何とか出たかなと思っている。あの釉薬が手に入ればもう少しましなものができるかもしれないが。もどきはもどきである。


高取焼写し茶碗
高取焼写し茶碗Part2

高取焼写し茶碗・正面
高取焼き写し茶碗・正面

高取焼写し・高台
高取焼写し茶碗・高台

高取焼写し茶碗・見込み
高取焼写し茶碗・見込み

お菓子は、とらや本社・赤坂店の嵯峨野
薯蕷製 小倉餡入 すすきの焼印
嵯峨野

金海州浜形茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第27弾。

金海州浜形茶碗写し


金海茶碗とは
慶尚南道・釜山窯近くの金海窯で焼かれた御本茶碗の一種
器胎に「金」あるいは「金海」の彫銘が入ったものがあるところからこの名がでた
磁器質の胎土に青白色の釉が掛かり、高温で焼かれ堅手の系統に属する
形は椀形で、高台は外に強く開いた撥高台が多く、割高台にしたものは珍重される
胴には猫掻きといって櫛目様の筋が金海の景色として約束になっている
口造り
は桃形を上として、洲浜形がこれに次ぐ
作行きは薄く、土見ずの総釉でほんのりと赤みのでているものもある』 (丸山陶季「金海茶碗」より)

☆ シリーズ第5弾で、金海茶碗・猫掻き手を紹介した。

今回は、『千家名物 金海洲浜形茶碗 銘 藤浪』などに見られる金海州浜形茶碗の習作を行った。(参照:「(総合案内>お知らせ>承天閣美術館


金海州浜形茶碗写し
金海茶碗

金海州浜形茶碗写し 正面
金海茶碗 正面

金海州浜形茶碗写し 高台
金海茶碗 高台

金海州浜形茶碗写し 見込み
金海茶碗 見込み

お菓子は、赤坂青野の秋桜
菓子器は、粉引茶碗
菓子は秋桜 器は粉引茶碗

秋桜切断面
秋桜断面

朝鮮唐津茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第25作。

朝鮮唐津茶碗


『唐津焼とは、桃山時代から現代に至るまで、佐賀県西部や長崎県北部など肥前各地の窯で生産されてきた陶器のことをいい、そのうち、草創期の桃山時代から江戸時代初めに作られた唐津焼のことを「古唐津(こがらつ)」と呼んでいる。
 最初の唐津焼は、朝鮮から海を渡ってやって来た陶工達を中心に、佐賀県は唐津市の南にある岸岳山麓の陶工達と共同で焼いたものなのだそうだ。古唐津のあの清楚な雰囲気は、朝鮮の遺風からも来ているのである。… 茶の湯の最高峰の逸品として、懐石膳の皿や鉢などとして、酒器──特に魅惑的なぐい呑の逸品として、様々な顔を持つ「古唐津」は、各々のポジションで着実な世界を築きあげてきた。』(「3月号特集・古唐津との出会い」より)

朝鮮唐津
とは、『黒飴色の鉄釉(てつぐすり)と、白い藁灰釉(わらばいゆう)を掛けわけて施した唐津焼。』(「陶芸・陶磁器に関する用語集」より)

つまり茶道具に朝鮮唐津の水差しなどはあっても、茶碗の伝世品はないようだ。適当に茶碗にトライした。

なお、朝鮮唐津徳利は以前投稿したことがある。


朝鮮唐津茶碗
朝鮮唐津茶碗

朝鮮唐津茶碗・正面
朝鮮唐津茶碗・正面

朝鮮唐津茶碗・高台
朝鮮唐津茶碗・高台

朝鮮唐津茶碗・見込み
朝鮮唐津茶碗・見込み

お菓子は、赤坂青野の赤坂もち
菓子器は、飴釉皿
お菓子は、赤坂もち

赤坂もち・断面
赤坂もち・断面

三島茶碗習作

抹茶茶碗もどきシリーズ、第20作。

三島平茶碗

☆ 第7作では、古三島茶碗 銘二徳三島を習作した。
こんどは夏茶碗といわれる平茶碗にアレンジし、線刻の位置などを変更してみた。

三島平茶碗
三島茶碗

本歌の、三島茶碗 銘二徳三島は、
『見込みに印刻で連続文様を施し、口辺には箆彫りで文様をめぐらせて、その上に厚く白泥を刷毛塗りしている。そのために文様の深さによって白化粧が濃淡に変化している。また外側には文様はなく、線刻が一本めぐらされているが、茶碗として伝世する三島の場合、外側に文様が施されたものは少ない。高台部分には白化粧はなく、胴裾の刷毛目が薄くかすれて味わい深い。・・・』(「やきもの名鑑[5]朝鮮の陶磁」講談社 P98より)

