二日目の京都庭園巡り

二日目の京都庭園巡り

パンフレット&拝観券
寺院パンフレット・拝観券 2日目

一日目午前、洛西の遅咲き桜庭園観賞を堪能した。午後は、雨の中大谷廟での納骨条件の調査と清水寺チェックをした。二日目は、回復した天気の元で帰りの新幹線まで時間を使って、銀閣寺を核に哲学の道を歩き、永観堂と南禅寺の若葉を楽しむ散歩となった。当初目的達成。

洛東エリアから  

(1) 銀閣寺

境内図
境内図

総門
総門

銀閣寺垣
銀閣寺垣

中門
中門

銀沙灘から見た向月台と銀閣(観音殿)
銀沙灘から見た向月台と銀閣(観音殿)

錦鏡池越しに見た銀閣(観音殿)
錦鏡池越しに見た銀閣(観音殿)

東求堂
東求堂

お茶の井
お茶の井

展望所より
展望所より

庫裡前の松
庫裡前の松

(2) 哲学の道
・銀閣寺近く
哲学の道・銀閣寺近く

・法然院近く
哲学の道・法然院近く

・大豊神社近く
哲学の道・大豊神社近く

・若王子神社近く
哲学の道・若王子神社近く

(3) 法然院
法然院の墓の地図 
法然院が配布している墓地の地図

圓光大師御旧跡
法然院・圓光大師御旧跡

茅葺屋根の山門
法然院・茅葺屋根の山門

山門からの眺め
法然院・山門からの眺め

白砂壇
法然院・白砂壇

講堂
法然院・講堂

手水鉢から一筋の流れ
法然院・手水鉢から一筋の流れ

地蔵菩薩像
法然院・地蔵菩薩像

本堂の玄関
法然院本堂の玄関

多宝塔
法然院多宝塔

cf.拝観謝絶の安楽寺
拝観謝絶の安楽寺

(4) 大豊神社

鳥居
大豊神社・鳥居

大豊神社・狛巳狛猿狛鳶
大豊神社・狛巳狛猿狛鳶

大国社と狛鼠
大国社と狛鼠

日吉社と狛猿、愛宕社と狛鳶
日吉社と狛猿、愛宕社と狛鳶

(5) 熊野若王子神社

熊野若王子神社
熊野若王子神社

若王子神社社殿
若王子神社社殿

恵比寿殿
恵比寿殿

(6) 永観堂
   みかえり阿弥陀 

総門
永観寺・総門

中門
永観寺・中門

釈迦堂の中庭
永観寺・釈迦堂の中庭

釈迦堂の前庭・小判形の盛砂(唐門内)
永観寺・釈迦堂の前庭・小判形の盛砂(唐門内)

三鈷の松
永観寺・三鈷の松

御影堂から見た楓林
永観寺・御影堂から見た楓林

方丈西庭
永観寺・方丈西庭

悲田梅
永観寺・悲田梅

唐門(勅使門)
永観寺・唐門(勅使門)

多宝塔への階段
永観寺・多宝塔への階段

多宝塔からの京の眺め
永観寺・多宝塔からの京の眺め

御影堂
永観寺・御影堂

阿弥陀堂
永観寺・阿弥陀堂

放生池から見た多宝塔
永観寺・放生池から見た多宝塔

楓林を若葉さんぽ
永観寺・楓林を若葉さんぽ

(7) 南禅寺

大寂門
南禅寺・大寂門

奥丹
南禅寺・奥丹

北門から入った処
南禅寺・北門から入った処

三門
南禅寺・三門

三門からの眺め
南禅寺・三門からの眺め

法堂
南禅寺・法堂

法堂内部
南禅寺法堂内部

勅使門
南禅寺・勅使門

本坊・唐破風・大玄関
南禅寺・本坊・唐破風・大玄関

大方丈
南禅寺・大方丈

方丈庭園by小堀遠州
方丈庭園by遠州

小方丈・如心庭
小方丈・如心庭

蓬莱神仙庭
蓬莱神仙庭

涵龍池龍吟庭
涵龍池龍吟庭

六道庭
六道庭

cf.南禅院

水路閣
水路閣

入母屋造こけら葺
南禅院・入母屋造こけら葺


南禅院・門

南禅院庭園/京都の三名勝史蹟庭園
南禅院庭園:京都の三名勝史蹟庭園

南禅院・滝口の石組
南禅院・滝口の石組

cf.金地院
金地院

一日目の京都庭園巡り

一日目の京都庭園巡り

青女の滝の石組/林賢と徳大寺静意が作庭
青女の滝(特別名勝)

本シリーズ冒頭で触れたように今回の旅の目的は法金剛院で徳大寺静意の石組を見ることである。∵小石川後楽園の作庭者・徳大寺佐兵衛が高家だとかの説に対し彼は京の庭師だと思うからである。その手掛りを探しに。あいにく住職が不在だったので奥様に託けたが。不明。

※『後楽園紀事』に出て来るそうだ。←『大名庭園』講談社選書・白幡洋三郎著

◆ 前半/洛西エリアから 
パンフレット並びに拝観券
寺院パンフレット・拝観券・一日目

(1) 法金剛院
 西行や鳥羽天皇を惑わせた待賢門院が復興・再建した寺で、発願者と作者がはっきりしその遺構がそのまま残っている平安時代の数少ない庭園であり、特別名勝である。

