佐倉 歴史民芸博物館見学

閑話休題
  「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とする
   国立歴史民俗博物館  佐倉市城内町117

佐倉歴博
歴博

植物苑で変化朝顔を勉強した後佐倉歴博に立ち寄った。一期一会でもう二度とこの地を訪れないかも知れない思いで足を延ばした。小腹が空いていたせいもある。昔この博物館へは夫婦で訪れた記憶がある。その時は佐倉城址の印象が強かった。今回は展示室を足早に回った。大きい。

国道からの歴博の入口
国道からの入口

(1)展示例
※この日は、展示室1(考古)が改修中で見られない。

A.江戸図屏風
江戸図屏風

B.下総国・地図
下総国・地図

D.経塚分布図
経塚分布図

E.昔の生活・懐かしい場面
昔の生活

F.民族(行事・生活)
民族

G.全国の焼物
全国の焼物

H.学校と教会
学校と教会

I.含漆UV塗装の自動車/cf.特集展示:漆
うるし展


(2)佐倉城址
A.佐倉御城實側圖(大正6年)
佐倉御城實側圖T6

B.佐倉城址公園案内図
佐倉城址公園案内図

C.くらしの植物苑からの入口
植物苑からの入口

D.空堀
空堀

E.椎木門跡/この奥に本丸跡
椎木門跡(奥に本丸跡)

市川国府台最終下見

市川国府台最終下見

※2011年5月投稿分はこちら

国府台城跡は、こちら
国府台城跡

夜泣き石・里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑
夜泣き石&里見軍亡霊の碑

最終下見は圧縮したコース確認である。弘法寺周辺・松戸街道沿いの国府神社や老舗菓子店などを通り、江戸川沿いに里見公園を目指す。公園内では国府台合戦に関連の跡と言われる処をチェック。市川にも船橋と同じ辻切りの風習があるのでついでに。総寧寺は一応チェック。

明戸古墳石棺
明戸古墳石棺

昔抜け穴とされていた処(今は吊橋)から里見八景園(明治)のプール跡を望む
里見八景園プール跡

国府台の辻切り/ちなみに船橋市の辻切りは、こちら
国府台の辻切り

松井天山の鳥瞰図/国府神社・島村菓子店at松戸街道
   「成田山仏教図書館所蔵」根本周辺(含む旧木内邸)
国府神社&島村菓子店at松戸街道

船橋のプチ街歩き

大雨が一休みの間を利用して、船橋の街をプチ散歩した。
地元に詳しい人の案内で、15人ほどで歩いた。
これまでの本格的なツアーでは触れなかった部分を、追加的に掲載してみる。

船橋プチ街歩きの光景

プチ街歩きの光景

西福寺 (真言宗豊山派)

鎌倉時代後期の作と推定される、石造の五輪塔と宝篋印塔
五輪塔&宝篋印塔(西福寺)

了源寺  (浄土真宗本願寺派)

山門から本殿の方を望む。
幕府の大砲試射場の台の跡には、鐘楼堂が建っている。
またその足元には、脱走様の墓があった。
了源寺

船橋大神宮

神輿殿の中の神輿
船橋大神宮・神輿
常盤神社造営工事中の看板
平成27年秋には完成予定と書いてある。
常盤神社造営工事中の看板

いやー、行徳は素晴らしい!

このところのガイド研修は、私にとってディープな経験が続く。
先般は向島、今回は行徳でそういう思いをした。
向島もブログに投稿していない、今回の行徳も中味は投稿しない予定である。
何しろ、写真撮影もしていない。そういう暗黙のルールのもとで、見学させていただいた。

今回は、私も行徳の街をガイドをした。10数回通った行徳であるが、ベテランの相方が予約してくれたお寺さんで、住職の奥さんが隈なく案内していただいた。

その寺は、
      徳願寺

秘仏ではないからと、本堂をオープンしているときは、本堂の外から自由に撮影させてもらえる。例えば、今年の9月に参拝したときに撮影したものは、次のとおりである。源頼朝の妻北条政子が仏師運慶に命じて彫らせたもの。徳川秀忠の妻、お江が所蔵していたのを死後譲り受けたという。

徳願寺本堂 本尊阿弥陀如来像 '12.9.22撮影
徳願寺

この本堂を含め、経蔵、観心堂(閻魔大王像、身代観音像)、お庭などを説明付きで拝観させていただいた。誠にありがたいことである。たまたま居合わせた地元の人も、経蔵などに我々と一緒に入れて、これまで1回も入ったことがないと感激していたのが印象的である。

海神の龍神社を参拝

先般のユーモアサミットの折、時間が少しあったので、海神をプチ散歩した。以前、海神を散歩したときに、足を伸ばせなかった神社がある。
以前立ち寄った、入日神社(意富日の神社初め鎮座の地)は女神、それに対し今回覘いたのは、男神といわれている。写真を撮っていると、社務所から自治会の人が出てきて、話しかけてきた。何しにきたと。参拝の趣旨を説明すると、是非こちら、本殿の彫り物を見て欲しいと。行徳・押切稲荷神社のように、本殿に丁寧な彫り物があった。

海神 龍神社

『西海神に阿須波(アスハ)の宮と呼ばれる龍神社があり、西海神の鎮守である。龍神は海神と同じであり、海上守護の神である。今の鳥居は東方に向っているが、私の幼少の頃は、田の中に南方海に面して、いくつか鳥居が立っていた。この龍王は八大龍王の一つで、鹹海(かんかい)に住む沙羯羅(シャカラ)龍王といわれる。祭礼日になるとこの龍王が降りて来て雨を降らせ、雨の降った年は豊作になると、子供の頃に聞いたが、実際祭礼の日には雨がよく降る。私が住職をしている大覚院は、昔この神社の別当をしていたといわれ、山号を龍王山と称している。因みに当山は天正17年の開創と伝えている。』
(「かいじん?」より)