三島平茶碗・正面
三島平茶碗・正面

三島平茶碗・見込み三島平茶碗・見込み

三島平茶碗・高台三島平茶碗・高台

☆ お菓子は、とらやの御階の本(みはしのもと)。お菓子、とらやの御階の本

刷毛目平茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第19弾。

刷毛目平茶碗

夏茶碗といわれる平茶碗を作って、刷毛目にしてみた。


刷毛目茶碗
白泥を刷毛で掃いたもので、刷毛の目の立ち具合や、荒さ、色合い、染みなどを見所としている。それぞれ刷毛目の筆勢の素晴らしさが賞玩され、あるいは粉引と同じく時代による雨漏り染みや星状の斑紋などが景色を為しているものが多い。全般に浅めで、口辺が端反っている。通常は真円だが、薄作のため編み笠形や州浜形にひずんでいるものもある。』(「高麗茶碗作品集・丸山陶李」より)


刷毛目平茶碗
刷毛目茶碗&西瓜

刷毛目平茶碗・正面
刷毛目平茶碗・正面

刷毛目平茶碗・見込み
刷毛目平茶碗・見込み

刷毛目平茶碗・高台
刷毛目平茶碗・高台

☆ お菓子は、とらやの「西瓜」。
琥珀製とらやの西瓜

銹絵茶碗・乾山写し

抹茶茶碗もどきシリーズ、第18作。

銹絵茶碗乾山写し

参考資料:「日本陶磁全集」中央公論社
    fig.22 銹絵染付芙蓉図茶碗
    fig.17 銹絵滝山水図茶碗


乾山・銹絵染付芙蓉図茶碗
写し
乾山写し

『尾形乾山が京都の右京、仁和寺の奥に位置する鳴滝に窯を築いたのは、元禄12年(1699)でした。…
平成12年(2000)に「法蔵寺鳴滝乾山窯址発掘調査団」(出光美術館も参加)が結成され、初めて科学的な研究のメスが入れられました。…
乾山は当時、長崎を通じて中国の最先端の文化が流入していた黄檗宗の嵯峨野・直指庵に参禅し、霊海の号を得ていました。この国際色豊かな教養やファッション性をもっていた黄檗宗のネットワークのなかで、乾山は和漢の国際的な文化を背景とした、懐石のうつわなどへ積極的に取り組んでいたのです。』(「Fuji-tv Art NET:乾山の芸術と光琳」より)

茶碗・正面(1)銹絵染付芙蓉図写し
茶碗正面(1)

茶碗・正面(2)銹絵滝山水図写し
字は、より下手なので、乾山の別の絵の習作を裏面に施した。
茶碗正面(2)

見込み
見込み

高台
高台

お菓子は、とらやの「水仙巌の花
葛製 白餡入
水仙巌の花

備前緋襷抹茶茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第15弾。

備前緋襷抹茶茶碗



『緋襷(ヒダスキ)
素地に稲藁を巻いて焼成すると、藁の跡が緋色の筋となって発色します。登り窯では「サヤ」に入れて、割り木の炎を遮断して焼かなければならないので、以前は貴重な焼けのひとつでした。今は、ガス窯・電気窯で、鮮やかな緋襷が作り出せるようになりました。』(「備前焼について」より)