案内板
法金剛院・表門

表門
法金剛院・表門

玄関・礼堂と待賢門院桜
礼堂と玄関・待賢門院桜

藤原璋子(鳥羽天皇の中宮・待賢門院)の陵(宮内省管理)
藤原璋子花園西陵

(2) 妙心寺・涅槃堂

分骨した義母の墓にお参りした。結果、退蔵院の観桜を割愛した。
妙心寺・涅槃堂

 cf.妙心寺・総門
妙心寺・総門

 cf.妙心寺・退蔵院庭園
退蔵院庭園

(3) 仁和寺

本坊・御殿案内は、こちら

二王門
仁和寺・二王門

本坊・御殿入口
本坊・御殿入口

勅使門
勅使門

南庭
仁和寺・南庭

南庭と右近の桜
仁和寺・南庭と右近の桜

白書院
仁和寺・白書院

北庭
北庭

黒書院
黒書院

霊明殿
霊明殿

境内ルートマップは、こちら

中門
中門

中門から御室桜と金堂を望む
中門から御室桜と金堂を望む

満開の御室桜
満開の御室桜

五重の塔
五重の塔

金堂
金堂

鐘楼
鐘楼

御影堂
御影堂

(4) 竜安寺

竜安寺・案内図
竜安寺・案内図

山門
竜安寺・山門

石庭
竜安寺・石庭

石庭/実際と図・模型の比較
竜安寺・石庭 図や模型と比較

実際は、石庭の前は観光客で混雑していた
石庭前の観光客

石庭入口
竜安寺・入口

cf.比較的静かな方丈の庭
竜安寺・ 方丈の庭

石庭から出て来た観光客
石庭から出てきた観光客

桜苑
竜安寺・ 桜苑

枝垂桜
竜安寺・ 枝垂れ桜

(5) 金閣寺 

金閣寺案内板
金閣寺・案内板

総門
金閣寺総門

鐘楼と若葉
金閣寺・鐘楼と若葉

金閣(仏舎利)
金閣寺・仏舎利

方丈と陸舟の松
金閣寺・方丈と陸舟の松

金閣寺境内(銀河泉・厳下水・安民沢・金閣寺垣)
金閣寺境内


◆ 清水五条/後半 雨の中をバスと地下鉄(烏丸線・東西線)を利用して洛東へ移動

A.大谷本廟
      実の父と母の分骨が納骨されているので、立ち寄った。
      ついでに、私の納骨の調査を兼ねて/
           築地本願寺と相談してお寺を選定し、大谷廟への納骨を検討することにした。
           費用は、義母の妙心寺と比べて格段に安そうだ。
       /妻は私と同じ墓に入りたくないと。→私は勝海舟ほど悪いことはしていないのに。
 
円通橋(めがね橋)から総門を望む
大谷本廟・円通橋(めがね橋)から総門を望む

大谷本廟案内図
大谷本廟・案内図

次の日から始まる式典準備中の明著堂前
大谷本廟・式典準備の明著堂前

B.清水寺(工事中)/最近ブラタモリで見た状態とは様変わりであった。
    
清水の舞台の修理中
清水舞台の修理中

修理中の補足写真
清水寺・舞台修理中(補足写真)

工事現場から音羽の滝を見下ろす
清水寺・音羽の滝

清水寺の枝垂桜
清水寺・枝垂桜

cf.ブラタモリによると仁王門は移動した/仁王門から見た参道(松原通)
王門から参道(松原通)を望む←仁王門は移動した

二泊三日の京都旅行の夕食等

二泊三日の京都旅行の夕食等(含む、2日目の昼食)

三日とも京都らしい夕食を望んだ。諸般の理由で叶わなかった。一日目偲ぶ会の会食でお腹が一杯となったから。三日目帰りの新幹線に乗る前の早い夕食となったからである。楽しみにしていた京都らしい夕食は中日の一食のみ。それも先斗町に振られて初めて訪れる店であった。

(1)一日目の軽い夕食/はしたて|和久傳 スバコ・JR京都伊勢丹3F
 ・はしたて/和久傳・店内   和久傳の想い
京都・はしたて・店内

 ・玉川人喰岩特別本醸造(京丹後)
玉川人喰岩特別本醸造(京丹後)

 ・むしやしない(虫養い)
むしやしない

 ・ミニ鯛の胡麻味噌丼
ミニ鯛の胡麻味噌丼

 ・メニュー・むしやしない
メニュー・むしやしない

 ・メニュー・飲み物
メニュー・飲み物

(2)三日目は、新幹線に乗る前の早い夕食
海鮮居酒屋 京都 花の舞 京都セレマビル5F            
 ・花の舞
花の舞

 ・祝米・大吟醸 一合
祝米・大吟醸@980円

 ・まぐろのわがまま3種盛り
まぐろのわがまま3種盛り@990円

 ・万願寺とうがらし
万願寺とうがらし焼き@590円

 ・京都三条寄せ豆腐
京都三条寄せ豆腐@690円

 ・丸茄子…
丸茄子・・

 ・ノンアルコールビール
ノンアルコールビール

 ・ちりめんじゃこ・ぶぶ茶漬け
ちりめんじゃこ・ぶぶ茶漬け@490円

(3)二日目の昼食替り/竜安寺・西源院・七草湯豆腐で一杯           
 ・入口
入口・丸は天下一?