石碑と鳥居
石碑と鳥居
獅子山と拝殿
獅子山と拝殿
境内の、村社の石碑と、上あごが壊れている龍のコンクリート像が池の中にあった。
境内

自治会の人が推薦する、彫刻を持つ本殿

※いつもは、鳥対策で網がめぐらされているそうだが、この日は3~4日後に祭りがあるため、網が取り払われていて、観察しやすかった。

なお、宮司はおらず、祭りの日には、船橋大神宮の神職が出張して来るそうだ。船橋大神宮と、海神の入日神社・龍神社、および東船橋の茂呂神社は、今も深い関係があるようだ。

まずは、拝殿に向かって右側から回ってみた。
本殿右側と、彫り物
本殿右
本殿・裏側と彫り物
本殿・裏側と彫り物
本殿左側と、彫り物
本殿左

【参考】行徳にも、見事な彫り物のある神社がある。

押切稲荷・本殿の彫り物
押切稲荷・本殿の彫り物

習志野のサルスベリ

今年も、新京成・習志野駅近くの公園に、サルスベリ(百日紅)の花が咲いた。
サルスベリの濃い赤花は、嫌いだ、と女房は言う。
ピンクの花は好きだそうだ。

ピンクサルスベリ


『「約100日間、ピンクの花を咲かせる。」のが名前の由来。』
(「百日紅(サルスベリ)」より)

習志野駅近くの公園に咲く、ピンクの花のサルスベリ
家の玄関先に咲くサルスベリとは違い、ここでは人工的な剪定をしていない。
自然な樹形
が好ましい。
ただ、やや花のピークが過ぎたようだ。疲れが見える。
習志野のピンクの花のサルスベリ
一方、花の盛りの、白花サルスベリ。
花が活き活きとしている。
白い花のサルスベリ

市川中央図書館

市川市の歴史を調べるのに、かの地の図書館を訪ねることが多い。
船橋市のどの図書館よりも充実している感がある。
ところで、市川市の中心が、市川駅・本八幡駅・行徳駅などのどこにあるのか、よそ者にはわかりにくい。
しかし、少なくとも、市川生涯学習センターと市川中央図書館は、本八幡駅が最寄り駅であることがわかった。
また、生涯学習センターへ行くのは、本八幡駅から発車する、ニッケコルトンプラザ行きの無料・循環バスを利用するのが便利である。

◆ 市川中央図書館

市川中央図書館は、生涯学習センターの中にある。現代産業館などの施設も隣接する。
市川中央図書館

ニッケコルトンプラザ

ニッケコルトンプラザは、日本毛織の中山工場跡地に立地するショッピングセンターである。

ニッケコルトンプラザの南入り口側に、コルトン広場がある。
コルトン広場は、ニッケ鎮守の森・おりひめ神社へつながっている。
おりひめ神社を出ると、現代産業館、生涯学習センターである。
コルトンプラザとおりひめ神社
JR本八幡駅とコルトンプラザを結ぶ、コルトンバス。
駅前の長い行列が、コルトンバスの発着場にできる。
コルトンバス

行徳再訪、行徳船津の確認

行徳再訪

行徳船津

古い船津については、葛南雑記・内匠堀の中に、遠藤正道氏・鈴木和明氏の説が掲載されている。長いブログなので、必要ページの図を次のとおり引用させていただく。
この説を頼りに、街を歩いて、それらしい処を、撮影してみた。

内匠堀と江川(澪)
江川という澪(みお)
に、古い船着場があったそうだ。
そして、客船と貨物船の船着場は違っていた、と。
内匠堀

(1)客船の船着場

A.新河岸
          (元禄3年以降、江戸川筋で常夜灯のある処)

新河岸/常夜灯
常夜灯

B.古い船着場・教信寺裏 
          江川(澪/みお、水路)(元禄3年より以前)

『門より舟にのりて、行徳と云処に至る。舟をあがれば、馬にものらず、細脛(ほそはぎ)のちからをためさんと、かち(徒歩)よりぞゆく。』
(「行徳の文学」鹿島紀行より)

『さて、芭蕉の一行は行徳の何処に上陸したのでしょうか。行徳の船着場というと現在常夜灯のある場所が連想されますが、実は貞享4年にはまだあの場所には船着場はできていなかったのです。 『葛飾誌略』に「一、新河岸。川場也。元禄3年庚午(1690)此処へ移る。故に新河岸といふ」とある所から見ると、芭蕉の一行は新河岸ができる3年前に行徳に来たことになります。船を降りたのは旧河岸であったということになりますが、その旧河岸の所在については、はっきりしたことが分かりません。』
(「***市川の歴史を知る***」より)

『松尾芭蕉もここで降りた。』(葛南雑記「内匠堀」より)

『芭蕉が行徳へきた貞享4年(1687)8月は、祭礼河岸と呼ばれた行徳河岸が江戸川筋に移された元禄3年(1690)の3年前のことになる。祭礼河岸というのは、各地の産物を積んだ船の発着場で、人を乗せた船の発着場は別にあった。その場所は、本行徳4丁目の教信寺裏の内匠跡辺りから徳蔵寺裏手の道路が二股になっている辺り、と考えられている。芭蕉もここで船を捨てている。この付近で下船した旅人は、権現道や行徳街道を往来した。また、江戸川を遡上したい人は、川べりへ出て船に乗っただろう。』
(「松尾芭蕉と行徳河岸」鈴木和明氏のブログ より)

客船の古い船着場(教信寺裏)
葛南雑記「内匠堀」でいうのは、この辺りだろうか。

客船の船着場(教信寺裏)
捜した目印:教信寺裏の二股、右内匠堀跡・左江川(澪)跡
教信寺裏の二股、右内匠堀跡・左江川(澪)跡
教信寺入り口の弁財天
教信寺入り口の弁財天
教信寺
・本堂
教信寺・本堂