☆ 抹茶茶碗もどきシリーズのなかで、これも自分では気に入った茶碗のひとつである。

備前緋襷

正面
備前緋襷

見込み
備前緋襷・見込み

高台
備前緋襷・高台

菓子は、とらやの『琥珀製 若葉蔭』
琥珀製 若葉蔭

御本立鶴茶碗

抹茶茶碗もどきシリーズ、第14作。
☆ この抹茶茶碗もどきシリーズの中で、特に気に入っている習作の1つである。


御本立鶴茶碗写し



御本立鶴茶碗写し
御本立鶴写し茶碗


『御本を代表する作品といえばやはり御本立鶴茶碗である。器形はほぼ一定した筒型で、高台はざっくりとした割高台となっている。胴の二方にとぼけた姿の鶴が白と黒で象嵌され、総体に透明釉が掛けられている。この鶴の文様については、加賀前田家の祝いに徳川家光が描いた鶴の絵を下絵にしたと伝えられている。その真否はともかく、十数碗知られるこの種の茶碗のいずれも同じ構図である。胎土に含まれている鉄分が、焼成時に赤く発色して所々に赤みがさし、あるいは鹿の子状の斑文が現れる。すでに和風化した茶碗であるが、御本茶碗のなかでは風格があり、茶人の間では格別なものとされている。』(「やきもの名鑑5 朝鮮の陶磁」講談社 P136より)


『御本は寛永十六年の幕府に於ける大福茶の茶碗として、遠州の指導で造形され三代将軍家光公に鶴の絵を依頼してこれを型にし前後に押して白と黒の象嵌を施したもので、御手本から始まったことから御本とよばれるようになった。本歌はいずれも大振りで、均整がとれており高台が三ツ割でしっかりとしている
はじめ釜山は取り次ぎの館を設けていただけだったが、途中から釜山の倭館内に窯場を築き、近辺の各地からその陶土を集荷した
御本も元禄をすぎるとしだいに陶土の集荷が困難になり、ついに享保二年(1717)にその幕を閉じ、その後しばらくは対馬でこれを補うがやがてこれも閉窯する事になる』(丸山陶李「御本茶碗」より)


御本立鶴茶碗写し
御本立鶴茶碗写し

見込み
御本立鶴茶碗写し 見込み

割高台
高台の径は、本歌より大きくしてみた。
御本立鶴茶碗写し 割高台

菓子は、ささまの上生菓子‘紫陽花’
『紫陽花(錦玉)
白餡に半錦(錦玉と羊羹の中間の物)を付け淡雪羹を付けた物です。
雨に濡れ咲いている紫陽花を表現しています。
北海道産大手亡、砂糖、水飴、寒天、卵白、着色料(赤色3号 赤色105号 青色1号)を使用』(「御菓子処さゝま」紫陽花より)

ささまの上生菓子、‘紫陽花’

甦える安南染付 梅花文碗写し

甦える安南染付 ホイアンの奇跡』   

                    岸良鉄英著 里文出版


『近年、ベトナム沿海域でいくつかの沈没船が発見され、多くの陶磁器が引き揚げられている。その中でも、ホイアンのクーラオチャム沖での沈没船からは20数万点のベトナム陶器が発見された。
2000年10月、「ホイアンの秘宝」と題して、これら引き揚げ陶器の一部が、アメリカにおいてオークション販売された。オークション図録で見る限り、過去に見たこともない輸出用ベトナム陶器の優品が含まれていた。』(同上P1)

『(安南染付小品図鑑 (3)茶碗と盃)  その造りには三種類ある。
?伏せ焼き、?重ね焼き、?単一で焼かれるもの
一番上手とされるのは、伏せ焼きや重ね焼きの技法をとらない作品である。
口縁部や見込みに釉が掛かり、見込みには梅花文が描かれることが多い。藍色の発色、筆運び、形状いずれも造る側の気遣いを感じさせる丁寧な造りである。』(同上P29)