 ・庭の眺め
)庭の眺め

 ・七草湯豆腐
七草湯豆腐単品+ご飯

 ・酒一合
酒1合

 ・雨が降り始めた
雨が降り始める

 ・帰りの賑わい
帰りの賑わい

(4)二日目の京都らしい夕食藤本 下京区船頭町197
              
 ・藤本・店頭
店頭

 ・日本酒
日本酒

 ・先付
先付

 ・お椀
お椀

 ・お造り
お造り

 ・揚物
揚物

 ・ノンアルコールビール
ノンアルコールビール

 ・焼物
焼物

 ・ご飯
ご飯

 ・デザート
デザート

相変わらずの貧乏旅

京都旅行/相変わらずの貧乏1人旅

「大人の休日倶楽部」を利用して運賃を倹約し、宿はJR東海・ジパング倶楽部・JTB等を比較して安いものを選択手配した。これからは人並みの旅行をしようと思っていたが、いつまでたっても安く上げてしまう。さがなのか。今回巡る目的地までのアクセスも加味し二条の宿とした。

今回の宿
今回の宿

シャワールームとベッド
シャワールームとベッド

ツインルーム
ツィンルーム

※西洋人客の利用が多いホテルである。バスタブの無い部屋は初めての経験だった。上に固定の大きな蓮口が付き、もう一つ移動のできる普通の大きさの蓮口のシャワーが付いている。

当日は、客が満員でなかったせいか、無料でワンランク上の部屋を手当てしてくれた。
シングルがツインとなり、部屋の面積は少し広い。連泊効果か。

※朝食は、前日コンビニで買っておいて、手早く、かつ、安く済ませるものとした。
二日分の朝食(二条駅近くには、ローソンとセブンの二つのコンビニがあった。

一日目の朝食/ローソン
一日目の朝食

二日目の朝食/セブン
二日目の朝飯

[参考] 二条駅(JR並びに地下鉄東西線)からホテルまでの道中にあった石標
『此附近平安京大内裏朱雀門跡』とある。
此附近平安京大内裏朱雀門跡

花園会館・花ごころでランチ

花園会館・花ごころでランチ

 妙心寺に納骨(総骨)した後、JR山陰線の花園駅まで引き返す予定であった。が、京都から大阪への特急の指定席をとっていたので、時間に余裕があった。そこで、花園会館のレストランで昼食を摂った。私には記憶がないが、もしかしたら初めてではないかも知れない。義兄の納骨の時に使った店かもしれない。

私が注文したのは、精進風和膳@1,944円
精進風和膳@1944円

妻のセレクトは、松花堂  @1,944円
松花堂@1944円

ランチメニュー
メニュー

店内
花園会館・花ごころ・室内

店頭
花ごころ・店頭

義母の骨を京都妙心寺に納骨

義母の骨を京都妙心寺に納骨

妙心寺涅槃堂(納骨堂)で納骨、読経
妙心寺涅槃堂内・納骨

義母の満中陰も終わったので京都・大阪の寺に納骨に行く。京都は女房の先祖と兄が眠っている妙心寺である。義父が死んだとき、徳川最後の将軍慶喜と同じ心境になったとかで大阪の無宗派の寺に入れるよう遺言したので独り骨を収めている。その後広島県の先祖の墓仕舞いをし臨済宗総本山に骨を纏めた。

涅槃堂の門
涅槃堂・門

涅槃堂(納骨堂)への道
納骨堂への道

【追伸】 妙心寺プチ散策
妙心寺境内図
妙心寺・境内図

南総門から大方丈を望む
南総門から大方丈を

山門から大方丈を
山門から大方丈を

仏殿・法堂から大方丈を
仏殿・法堂から大方丈を

※以前、境内を詳しく拝観した。義兄の納骨の時だったろうか。それとも別日の観光の時だったか。
 法堂・天井の雲龍図、国宝の梵鐘、浴室(明智風呂)など拝観。室内、庭、明智風呂など印象深かった。
※※納骨の時期は、通常一周忌に行うことが多い。しかし、喪主である妻がいつまで生きているか、分からない。今は義父や義母のそれぞれの一族を束ねることになってしまっているので、春に改めて一族を集めて、お別れ会を催す予定でもあり、今回は忌明け早々に済ませることにしたそうだ。

 妙心寺・御祈祷札
妙心寺・御祈祷札

納骨の為 京都方面へ旅行予定

義母の納骨の為旅行しますので、しばらく投稿を休みます

 1月29日(日) 満中陰となった。京都妙心寺と大阪の寺に義母のお骨を納めに行きます。22年間ほど義母の見守りや介護のため旅行を控えてきた。暫くぶりに夫婦旅行をします。エコノミー症候群やテロの心配から、もう海外旅行は行かないだろうが、時々夫婦旅行をしたいと思っている。しばらく投稿を休みます。

※ 今回の旅行には間に合わないが、友人の勧めもあり先日「大人の休日倶楽部」に入会手続きをした。
大人の休日倶楽部・仮会員証

父母の墓参り

お彼岸前のお参りに五条坂を尋ねた。
長兄が私達姉弟のために、京都に父母を分骨してくれている。京都訪問も久し振りであったので、明著堂を訪ねた。

浄土真宗本願寺派 本願寺

     大谷本廟 (西大谷)