(2)貨物船の船着場

A.祭礼河岸
          (元禄3年以降、江戸川筋)

なぜ祭礼河岸というのか、
『「葛飾志略」に、「弁天祠有し故にいふと也」』
(「行徳郷土史事典-鈴木和明-Googleブックス」より)

祭礼河岸跡(湊水神宮
祭礼河岸跡(湊水神宮)
祭礼河岸跡(押切排水機場
祭礼河岸跡(押切排水機場)
祭礼河岸の鎮守である、押切稲荷神社
押切稲荷神社・千寿銀杏

B.貨物船の古い船着場・光林寺南側 
          江川(澪/みお、水路)(元禄3年より以前)

貨物船の古い船着場(光林寺南側・押切いこいの家辺り)
葛南雑記「内匠堀」でいうのは、この辺りだろうか。
近くには、おかね塚がある。
元吉原の遊女「かね」は、この辺りで、約束した船頭を待ったのであろうか。

貨物船の河岸(光林寺南側・押切いこいの家辺り)
貨物船の古い船着場(光林寺南側・いこいの家の隣)
貨物船の船着場(光林寺南側・いこいの家の隣)
目印:光林寺
光林寺
【参考】 近くにある、「おかね塚」
おかね塚

※ これで、正解なのか、少し心配ではあるが。

行徳散歩

行徳散歩

行徳海岸は、古くは葛飾の浦などと呼ばれ、製塩が行われていた。徳川家康が東金鷹狩の折、行徳の塩田を見て「塩は軍用第一の品、領内一番の宝」として莫大な金子を与え保護した。さらに生産された塩を江戸に運ぶため、小名木川と新川の開削を命じた。こうして出来た日本橋小網町の行徳河岸と行徳の新河岸を結ぶ三里八町、3時間の航路により、その後、江戸に供給される米などの流通の一大拠点となっていく。 
成田詣で・香取鹿島詣でなど人もこの船便を利用したので、行徳は宿場としても栄えた。また、「行徳千軒寺百軒」といわれるほど寺院がおおく、寺町としても見処がある。
全国の神社や町内に広く納入されている行徳神輿についても回ってみた。

【参考資料】
  ・「江戸名所図会」
  ・「行徳郷土史事典」ほか 鈴木和明著
  ・「文化の街かど回遊マップ」市川市文化国際部文化振興担当
  ・「歴史的街並みの散歩道-行徳-」
  ・「寺町通り周辺の案内」など

【散歩の行程】

東西線妙典駅-
(成田道)-春日神社-(寺町公園)-徳願寺-妙応寺-長松禅寺神明(豊受)神社-大徳寺-自性院-(権現道)-法泉寺-妙覚寺-法善寺-円頓寺-浄閑寺-正讃寺-八幡神社-(行徳街道)-田中邸加藤邸笹屋うどん跡常夜灯-浅子神輿跡-後藤神輿-(内匠堀)-馬頭観音-中台神輿-妙典駅


1)行徳塩田

 塩場山長松禅寺
『当時このあたりは塩場(塩田)であり、山号(塩場山)はこれに由来する。
本尊は薬師如来であり、塩焼の労働者たちの信仰を集めていたという。』(【由来・いわれ】より)
塩場山長松禅寺

 法善寺(塩場寺)
『慶長五年(1600年)、大阪から来て塩焼を教えたという河本弥左衛門が出家し、宗玄和尚と名乗り創建した。当寺は行徳の製塩に深い関係があったことから、塩場寺(しょばでら)と呼ばれている。』(【由来・いわれ】より)

『本堂前の松の樹下を塩塚といい、そこに行徳の俳人たちが松尾芭蕉の百回忌を記念し、句碑を建立した。「うたがふな潮も華も浦の春」』(【歳時・みどころ】より)


 加藤邸・塩問屋/
   加藤家住宅主屋・煉瓦塀:登録有形文化財・文化庁
『「この家は江戸時代の末から明治の初めにかけて建てたものであること、かつては塩問屋で裏の河岸から塩を出荷したこと、何年も上がっていないが二階にはかつて船がおいてあったこと、・・・』
(「市川市|旧行徳街道沿いの旧家加藤邸」より)
加藤邸・塩問屋

 田中邸・塩場師 (この日は、工事中)
『行徳3丁目バス停隣はかっての行徳塩田所有者であった塩場師(ショバシ)田中家の邸宅である。いずれも繊細な格子が美しい旧家だ。田中邸の軒先に芭蕉句碑があった。鹿島での一句である。  「月はやし梢は雨を持ながら」』
(「木下街道」より)
田中邸・塩場師

2)物流・街道

日本橋小網町・行徳河岸から行徳・新河岸まで三里八丁(行徳から3時間、江戸から6時間)。
(小名木川-新川-江戸川を総称して、行徳川と呼ぶことがある。)
行徳船の数は、嘉永年間62艘。
行徳船の大きさは、9種類あるが、15~24人乗り・船頭一人の手こぎの茶船。

A.行徳船場

 常夜燈
常夜灯

行徳船場 江戸名所図会
行徳船場 図会

 上記図絵に出てくる、行徳船場跡(新河岸跡)、八幡宮、笹屋うどん跡
行徳船場
 成田街道沿いの家
成田街道沿いの家

B.権現道

権現道
行徳街道が出来る以前の古道
である。家康・秀忠・家光は、船橋・東金へしばしば鷹狩に出かけた。この時通った道である。幅はわずか2m。利根川を東遷させたのと同じ目的がこの鷹狩にあると私は思う。佐竹や伊達に対する備えのための、大軍事演習。