この本に出てくる図録(同上P30)をみて、習作してみた。
‘抹茶茶碗もどき’第9作目である。

● 甦える安南染付・梅花文碗 

輸出用安南茶碗写し

梅花文碗写し梅花文碗写し・横側

梅花文碗写し・高台
輸出用は、ベトナム国内用に比べると高台が低め。
本歌は、薄く鉄渋が塗られている。(写しは、鬼板)
梅花文碗写し・高台

碗の見込みは、梅花文。
梅花文碗写し・見込み

お菓子は、鶴屋八幡・花菖蒲
玉子あん入紫あんきんとん
鶴屋八幡・花菖蒲

粉引茶碗

‘抹茶茶碗もどき’第8作、粉引茶碗。


粉引茶碗


『高麗茶碗の中で「雲鶴狂言袴」の類についで古いと見られているのが
三島・粉引・刷毛目の粉青沙器の類である。
年代的には李朝前期の15世紀から16世紀にかけて、井戸や呉器より
古くから始まっており、年代の幅も広い。
産地は、忠清南道と慶尚・全羅のそれぞれ南北両道の広い地域だが、
この中でも忠清南道の鶏竜山は三島・刷毛目の優れた物を多数輩出している。
これら粉青沙器は同じ窯で同時に産出する事もあった。』(「粉引茶碗」より)


粉引茶碗と鶴屋吉信の上生菓子
粉引茶碗と上生菓子

白化粧土を掛けるとき、火間を作ってみた。

『胴の一部に、釉薬がかからず土が見える部分で、特に褐色に発色しているものを「火間(ひま)」といい粉引の見所とされます。』(「粉引茶碗」より)

粉引茶碗

高台
粉引茶碗高台

三島茶碗

三島茶碗の銘二徳三島の習作をした。
‘抹茶茶碗もどき’第7作である。


三島茶碗


三島という名称の由来については見込みに施された文様が三島大社の暦に似ているためともいわれるが他説もあって確かなことはわからない。この種の碗は朝鮮半島全域の窯で焼かれていたようで、日本に伝世する茶碗の産地は特定しがたいが、他の高麗茶碗の産地と考え併せて、おそらく慶尚南道で焼かれたのではないかと推測している。…彫三島や御本三島はこの種のものとは区別している。』(「やきもの名鑑5 朝鮮の陶磁」講談社P98より)


三島茶碗もどきと鶴屋吉信の上生菓子
三島茶碗もどきと鶴屋吉信

三島茶碗もどき

三島茶碗もどき

高台

金海茶碗・猫掻き手もどき

抹茶茶碗もどきの第5弾は、金海茶碗もどき。


金海茶碗・猫掻き手


金海茶碗
とは
『慶尚南道・釜山窯近くの金海窯で焼かれた御本茶碗の一種
器胎に「金」あるいは「金海」の彫銘が入ったものがあるところからこの名がでた
磁器質の胎土に青白色の釉が掛かり、高温で焼かれ堅手の系統に属する
形は椀形で、高台は外に強く開いた撥高台が多く、割高台にしたものは珍重される
胴には猫掻きといって櫛目様の筋が金海の景色として約束になっている
口造りは桃形を上として、洲浜形がこれに次ぐ
作行きは薄く、土見ずの総釉でほんのりと赤みのでているものもある』(「金海茶碗」より)

金海茶碗もどき
お菓子は、一幸庵のわらび餅
金海茶碗もどき・猫掻き手とわらび餅

金海茶碗・猫掻き手もどき
猫掻き手もどき

高台は、撥形に開き、四方が切り落とされた割り高台。
猫掻き手もどき

伊羅保茶碗

抹茶茶碗の習作‘抹茶茶碗もどき'の第3弾は伊羅保茶碗。


伊羅保茶碗


伊羅保茶碗(いらぼちゃわん) とは、高麗茶碗の一種で、多くは江戸時代初期に日本からの注文で作られたと考えられています。
伊羅保の名前は、砂まじりの肌の手触りがいらいら(ざらざら)しているところに由来するとされています。
作行は、やや薄めで、形は深め、胴はあまり張らず、腰から口まで真直ぐに延び、口が大きく開いていいます。
素地は、鉄分が多い褐色の砂まじりの土で、轆轤目が筋立ち、石灰の多い伊羅保釉(土灰釉)を高台まで薄く総掛けしてあり、土見ずになっています。