        明著堂

『明著堂は、親鸞聖人のご墓所である祖壇の前に位置する拝殿で、東西五間、南北十間、内部に柱のない建物です。宝永6年(1709)、第14代寂如宗主の時代に造営されました。正面には、寂如宗主のご染筆による「明著堂」の額が掲げられています。
慶応の火災(1867)では境内の多くの堂舎が失われましたが、この建物は幸いにも類焼を免れ、往時の大谷の面影をよく今に伝えています。
また、祖壇の周囲には歴代宗主裏方の廟墓、祖壇納骨所があります。』
(パンフレットより)

大谷本廟パンフレット
大谷本廟パンフレット
今年は、親鸞750回忌
親鸞750回忌
大谷廟への橋
大谷廟への橋
大谷本廟・総門
大谷本廟・総門
明著堂・遠望

祖壇・明著堂の案内札
祖壇・明著堂案内札
明著堂

この拝堂で、手を合せた。
明著堂
帰路
二天門から仏殿方面
二天門から仏殿方面
仏殿
仏殿

京都東山のパワースポット

京都縁結び&パワースポット 一覧は、こちら
確かめてないので、保証は致しかねます。
私はこのうち、たまたま東山のパワースポット2件を尋ねたことになる。

京都東山のパワースポット

・地主神社
・安井金毘羅宮


清水神社・仁王門脇を登る
仁王門脇を登る
清水の舞台
清水寺・舞台
舞台を通り抜けると、地主神社への階段
地主神社への階段

◆ 縁結びの神さん 地主神社

『縁むすびの神さま大国主命を主祭神として、その父母神、素戔嗚命(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめ)、さらに奇稲田姫命の父母神、足摩乳命(あしなずちのみこと)・手摩乳命(てなずちのみこと)を正殿に祭祀。三代続きの神々を祀ることから、子授け安産の信仰も集めている。芸能と長寿の神さま大田大神、旅行安全・交通安全の神さま乙羽竜神、知恵と才能の神さま思兼大神を相殿に祭祀。末社には商売繁盛にご利益のある栗光稲荷社のほか、祓戸社、おかげ明神、撫で大国、水かけ地蔵、良縁大国を祭祀しています。』
(「神様とご利益|縁結び祈願 京都地主神社」より)

縁結びの神さん

恋占いの石

『ご本殿前に、10メートルほど離れてたつ、ひざの高さほどの2つの守護石。片方の石から反対側の石に目を閉じて歩き、無事たどりつくことができると恋の願いがかなうと伝わる“願掛け”の石。一度でたどりつければ恋の成就も早く、二度三度となると恋の成就も遅れ、また人にアドバイスを受けた時には人の助けを借りて恋が成就すると言われます。若者や海外からの参拝者にもよく知られ、この石で恋を占うことが地主神社参拝の大きな目的のひとつとなっています。』
(「恋占いの石|縁結び祈願 京都地主神社」より)

※ これでは、目をつぶって歩き始めた左の人は右の人のサポートを受けないと恋は成就しない?

恋占いの石
おかげ明神


『どんな願い事も一つだけなら必ず「おかげ(御利益)」がいただけるという一願成就の神様「おかげ明神」。特に女性の守り神として、昔から厚い信仰を集めている。この後方のご神木は「いのり杉」「のろい杉」ともいわれ、江戸時代に女性の間で流行した「丑の刻参り(うしのときまいり)」に使われたという。今も、のろいの願をかけ、五寸釘を打ち込んだ跡が無数に残っている。』(「地主物語(夏)|縁結び祈願 京都地主神社」より)

結構怖いおかげ明神
おかげ明神

◆ 縁切り縁結び碑/安井金毘羅宮

※ S8100の電池が切れた。縁切れではなく電池切れ。よって携帯で一枚だけ撮った。

カップルの参拝が多かったが、その中で縁切りの方から穴を潜り抜けた男性がいた。想定する相手の女性は、連れの女性かそれとも別の女性か。別の女性との縁切りだとすると、この男の自主的なものかそれとも連れの女性の強制によるものか?気分が悪いので、この現場に長くは滞在しなかった。


縁切り縁結び碑(いし)
金毘羅神社・縁切り縁結び

京都 やきもの散歩

京都 やきもの散歩

・清水寺境内にある、仁清・乾山の記念碑
・ちゃわん坂
    cf.私の京焼習作(茶碗もどき2件)
・近藤悠三記念館
    cf.私の近藤悠三習作(小壷2件)
・河井寛次郎記念館
・陶器神社・陶祖神社
・陶匠の家


1) 仁清・乾山記念碑

『毎年10月4日は京焼・清水焼の陶祖である野々村仁清(ののむらにんせい)、尾形乾山(おがたけんざん)の功績を顕彰する法要が清水寺境内の記念碑の前で、森貫主様を導師として営まれています。』
(「ちゃわん坂在住作家・仁清、乾山顕彰法要」より)

清水寺・音羽の滝
音羽の滝
仁清・乾山記念碑は、音羽の滝近くにある。
仁清・乾山記念碑

2) ちゃわん坂

ちゃわん坂
ちゃわん坂
音羽山窯
音羽山窯
清閑寺窯祥平

清閑寺窯祥平

● 私の京焼習作 (抹茶茶碗もどき)