権現道

C.内匠堀跡

内匠堀跡
『鎌ヶ谷(囃子水)から浦安の当代島まで,約15kmにわたって水路が開かれていました。』
(「内匠堀」より)
この水路の内、国道14号線より南側が、内匠堀と呼ばれるそうで、灌漑用水の役目を終えて、今はほとんどが暗渠となっています。
内匠堀跡

D.行徳街道

行徳街道とは、千葉県市川市から浦安市にいたる街道をいう。加藤邸・田中邸、笹屋うどん跡、旧浅子神輿店・後藤神輿店などが面している。


3)寺町

行徳徳願寺 江戸名所図会
行徳徳願寺 図会
上記の図会に載っているのは、大徳寺、妙応寺、自性院、徳願寺である。
図会・行徳徳願寺

A.徳願寺

 徳願寺・神門と鐘楼
徳願寺・神門と鐘楼
 徳願寺・本堂
徳願寺・本堂
 徳願寺境内

経蔵
観心堂(運慶作閻魔大王像、身代観世音菩薩など安置)、永代橋落下溺死者供養塔、宮本武蔵供養
(※なぜ行徳に永代橋の供養塔があるのか?日本橋成田山講中の謎とともに。)

徳願寺境内

B.浄閑寺

浄閑寺
浄閑寺
 浄閑寺・六面塔(明暦大火の供養塔)など
浄閑寺・六面塔など
C.神明(豊受)神社
神明(豊受)神社
D.八幡宮
行徳八幡宮

4)神輿店

 神輿店
北海道から九州まで、全国の神社・町内に神輿を納入。
現在も稼動中は中台製作所だけ。浅子神輿店、後藤神輿店は廃業した。
神輿屋

船橋大神宮 (意富日の神社) に参拝

改めて、船橋大神宮に参拝し、境内を撮影した。

意富日(おおひ)の神社

意富日(おふひ)神社 江戸名所図会
意富日の神社・図会

『船橋の駅、上総海道と成田海道との岐れ道、五日市場村に宮居す。
世に船橋大神宮と称す。
『延喜式』(九二七)内の御神にして関東一の宮と崇む。神官大宮司富氏奉祀せり。』

「意富比」の由来

『・大火あるいは大炊の意で食物神とする説。
 ・夕日を真正面に受ける高台にあることなどから夕日とみる説
 ・古代の有力豪族である意富氏の氏神とする説
 ・大日の意で、この地方の農民がもとから信仰してきたお天道様(太陽神)とする説』
(「意富比神社-Wikipedia」より)

江戸名所図会「意富日神社 九月廿日祭祀之図」は、こちら

現在の
   ◆ 船橋大神宮

鳥居(一の鳥居ほか)
鳥居
神門
神門
拝殿、本殿、延喜式・石碑(延喜式内意富比神社とある)
拝殿、本殿、延喜式・石碑
灯明台

『三階の灯室は、洋風の灯台の様式を採り入れた六角形で、ひときわ目を惹きます。明治十三年(1880)、地元の漁業関係者らによって建設されました。』
(「船橋大神宮 参拝のしおり」より)
灯明台
お酉さま
『例年、十二月の酉の日(一、ニ)は末社大鳥神社(御祭神日本武尊)の例祭日で、酉の市として賑わい、「船橋のお酉様」と近在の人々に親しまれています。』(同上しおり より)

大鳥神社・天之御柱宮・外宮(豊受神社)・八雲神社
大鳥神社・天之御柱宮・八雲・外宮
水天宮、八幡、船玉神社ほか
水天宮、八幡、船玉神社ほか
神楽
『元旦・節分・例大祭・弐の酉の日、神楽殿での船橋大神宮楽部による神楽は、十座の演目が伝えられており、貴重な伝統芸能として、市の無形民族文化財に指定されております。』(同上しおり より)

奉納相撲
『毎年、十月二十日の例大祭に催される奉納相撲は、徳川家康公が東金へ鷹狩の際、船橋御殿(現在の本町四丁目の東照宮)に滞在され、土地の子供らが相撲をとってもてなしたことに始まります。家康公はこれを喜ばれ、奉納相撲とされました。』(同上しおり より)

神楽殿・土俵
神楽殿・土俵

江戸名所図会・最東端の「茂呂の神社」

江戸名所図会・最東端、

「茂呂の神社」

茂侶神社 「江戸名所図会」
茂呂神社・図会
『茂侶の神社
意富日の神社の摂社
にして、同所より六丁ばかりを隔てて東の岡にあり。祭神は木花開耶姫一座なり。ゆえに浅間山の号あり。当社は『延喜式』(九二七)内の御神にして、葛飾郡に座のうちなり。御手洗の池あり。いまは民家の地に入る。(ある人いふ、茂侶の神社は同郡小金領栗ヶ沢村にありて、社司は友野氏、祭神は日本武尊なりと云々)。』
(「新訂 江戸名所図会6」p406 筑摩書房より)

『『延喜式』神名帳記載の下総国葛餝郡・茂侶神社。千葉県内には三つの神社が論社となっております。
他の二つは、流山市三輪野山の茂侶神社松戸市小金原の茂侶神社。』
(「茂呂神社」より)

茂侶神社即ち砂山浅間社
 総じて延喜式内或いは六国史にある神社を今日現存する神社に擬定せんとするのは、多くの場合無理な仕事である。』
(「船橋市史 前篇」P285~288 船橋市役所発行 より)


茂呂神社・工事中の参道  (2012.03.08撮影)
茂呂神社・工事中の参道
表側参道
「延喜式内 茂呂神社」という石柱あり。
茂呂神社・表側参道
拝殿前の鳥居
茂呂神社・拝殿前の鳥居
鳥居の社額
「延喜式内 茂侶神社」とある。
茂呂神社・鳥居の社額
拝殿
茂呂神社・拝殿
本殿
茂呂神社・本殿
境内の小さな社
茂呂神社境内の小さな社
裏口
石碑には、「式内大宮 茂侶神社 仙元宮」と書いてあるようだ。 
茂呂神社・裏口