伊羅保茶碗には、「古伊羅保(こいらぼ)」、「黄伊羅保(きいらぼ)」、「釘彫伊羅保(くぎぼりいらぼ)」、「片身替(かたみがわり)」などがあります。

「古伊羅保」は、大振りで、口縁には形成のとき土が不足して別の土を付け足した「べべら」があり、口縁の切り回しがあり、高台は竹の節、時には小石も混じって「石はぜ」が出たものもあります。見込みに白刷毛目(内刷毛)が一回りあり「伊羅保の内ばけ」といって約束になっています。
黄伊羅保」は、黄釉の掛かったものをいい、やや端反で口縁は切り回し樋口(といくち)になっていて、べべら、見込みの砂目、竹の節高台が約束事になっています。
「釘彫伊羅保」は、高台内に釘で彫ったような巴状の彫があり、口縁は切り廻しないが山道になりべべらがあり、高台は竹の節でなく兜巾もありません。
「片身替」は、失透の井戸釉と伊羅保釉が掛け分けになったもので、高台は竹の節、兜巾は丸く大きく、たいてい「べべら」や「石はぜ」があり、見込みは刷毛目が半回りして(井刷毛)必ず刷毛先を見るのが約束になっています。』(「伊羅保茶碗(いらぼちゃわん)」より)

『○茶碗の系譜
茶の湯で使われた茶碗の種類を時代順に列記しました。・・・
高麗茶碗
(朝鮮半島産)
桃山時代に入り朝鮮半島との交流が盛んになると、侘び茶に相性がよかった高麗茶碗が数多く輸入されるようになる。当初は”見立て”の茶碗であったが、やがて日本からの注文で作られるものも出てきた。・・・
第4期
  御所丸 金海 彫三島 伊羅保(第5期に及ぶ)
古田織部
の頃。日本からの注文が始まる。』(「tyatou」より)


○伊羅保茶碗
釉薬は、伊羅保釉。
お菓子は、たねやの生菓子。
伊羅保茶碗と抹茶&菓子

伊羅保茶碗習作
作行を薄めに心がける。
砂まじりの土ではなく、なめらかな信楽赤土を使用。
いらいら感は、伊羅保釉で出す。
べべら、見込みの砂目および切り回しの樋口等も省略。
伊羅保茶碗

竹の節高台
高台

抹茶の緑も映えるし、飲みやすい。

御所丸黒刷毛茶碗もどき

‘抹茶茶碗もどき'を作るのが今年の作陶のテーマである。
抹茶茶碗はまだ十年早いと言われるかもしれないが・・・。
第一号として、次のものを習作してみた。


■ 御所丸黒刷毛茶碗 「緋袴」写し


御所丸とは、
『古田織部によって御所丸船(朝鮮との交易に使われた御用船)で運ばれたことからこのように呼ばれている。
器形は沓形(くつがた)で胴の削り、高台の多角形など、美濃の織部茶碗に似ている。
白無地と黒刷毛目の二種がある。』(「高麗茶碗の種類、見所、約束事」アサヒギャラリーより)

『古田織部の意匠を手本に金海の窯で焼かせたもの
一般に我が国の茶碗の意匠を手本に朝鮮で焼かせたものを御本茶碗と呼んでいるが、その最も早い例といえる。
御所丸とは元来対鮮貿易の御用船の事で、文禄・慶長の役(1592-8)の際に島津義弘がこの手の茶碗を焼かせ、御所丸に託して秀吉に献上したという伝えからこの名がある
御所丸には半磁器質でよく焼き締まった白色の肌のものと、その上に黒い鉄砂を片身替わりに塗った黒刷毛と呼ばれるものがある。
形はいずれも沓形で高台が箆で五角ないし六角に切られている』(「御所丸茶碗」丸山陶季より)

黒刷毛とは、
黒釉で半面が刷毛で塗られ、さらに同じ釉で残りの部分に絵が描かれている
「夕陽」(せきよう)・「緋袴」』(同上)


抹茶茶碗もどき・御所丸黒刷毛茶碗・緋袴写し
生菓子は、たねや
御所丸黒刷毛茶碗と抹茶&生菓子

御所丸黒刷毛もどき
本歌は、モダンな意匠である。
御所丸黒刷毛もどき

高台(六角)
高台

プロフィール

yogaz

Author:yogaz
飯山満通信へようこそ!
満73歳になりました。予定寿命まで後7年です。ただいま終活中です。当面75歳までは、ボランティアガイドと生涯学習・介護予防のお手伝いを続けたいと思います。
なお、2006年6月14日から始めた飯山満通信は、2013年12月14日、ブログを引っ越しました。Dtiblogのブログサービスが終了したためです。

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