仁清・色絵忍草文茶碗写し

仁清・色絵忍草文
乾山・銹絵滝山水図茶碗写し

乾山・銹絵滝山水図写し

近藤悠三記念館

近藤悠三記念館
近藤悠三記念館
近藤悠三記念館 入場券&パンフレット
近藤悠三記念館入場券・パンフ
ろくろ場
近藤・仕事場
道具置き場
近藤仕事場2

● 私の近藤悠三習作

※ 2004年以前に近藤悠三の習作を試みた時期がある。お恥ずかしながら、作例を掲載する。
小壷1
近藤悠三習作・壷1
小壷2
近藤悠三習作2

3) 河井寛次郎記念館

河井寛次郎記念館

河井寛次郎記念館 入場券&パンフレット
河井寛次郎記念館・入場券&パンフ
陶房/けろくろ
河井・仕事場
素焼窯
河井・素焼窯
登り窯
河井・登り窯
河井の作品は、主に第二室に置かれた、と。
登り窯第二室
快適な空間
囲炉裏
のある部屋
居間
作品

作品室

4) 若宮八幡宮社

若宮八幡宮社

若宮八幡宮
陶器神社案内板
陶器神社案内板

『平成18年度の京都検定1級の問題に、
「源頼義が創建して以来、源氏の氏神として崇敬され、現在地に移ってから陶祖神の椎根津彦命を合祀し、8月に陶器祭が行われる神社はどこか」』
(「若宮八幡宮社-京都検定合格を目指す京都案内-Yahoo!ブログ」より)


陶器市

『五条坂の陶器まつりは遠く大正9年、「六道珍皇寺」にお精霊さんを迎えに行く人々、また大谷本廟(西大谷)へお盆の墓参りに行く人々が五条坂を賑わせていた時に、五条坂に店を構える陶器屋が登り窯で出た大下(おおげ)、要するに一級品として出せないものを陶器市として売り出したのが始まりで、のち陶器祭運営協議会が結成され現在に至っています。』
(「京都・五条坂~陶器祭り~」より)

境内にある陶祖神社
陶祖神社
御祭神・仁清&乾山
御祭神・仁清乾山
若宮八幡宮社脇にある陶匠と思しき家
陶器神社脇の陶匠

高台寺・圓徳院・掌美術館拝観

今回の旅行の主目的は、修学院離宮桂離宮参観。
そのほかは、高台寺周辺と、清水寺周辺を集中的に散策した。
清水寺はよく詣でるが、今まで高台寺の中に入った記憶はない。

高台寺・圓徳院・掌美術館 拝観


高台寺・圓徳院・掌美術館パンフレット
高台寺・圓徳院・掌美術館入場券&パンフ


1) 鷲峰山 高台寺


ねねの道から高台寺へ
※ 面白いことにこの石段は、登るときは三歩、下るときは四歩のリズムになる。従って、上るときは平らな部分から一歩高いところに上がるのに右足・左足が交互になるので足のためには宜しいようで。そこまで考えて石段を設計したかどうかは分からないが…。

ねねの道から高台寺へ
高台寺

『豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長十一年(1606)開創した寺である。』
(高台寺栞より)
高台寺
遺芳庵

葺き替えて間もないのか、随分真新しく感じ、通り過ごすところであった。
遺芳庵
方丈の前庭

方丈
方丈から観月台・開山堂を望む
方丈から観月台・開山堂を望む
開山堂

開山堂
霊屋


霊屋 の内部(ねねの道沿いにあったポスターより)

臥龍廊

臥龍廊
傘亭への道

傘亭

傘亭

時雨亭

菊乃井本店の‘時雨めし’
はここから来ているそうだ。


2) 圓徳院

圓徳院は、北政所ねね終焉の地
『ねねを支えていたのが兄の木下家定とその次男の利房である。圓徳院は利房の手により高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。寛永九年、ねねの没後九年のことである。』
(円徳院栞より)

※ 長谷川等伯の『山水図襖』 高精細複製作品32面が公開されていた。


圓徳院正門(長屋門)

唐門
圓徳院中の門
圓徳院北庭

圓徳院北庭

3) 掌美術館

※ 「天下人と女性 高台寺の宝物」
高台寺霊屋の本尊(豊臣秀吉公の念持仏)大随求菩薩や、徳川家康・秀忠の朱印状などが展示されていた。


掌美術館

石塀小路プチ散歩

石塀小路プチ散歩

※ 少なくとも昔は、知られてなかった。私は通った記憶がない。何時の頃か雑誌等に紹介され、いかにも京都らしい、ゆかしい木塀で有名になってしまった。決して石塀ではなくあくまで木塀で。そこで目で確かめておく必要があると、立ち寄った。

『小路の両側には料亭や旅館、スナックが建ち並び、祇園の奥座敷として粋人に愛されてます。 歴史は意外に新しく大正初期に誕生したとか。 祇園にある多くの路が昔の情緒を失っている中、石塀小 路は伝統建築物保存地区に指定されてますから昔の風情をしっかり 残してます。一時期いわゆるお妾さんの家が多かった事から「お妾 通り」なんて呼ばれていた事もあったようです。 また、その絶好のロケーションから雑誌等によく取り上げられるものの、入口が見つけにくいのか人が少なく情緒的な雰囲気を味わえます。 路は右に折れ左に折れ袋小路?と思いながら数回曲がった所で高台寺通りへと抜けます。 夕暮れに歩くと、料理屋や旅館の看板が薄ぼんやりと光りさらに情緒が高まります。』
(「祇園の路を歩く 石塀小路」より)