房総の家の、アケビとむべ

お蛇が池散策の後、房総の住人(案内人)の家に立ち寄った。
敷地面積が80坪ある家も、株立ちのエゴノキなどが所狭しと植えられて、手狭に感じられるほどに変化していた。
この家のフェンスを利用した棚に、あけびとむべが成長して実をつけていた。


ミツバアケビむべ

ミツバアケビは北海道から九州、中国に分布する落葉性のツル植物。よく似た仲間にはアケビ(小葉が5枚)、両者の中間の形態を持つゴヨウアケビ、常緑のムベなどがある。…
アケビの仲間は、果実が熟すと割れて中の果肉が見えるようになる。その姿を「開け実」とよんでいたことが、名前の由来。』
(「ミツバアケビ」より)

『「むべ」とはアケビ科の一種。
春に白い花をつけ、秋に長さ7~9センチほどの鶏卵より大きい楕円形の実を結びます。むべを割ると半透明の粘りのあるゼリー状の果肉と種が詰まっていてます。とろ~っとした実はほんのり甘く素朴な味が楽しめます
長寿を祝う贈り物に最適の果実です。…
一名トキワアケビと呼ぱれるようにアケビとよく似ています。違うところは、アケビは冬になると葉が落ちてしまうのに対して、むべは一年中緑を保ちます。
また、アケビの実は熟すと割れて、白い果実があらわれますが、むべの実は開くことはありません。』
(「(不老長寿)伝説の霊果“むべ”」より)


あけび(向かって右)とむべ(向かって左)の実
あけびの実はおなじみだ。
むべの実は小さいが、半分に切りスプーンで戴くと本当に甘くて美味しい。不老長寿に効くとは初耳である。

あけびとむべの実

あけび棚
あけび棚

むべ棚(こちらは、まだ2年ほどの株)
むべ棚

そして、老猫
老猫

お蛇ヶ池散策

11月下旬、晴れたので、いやいや女房に付いて房総に出かけた。
行き先は、お蛇が池。
入水自殺者が多い場所なので、臆病な私には、天候が暗いと怖い場所だ。

お蛇が池散策

『慶長19年(1614)この地の代官島田伊伯がつくった灌漑用貯水池で、緑の丘陵に囲まれ、静かな水面を横たえている。池の周囲は4.5km、池面積が約25万?。湖上に二つの半島がつき出し、形が秋田の十和田湖に似ているところから、“房総の十和田”の別称がある。ふな釣りの適地で東京方面から訪れる釣り人も多い。湖畔をめぐる遊歩道が開かれており、手軽なハイキングが楽しめる。』
(「立て札」環境省・千葉県より)


波と光
波と光
波と光・アップ
(一人で来ていたら、池の中から美女に呼ばれてるような錯覚に陥ったかもしれない、と呟いたら他の人たちから笑われた。ありえないと。なんて現実的な人たちなんだろう。)

波と光・アップ

● お蛇が池 池の風景

お蛇が池 a
お蛇が池
お蛇が池 b (東屋から)
お蛇が池・東屋から
(東屋で、ちょいと昼食)

(昼食は、おいなりさん。今回もお呼びを戴いた房総の住人の手作り。)
おいなりさん
(飯ごうで沸かす、豚汁)
豚汁
お蛇ケ池 c (水神宮方面)
お蛇ケ池・水神宮
水神宮 社
水神宮

● 池の周り

紅葉する木
紅葉
太陽を浴びる林
林
林道
林道
流れ込む小川
流れ込む小川

● 釣り人

つり用には、ブラックバス
その他、バスの餌用として、ブルーギル
湖面の藻の繁茂防止のためにソウギョ(草魚)も放流されているそうだ。

釣り人1
釣り人1
釣り人2
釣り人2
釣り人3
釣り人3
大きな魚の死体 (ソウギョか?)
大きな魚の死体

● 水鳥

水鳥 1  バンの仲間か?
水鳥1
水鳥 2  カモの仲間(カルガモ?)
水鳥2

船橋の神社巡り

船橋神社巡り

先回は、船橋大神宮と本町一丁目の小さな稲荷や寺をみた。

今回は、御殿通り近辺の神社を巡った。
JR船橋駅から国道39号を南下すると、本町通と交差する。
この交差点が本町一丁目。ここを左折し本町通を東に歩く。
本町一丁目
本町通沿いの左側に、厳島神社
厳島神社
厳島神社・狛犬
厳島神社・狛犬
本町通をそのまま東に行くと、海老川に差し掛かる。

船橋地名発祥の地」である。

『伝説では日本武尊が東征の折、川を渡るために船で橋を作ったのが由来とされている。』
(「船橋市-Wikipedia」より)

海老川橋

海老川橋
海老川に沿って上流に向かうと、一つ目の橋が万代橋
万代橋
万代橋の処を左折し、西に向かって戻ると「歴史の散歩道・地図」がある。
歴史の散歩道・地図
御蔵稲荷神社
御蔵稲荷神社
九日市村郷蔵跡
郷蔵跡
御蔵稲荷の由来

御蔵稲荷の由来
御蔵稲荷本殿と狛犬
御蔵稲荷本殿と狛犬
御殿通
御殿通
御殿通りにある‘ひなたぼっこ’という店で道を確認した。
ひなたぼっこ
親切に、道路にある‘道の案内’の所まで来て、東照宮のありかを教えてもらった。そこでいったん右折し、突き当たりに東照宮が。
道の案内
東照宮・鳥居
東照宮・鳥居
船橋御殿跡
説明板
船橋御殿跡説明板
東照宮
東照宮
東照宮境内にある、御殿稲荷
御殿稲荷
再び御殿通りに戻り、また西に向かうと
道祖神社

道祖神社
船橋の神社には、三峰神社に関わる石碑などが多いそうだ。
そもそも三峰神社とは?