石塀小路への入り口は4つあるようだ。

■ 下河原通りからの入り口  2つ

石塀小路入り口?
メゾン叡和横
ここでは何かの撮影が行われていた
入り口?メゾン叡和横
入り口?を進むと
入り口?を進む
石塀どんつき
紅蝙蝠
は、ここの左手にある
石塀どんつき
入り口?
入り口?
入り口?を小路の中心に進むと
左手は、田舎亭
入り口?から進む

■ ねねの道からの入り口 2つ

入り口?
京料理・竹中

入り口?竹中脇

入り口?を小路の中心に進むと、有名な撮影スポットの 木塀

入り口?から進むと、木塀
入り口?
掌美術館・三面大黒天方面から
入り口?
入り口?への小道
入り口?へ
掌美術館・三面大黒天方面から?への入り口
掌美術館から

【参考】ねねの道

ねねの道・道標
ねねの道・道標
ねねの道
ねねの道

錦市場の‘錦大丸よし’で一杯

京都二日目は、錦市場の魚屋の奥で一杯。
なお、電池切れでS8100を使えず、携帯電話で写真を撮る羽目となった。

まずは、● 錦市場

錦市場が開かれた理由の一つには「地下水」が強く関係しています。 昔の錦では、地下水を利用した「降り井戸」で生ものを冷やして冷蔵庫の代わりをしていました。今でこそ、冷蔵庫があり私たちは便利に生活をしていますが、当時は井戸水自体が非常に貴重であり、冷やす方法は「井戸水」以外考えられませんでし た。江戸時代に入り1615年(元和元年)に幕府より魚問屋の称号が許され、魚市場 として栄えました。そして、昭和2年京都中央卸売市場が出来たのを境として、現在のような姿に変わっていきました。』
(「3分で分かる錦市場|京都の台所 錦市場商店街」より)


錦市場への道すがら
新京極通り

寺町京極
錦天満宮
に参拝
錦天満宮
錦天満宮のところを左折し、錦小路を通る
錦小路
一番どん尻に近い処に、鮮魚店 ‘錦大丸’が
魚屋 錦大丸 

 錦大丸よし

五時を過ぎると、鮮魚店に向かって左の通路を奥に進む。
暖簾をくぐると、そこは飲み屋‘錦大丸よし’
今宵は、こちらで一杯。
魚屋の向かって右を奥に進むと
カウンター越しに料理人2人と女性2人
飲み屋のカウンター
まずは、京の酒 京山水
京山水
お通し
お通し
お造り7種盛り合せ
東京でマグロを買い占めるので、京都には美味しいマグロがない、と。そういえば、京都ではヨコワどまり。(なるほど、そうだったのだ。)
お造り5種盛合せ
春鹿
(奈良の酒)超辛口
春鹿(超辛口)
焼き魚 甘鯛(ぐじ)
京都といえば、グジ。同じくらいの価格でノドグロがあったが、ここは京都。迷わずグジを注文。「一汐ぐじ」か。
焼き魚 甘鯛(ぐじ)
白魚
と新玉葱の玉子とじ
白魚の季節。

(※ ところで、メニューのとなりに、ノレソレというのがあった。高知ではノレソレ、岡山で言うベラタ、穴子の稚魚だ。それも今の季節の魚。岡山赴任時代を思い出す。)

白魚と新玉葱の玉子とじ
料理メニュー
料理メニュー
飲み屋を出る頃には、魚屋は完全閉店状態
錦大丸よし 閉店

先斗町21番路地の‘はっすんば’で、一杯

京の旅一日目の飲食は、先斗町で。修学院離宮の最終参観(3時組)が終わって京都中心部に戻ってくると、もう5時を廻っていた。先斗町・木屋町あたりの史跡をぶらぶらした後、先斗町を徘徊。大昔訪れたりこうは、臨時振り替え休日であった。

先斗町21番路地 はっすんば
                  中京区四条通先斗町上ル鍋屋町209-6

※ 後から調べると、なんとこの21番路地には他にも、ミシュラン一つ星という‘炭火割烹 いふき’や‘酒亭 ばんから’などがあったようだ。


はっすんばは、酒も料理も器も最高であった。
スキンヘッドの大将も、なかなか味がある。
後から入ってきた地元の常連さん3人連れは、私と同じシニアであったが、なかなかの通のように見受けられた。

純米吟醸 英勳やどりぎ
いや、旨い酒だ。十四代以上かもしれない。さすが大将は利き酒師。
英勳やどりぎ
お通し
この店では、お通しがお吸い物。
お通し
八寸
はっすん
純米吟醸 古都

古都
へしこ
30年ほど前に、山陰で頂戴した思い出の料理。やはりしょっぱい。
へしこ
海老芋の鳥ソボロ煮
器の、粉引片口も素晴らしい。なかなかの目利きである。
海老芋の鳥ソボロ煮
日本酒リスト
日本酒リスト
料理メニュー
料理メニュー
看板というか、表札というか…。小さくて分かりにくかった。
町の人に聞くと、ここは店を開ける時刻まで看板を出してはいけないルールがあるとか。出してもこんなに小さくては分かりにくい。
看板

高台寺近くの老舗料亭、菊乃井本店で、時雨めし弁当を

二日目の昼食は、老舗料亭で弁当をとった。
「ミシュランガイド2011」において3つ星の評価をもらった店だそうだ。

   老舗料亭 菊乃井本店 東山区下河原通八坂鳥居前下る

『東山の真葛ヶ原は、いにしえより花を愛で、月を愛でる遊興の地でした。菊乃井では今もなお、風雅風流の習いを伝えて、都の宴を饗します。料亭という和の空間に漂う、優雅の気配。京都の季節に生かされてのこその京料理を、美酒と美風のもとで、ごゆるりと。』
(「京都本店|京都の老舗料亭 菊の井」より)

   時雨めし弁当

時雨めし弁当の説明は、こちらが詳しい。


菊乃井本店 玄関
菊乃井本店 玄関
時雨めし弁当
 時雨めし弁当
時雨めし弁当(上から)
時雨めし弁当(上から)
煮物椀&先付け アップ
煮物椀:海老しんじょう、椎茸、三つ葉、松葉柚子
先 付:聖護院かぶら鯛味噌かけ
先付け&煮物碗 アップ
弁当箱 アップ
炊き合わせ、焼物、揚げ物、口取り、小鉢
弁当箱 アップ
時雨めし アップ
東山連山:鯛の身胡麻だれ、雲:山芋とろろ・海苔、月:卵 だそうだ。
時雨めし アップ
座敷・床の間
この建物は、まだ百年ほどしか経っていない、と。
なおこの日は、広間の改装工事中であった。
座敷・床の間
座敷・縁側
座敷・縁側
控えの間
食べ終わるとこちらの部屋に案内され、勘定を。
控えの間
菊乃井本店 アプローチ
アプローチ

石塀小路の‘紅蝙蝠’で、ランチを

京都に着いて、ホテルでチェックインをした後、さっそく路地(ろおじ)さんぽをした。そして
石塀(いしべ)小路
の一軒で、ランチをとった。


    美術倶楽部 金子國義 紅蝙蝠

『代々、祇園の人々の奥座敷として用いられてきた石塀小路の離れ風の一軒家
「美術倶楽部 金子國義 紅蝙蝠(べにこうもり)」は、画家金子國義デザインの着物や帯、ゆかたに加え“國義ごのみ”のスイーツやカクテル、食事も楽しめるお店。』
(「美術倶楽部 金子國義【紅蝙蝠】|紅蝙蝠とは」より)

本格派京割烹
京都の代表的な超有名老舗料理店から暖簾分けを許された割烹「たんたか」2010年末閉店)。「たんたか」は金子画伯はもちろん、地元の通人が通う京割烹を代表する店。
その料理長を務めた大将が繰り広げる正統派の本当の京の「味」をお楽しみいただけます。』
(「美術倶楽部 金子國義【紅蝙蝠】|割烹|カフェ」より)


開店直前の紅蝙蝠
紅蝙蝠
石塀小路コース
付出し、お造り、おしのぎ一品、焼物・揚物、ごはん物、香物、粕汁
石塀小路コース
アップ
アップ
蒸し物
蒸し物
メニュー
メニュー
縁側
縁側
金子國義は東京・神保町で「美術倶楽部ひぐらし」を営む画家であるが、着物のデザインを手がけることから京都と縁がある。この紅蝙蝠も金子の監修による食事処である。2009年3月にリニーアル。

室内
室内

桂離宮参観

修学院離宮参観の翌日、桂離宮を参観した。
天気予報では両日とも雨であったが、いずれも傘を差さずに見学できた。天気男はこういうときに役立つ。

桂離宮参観

『平安時代から観月の名所として貴人を魅了していた桂の里に後年、ドイツの建築家ブルノー・タウトが「永遠なるもの」と賛美した山荘が営まれたのは十七世紀初頭のことであった。
智仁(としひと)親王
によって造営され始めたこの八条宮家の別荘は約三十五年の歳月を費やしてその子、智忠(としただ)親王の代にほぼ現在の規模に到達した。
書院と茶屋と回遊式庭園によって構成されている桂離宮は王朝文化への遥かな憧れと、父子の豊かな教養が流れる珠玉の世界。』
(「楽学ブックス【文学歴史7】京の離宮と御所」JTBパブリッシングP6より)

以下概ね参観経路に従って写真を掲載する。

※ なお、修学院離宮と違って、桂離宮は写真撮影の制限があり、特に移動中の撮影は禁じられていたので、例えば古書院・中書院・新御殿を雁行型に撮るなどが出来なかったのが大変残念であった。勿論、飛び石伝いの順路の部分は、安全第一で我々は忠実にそれに従ったが…。
入門時に渡されるパンフレット
桂離宮・パンフレット
桂垣
桂垣
穂垣
穂垣
参観者入り口
参観者入り口
土橋から御幸道
黒い小石が「霰こぼし」という手法で敷き詰められている。
土橋から御幸道
御幸門
御幸門
表門(内側から)
※ なお、御幸門から表門までは、遠近法(パ-スペクティブ)の手法が取り入れられている。
造営開始は大阪夏の陣の頃、従って西洋の手法がこの頃導入された可能性があるかも、とのこと。

表門(内側から)
御腰掛
御腰掛
御腰掛前延段
「行の飛石」
御腰掛前延段
州浜から月波楼・古書院を望む
州浜から月波楼・古書院を望む
松琴亭・竈
松琴亭・竈
松琴亭一の間・石畳模様
襖の青と白の石畳模様の内、青はかなり色あせていた。
松琴亭・市松模様
松琴亭茶室
松琴亭茶室
流れ手水
流れ手水
石橋
石橋
松琴亭より月波楼&古書院を望む
松琴亭より月波楼&古書院を望む
中書院&新御殿を望む
※ 書院群には、各所に黄金比が用いられているそうで、ここでも西洋の影響が謎とされている。