道祖神社の境内にある、三峰神社
三峰神社
地蔵・愛染明王・馬頭観音

道祖神?
御殿通りの先は、仲通商店会。この中を通り抜けると国道39号に戻る。
京成船橋駅・JR船橋駅はすぐ近い。
仲通商店会

海老川の花見

千葉県船橋市の桜から

   ◆ 海老川の桜


今日は朝早く起きて、八栄橋から東葉高速鉄道線の高架を潜り、前原川と合流するあたりまでの海老川を花見がてら女房と散策した。
今ここは、海老川ジョギングロードとして「全国お花見900景」として比較的良く知られてきているそうだ。
私達夫婦は、2005年4月9日にこの海老川沿いに東京湾(京葉港)まで花見の時期に合せて歩いたことがある。
なお、東葉高速鉄道に乗って、車窓から眺めると、ソメイヨシノのピンク色の花のほかに、うすい緑がかった花のサクラがあるようだ。その種類は知らない。


八栄橋から見た、海老川の桜並木
八栄橋から
東葉高速鉄道線の高架・北から
東葉高速高架・北から
東葉高速高架下から

飯山満川と合流するこのあたりでは、野鳥の水鳥が多く、今日もユリカモメと、何故かまだ北に帰らないのか鴨がいた。
東葉高速高架下から
上流側は、古木が多い。
古木から
鷹匠橋から
鷹匠橋から

海老川の桜
さくら橋から

ここから下流側は、若い木が多いようだ。
さくら橋から
● 遠くから見ると、薄緑色に見えるサクラ。
  近くからは白色の花。

ギョイコウ(御衣黄)ではない。何故なら一重だし、木の下で見ると白い花だから。
・そして葉で緑に見えるわけではないと思うが・・。
オオシマザクラでもない。なぜならば花の大きさがオオシマサクラより小さく、かつ、花はソメイのように密に咲くから。

薄緑色のサクラ
花いかだ

花いかだ
花むしろ
花むしろ
道路から
道路から
【参考】

? この日の薬円台にある、小学校校庭の桜。
  薬園台公園の桜はかなり散っていたが、校庭の桜は満開。
薬園台の桜
? 2005年4月9日の海老川散策

八栄橋から京葉港まで
海老川散策050409

孫と、飯山満町の神社仏閣散歩

孫2人が泊まりにきた。
翌朝天気が良かったので、千葉散歩に連れて出た。
私としては、習志野原の散策?の後の、飯山満町の長屋門の続きである。
女房に、車で長屋門に連れて行ってもらい、そこから孫たちと歩いた。

※ 今回のコースは、何故か「元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】」が一番詳しいようだ。関係箇所はリンクさせてもらうことにして、詳しい説明は省略する。

出発は、前回と同じ長屋門から

旧近藤家住宅長屋門

東葉高校の事務所で許可を得てから中に入った。
説明板を読むと、どうやら近藤家は戦後に農地解放で没落したようだ。
長屋門
長屋門の近くにある、ゆるぎ地蔵尊

ゆるぎ地蔵尊

ゆるぎ地蔵尊
失礼をして、地蔵尊を撮影
地蔵堂は新しいようだ。
地蔵尊のお顔
地蔵尊の奥の祠
地蔵尊奥の祠
39番札所 薬師堂

薬師堂

39番札所
石碑と朽果てた祠
石碑と朽果てた祠

次は、医王山 東福寺

東福寺門
東福寺門
東福寺境内
東福寺境内

少し歩くと、神楽と餅撒きで夜訪ねたことのある大宮神社に出る

大宮神社鳥居
大宮神社鳥居
大宮神社神楽殿・拝殿など
大宮神社神楽殿・拝殿
ここにも、かの富士塚があった。

神楽殿横の富士塚
神楽殿横の富士講

また少し歩くと、補陀洛山 光明寺

光明寺山門 なかなか瀟洒な佇まいである。
光明寺門
光明寺境内
光明寺境内
霜柱が解けてふかフカになった地面を面白そうに踏む孫娘

いい散歩コースであった。女房に車で迎えに来てもらい、孫を家まで送った。
霜柱を踏む孫

飯山満の駅ホームから、スカイツリーが見えた

大晦日の朝、久し振りにみーすけを見に東葉高速線飯山満駅にいくと、あいにくいなかった。このところみーすけを見たことはない。
ついでにホームに上がると、小学生くらいの男の子が父親をせかせてホーム東京寄りに走っていった。何かカメラを構えている。
何が見えるのと聞くと、スカイツリーと。

東葉高速線 飯山満駅ホームから見えた
       東京スカイツリー

※ なるほど。こんなところからも見えるのか。
  そういえば計算によると関東全域から見えるのだとか。



飯山満駅ホームから見えた、スカイツリー(大晦日の朝)
飯山満駅ホームから見えた、スカイツリー

船橋散策~溶岩の台の上に狛犬?

JR船橋駅から南(海)側にぶらぶら歩いてみると、宮本の船橋大神宮のほか、本町の裏道には小さなお寺や神社がポツポツとある。
そして何故かその三つに共通しているのは、いわゆる狛犬ないしは狛犬的なものの台が溶岩風なものであることである。富士山信仰(富士講)の影響でもあるのだろうか。

溶岩のようなものの台(獅子山など)の上にある

      狛犬あるいは

富士信仰は、江戸を中心に爆発的に広まり、富士山を信仰する人々の集まり「富士講」が多く作られ登拝前には身を清め、白装束で固めて鈴と金剛杖を持ち、「六根清浄」と唱えながら登った。…
行きたくても登れない人も参拝し、ご利益を得られるよう作られたのが「富士塚」である。富士塚はいわば「ミニ富士山」のようなもので、富士山の溶岩を山麓から運んで積み上げ、頂上に浅間菩薩、中腹に小御岳を作るなどして、実際の富士山に模したものであり足立にも多くの富士塚が現存する…』
(「足立の富士塚」より)


1)船橋大神宮意富比神社)の狛犬

※ 獅子山の上の狛犬は、私には犬ではなく獅子に見えるが…。
『もともと「狛犬」は獅子ではない別の動物として発明されたのですが、時代を経るに従って形の上では獅子のほうが主流となり、呼び方は「狛犬」が定着したわけです。』
(「狛犬とは何か? 100万人の狛犬講座」より)


獅子山の上の、狛犬
船橋大神宮の狛犬
船橋大神宮(但し写真は11月の頃)
(秋の)船橋大神宮

2)稲荷神社

『船橋は太宰治が、昭和10年7月から11年10月まで住んでいた町である。薬物中毒に苦しんでいた時代。
最初の著作『晩年』も、船橋にいた昭和11年6月に出版している。
そしてその本の口絵には、船橋で撮ったという写真が掲げられている。
「傍らに小さな狐の石像が写っているところからすると、船橋の家に近い稲荷神社の境内でもあったのだろうか。」』
(「太宰治が散歩していた船橋の神社」より)

※ 『稲荷神社のキツネは「神使」で、「守護獣」としての狛犬とは違うというのが定説ですが、狛犬ネットではキツネやオオカミも狛犬と同等に扱っています。 』
(「狛犬分類学 序説」より)


獅子山の上の狐
稲荷神社の狐
伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と言われるように、江戸では稲荷社が多いが、ここ船橋市でも稲荷神社は多い。
船橋市の神社 南部版」にも、
稲荷神社(田喜野井)、稲荷神社(宮本×2社)、御殿稲荷(本町)、御蔵稲荷神社(本町)など沢山ある。

稲荷神社(船橋市本町一丁目)
稲荷神社 船橋市本町一丁目

3)真言宗の小さな寺の庭にあるお稲荷さん

獅子山の上の稲荷の祠
稲荷小祠
真言宗の小寺
真言宗の小寺

湊町で、平目・メジマグロづけ丼を

船橋散歩の途中、湊町で昼食をとった。

酒処一太 船橋市湊町3-19-18

近所の工場か事務所の従業員と思しき若いカップルが食事を終えてこの店から出てきた。


平目・メジマグロづけ丼定食

※ 平目も、づけ丼にするのだ!?


※※ メジマグロとは、クロマグロの小さいもの。
『小さいものをカキノタネ、コシビ、コチウ、コビン、コメジ、シビコ、シンマエ、マメジ、メジ、メジカ、メジカッコ、メジマグロ、ヨコ、ヨコワ。…
若魚(めじまぐろ)も年間を通して入荷してくるが、こちらは手頃な値段である。』
(「クロマグロ 市場魚貝類図鑑」より)


平目・メジマグロづけ定食
平目・メジマグロづけ定食
丼・アップ
丼・アップ
味噌汁
あん肝入り

味噌汁
小鉢
小鉢
香の物
香の物
室内
室内
メニュー
メニュー
店頭
店頭

船橋プチ散歩~日の出まで

JR船橋駅~日の出までプチ散歩

JR船橋駅から県道39号線を本町・湊町を南下すると船橋埠頭線となる。湾岸道路をくぐってさらに進むと日の出の工場・物流センターに出る。ボーソー油脂の工場の先で行き止まりとなって海が見えない。右は進入禁止なので左折して防波堤沿いに進むとまた突き当たり。左折する。右に幾つかの横引きゲートを見ながら、最終的に海が見えるところに出た。中に入ると、対岸はららぽーと。右は京葉港が見える。左は昔海老川を下ってきたときに見覚えのある海老川水門と排水機構。その手前は船橋漁港であった。
船橋駅から海までは近かった。


京葉道路
京葉道路
日の出の行き止まり
左手前は、ホーソー油脂の工場
行き止まり
防波堤を左折
左折
また左折すると、幾つかの横引きゲート
中は砂利置き場など
横引きゲート
京葉線と湾岸道路(海老川大橋)
湾岸道路と京葉線
対岸はららぽーと
対岸にららぽーと
京葉港に向かう船が出て行った
京葉港
海老川水門・排水機場と船橋漁協
海老川水門と船橋漁協

飯山満町の長屋門

習志野原の散策? 成田街道沿い」で、成田街道沿いの林家の長屋門を見た。ところが、もっと立派な門が残っているということで、見に行った。
成田街道からは少し離れるが、船橋市飯山満町2-670-1にその門はあった。


旧近藤家住宅長屋門 (東葉門)

『東北にゆるぎ地蔵を望む丘の裾際に位置する旧家の長屋門。桁行11間2尺,梁行2間半と比較的規模が大きく,腰を簓子下見,上部を白漆喰塗とし,正面と背面を出桁造として桟瓦葺の寄棟屋根を載せる。』
(「東葉高等学校正門とは-国指定文化財等データベース Weblio辞書」より)

明治中期に建てられた、江戸時代の名主総代の旧家、近藤四郎左衛門家屋敷の長屋門ですが、この家は昭和初期に没落してしまいます。
(船女が移転してきて、東葉高等学校と改称し)その際にこの門が修復されて、「東葉門」と改称され同校の正門となりました。
さほど古いものではありませんが、国登録有形文化財に登録されています。』
(「東葉高等学校正門(旧近藤家住宅長屋門)-元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】」より)

※ 明治中期と時代は少し若いが、なかなか立派な長屋門である。


旧近藤家住宅長屋門
東葉門
長屋門(屋敷内側から)
裏
☆ 飯山満は、ただの狭間ではなく、やはり飯が山のように満る処であったのであろうか?