中書院&新御殿を望む
土橋工事中の園林堂
土橋工事中の園林堂
笑意軒
笑意軒
笑意軒ビロードの腰張
笑意軒ビロードの腰張
笑意軒前の延段
「草の飛び石」
笑意軒前の延段
笑意軒から田圃を
笑意軒から田圃を
月波楼から古書院月見台を
月波楼から古書院月見台を
月波楼
月波楼
月波楼から松琴亭を
月波楼から松琴亭を
月波楼 一の間の床
月波楼 一の間の床
月波楼・化粧屋根裏
月波楼・化粧屋根裏
住吉の松
 住吉の松
中門付近の敷石
「真の飛石」(畳石)
※ 結局桂離宮には、真・行・草の三つの飛石があった。
中門付近の敷石
中門
茅葺切妻造り、四脚門
中門
御庭口門脇の黒文字垣
※ 結局桂離宮には、桂垣・穂垣・黒文字垣の三種類の特徴的な垣があった。
御庭口門脇の黒文字垣

修学院離宮参観

修学院離宮と桂離宮の参観許可書が届いたので、2泊3日の京都旅行に出かけた。
JR東海の「WEB限定販売・ひとり旅京都2泊/京都中心部」で少し格安で行ける。

     修学院離宮参観

修学院離宮は、NHK大河ドラマ『江(ごう)~姫たちの戦国』のの娘とされる和子(まさこ)(のちの東福門院)が入内した
     後水尾上皇が造営したものである。


修学院離宮入門時にもらったパンフレット
パンフレット
※ 予定時間の20分前まで受付は開始されないので、それまで近くの赤山禅院まで散歩した。

修学院離宮総門
修学院離宮総門

◆ 下離宮

寿月観
『建物は柿葺入母屋数奇屋風造り』(パンフレットより)
寿月観
寿月観・一の間
『一の間は十五畳で三畳の上段を設け、一間半の床と、琵琶床、飾棚がある。その棚の戸袋には鶴の絵、下の地袋には岩と蘭の絵が描かれ、筆者はともに原在中である。また、襖四枚には虎渓三笑の絵が岸駒により描かれている。』(同上)
寿月観・一の間
松並木(お馬車道)
※ 通常よく見る松の強選定ではなく、ここでは手のひらを上に広げたようなふわっとした仕上がりの選定法(御所透かし)をするらしい。だから人によっては、あまり手入れをしていないように見えるかも。まだ百年も経っていないのに、古木に見えるのはそのせいか?

松並木

◆ 中離宮

中離宮・中門
中離宮・中門
楽只軒
『楽只軒は、光子内親王の朱宮御所の最初の建物であり、その後、御所は拡張整備されて林丘寺となった。』(同上)
楽只軒
客殿・一の間
『東福門院が亡くなられた後、光子内親王のために女院御所の奥対面所から移築したものである。…
一の間は十二畳半で、一間半の飾り棚を構えるが、互い違いに配された大小五枚の棚板がいかにも霞がたなびいているように見えることから霞棚と呼ばれ、桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されている。』(同上)
客殿・一の間

◆ 上離宮

上離宮・御成門
上離宮・御成門
隣雲亭への石段
隣雲亭への石段
隣雲亭からの眺望
ここは、京都タワーと同じ高さがあるという。
隣雲亭からの眺望
隣雲亭
『頂上に隣雲亭がある。ふり向けば眼下に浴龍池が展開し、洛北の山々が見渡せる。ずっと左手に洛中の街並みがひろがり、その向うに西山の峰々が望まれる。天下の眺望ここに極まった感じであり、後水尾上皇のお心意気を見る思いである。』(同上)
隣雲亭
山寺型燈籠
山寺型燈籠
滝見燈籠
人工の雄滝が向うに見える。
滝見燈籠
浴竜池 ・千歳橋
浴竜池 ・千歳橋
楓橋
「比叡山山系の透き通った水、水深が浅いこと、により魚は大きい鳥に捕られていなくなる。」と、案内人いわく。
楓橋
窮邃亭
『十八畳と付属の水屋の一間からなり、一隅に直角に折れて畳一枚高くした上段を設け、上段西側いっぱいに低く板を渡して御肘寄としている。』(同上)
窮邃亭
土橋
土橋
御舟屋から隣雲亭を
御舟屋から隣雲亭を
西浜から隣運亭を
西浜から隣運亭
※ あとがき
徳川幕府との確執があり激動の時代に生きたにもかかわらず、昭和天皇に次ぎ、長命であったのは、なぜか。
 ・離宮での舟遊びなど色々な息抜き
 ・女性に恵まれていたこと
 ・上離宮などの急峻な地形を歩き回ることによる鍛錬
 ・歌道への精進によるメンタルヘルスケア などか?
逆に、徳川三代との熾烈な闘争がもたらした緊張感が一番効いたかも知れないが、修学院離宮の造営がもたらしたものが大きいと思われる。
 
プロフィール

yogaz

Author:yogaz
飯山満通信へようこそ!
満73歳になりました。予定寿命まで後7年です。ただいま終活中です。当面75歳までは、ボランティアガイドと生涯学習・介護予防のお手伝いを続けたいと思います。
なお、2006年6月14日から始めた飯山満通信は、2013年12月14日、ブログを引っ越しました。Dtiblogのブログサービスが終了したためです。

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