銀杏拾い

銀杏の落ちる季節

(10月中旬)とある小さな神社の境内に、銀杏が沢山落ちていた。
老婆がせっせとそれを拾っている。
時々風が強く吹くと、イタイイタイといって手水場の屋根の下に避難している。
彼女の家では、その日は銀杏のどんな料理ができたのだろうか。

日比谷公園で、プロの料理人が銀杏を拾うのを見たことがある。
おいしい料理ができたことであろう。

私も昔、新宿御苑へ銀杏を拾いに行ったことがある。
イチョウの寄せ植えを作るために。
出来上がった寄せ植え鉢は、義父にプレゼントした。
義父もイチョウの寄せ植えも今はこの世にない。


落ちた銀杏
落ちた銀杏
銀杏を拾う老婆
銀杏を拾う老婆

飯山満町大宮神社の神楽と餅撒き

10月23日(土)夜、飯山満町大宮神社へ神楽と餅撒きを見に行った。
神楽は船橋市の無形文化財に指定されており、その開催は毎年1月7日と10月23日の例祭に行われる。

飯山満町大宮神社の神楽餅撒き


大宮神社の神楽

大宮神社の神楽

餅撒き

餅撒き
『創建は中世の頃と伝えられ、旧上飯山満村高野の鎮守であった。神社は、旧集落の東のはずれに位置している。この地は、昔から蛇が多く、里人を苦しめたことから祀られたと言われている。別名蒟蒻神社とも言われ、これは明治時代にこの周辺の村々で盛んにコンニャクの栽培が行われたことに由来する。』
(「大宮神社(船橋市)-Wikipedia」より)

『上飯山満村、東の外れには天つ神・素盞嗚尊を祀るこちら。
なんともこの村内の"大人の事情"を感じさせる神社。
いやいや単に、この辺りには昔は蛇が多かったそうで、八岐大蛇を退治したスサノオを祀っただけなのかもしれません。』
(「飯山満 大宮神社(蒟蒻神社)-元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】」より)


・神楽の説明板
神楽の説明板
・大宮神社の素朴な拝殿
大宮神社
・立派な神楽殿
神楽殿
・メディアの取材風景
メディアの取材
・屋台の賑わい1
屋台の賑わい1
・屋台の賑わい2
屋台の賑わい2
★ このあたりに住む人からの情報でこの日餅撒きがあることを知った。車で通り過ぎる時にこんなところに神社があるのだ、というくらいの認識しかなかった。普段の昼間はこの素朴で小さい神社も狭い境内も、例祭の夜はガラッと趣が変わる。そしてこんなに人が集まってくるのが不思議な感じがする。

船橋東図書館で借りた資料

習志野原散策の資料探し ?

習志野原の資料を探して、船橋東図書館を訪ねた。
いつも1階の閲覧室で、千葉県の資料がほとんどないのが不思議だったが、2階の参考資料室にあった。
幾つかの資料が貸し出し可能だったので、借りた。

貸し出し資料
1.北習志野開拓50周年記念誌「砂塵を越えて 」習友会  1994.12.10
2.北習志野開拓60周年記念誌「砂塵を越えて? 」習友会 2007. 2. 5
3.北習志野開拓50周年記念写真集「ならしの」 習友会
4.「房総の歴史街道を旅する 千葉の道 千年物語」千葉日報社H14.5.27
5.「房総の地域ウォッチング-おもしろ半島千葉県の地理散歩」大明堂


図書館で借りた資料
図書館で借りた資料
中身
中身
★ 10月10日 習志野原の変遷 第5回目『習志野原開拓の経験』
  講師:矢島 龍雄氏によれば、西図書館に資料は充実しているそうだ。
 「船橋の歴史・行政・文化に関する資料を収集した郷土資料室」という
  のがそれだろうか。


※ 練兵場時代の習志野原(「砂塵を越えて」P358)
  下図は縮小コピーで大変見難いが、原図では坪井谷と鹿ヶ谷
  の位置のあたりは十分できる。
101013練兵場時代の習志野原

船橋市郷土資料館にて

習志野原散策の資料探し ?

習志野原の資料を探して、船橋市郷土資料館を訪ねた。
幾つかの資料が販売されていたので、購入した。

購入資料
1.「新版 船橋のアルバム -変わりゆく街の記録- 」船橋市郷土資料館
2.「地域研究資料1 地形図 1995」船橋市郷土資料館
3.「資料図録 戦争・平和と市民のくらし 2006」船橋市郷土資料館

無料配布資料
a.「歩いてみる船橋 その53 -高根台~習志野台-」船橋市郷土資料館
b.「船橋市郷土資料館 資料館だより 第88号
   習志野の変貌を見つめて-戦後開拓史への証言-戸石三雄」

※ 散策?に携行したのは、「歩いてみる船橋」

購入・入手した資料類
郷土資料館で購入・入手した資料類
上記資料の中身
中身
船橋市郷土資料館

『郷土資料館は、船橋市の考古、民俗、歴史などの資料を収集・保存、展示している博物館です。屋外に蒸気機関車D51125号を展示しております。郷土資料館へぜひおいでください。』
(船橋市郷土資料館HP)
船橋市郷土資料館
閲覧させてもらった習志野演習場の地図
地図
2階展示室
なかなかのコレクションである。
展示室
蒸気機関車D51125号
蒸気機関車D51125号

習志野原散策の補足 和菓子屋等

習志野原散策の補足~和菓子屋等

習志野原散策?,?で見かけた源吉兆庵、岡埜栄泉などの菓子店等。
どうしてこういった店が習志野近辺にあるのだろう。
少なくともこの日は、客が余りいなかった。



a.源吉兆庵  と粋甘粛

粋甘粛
粋甘粛
粋甘粛 in 高取焼掛け分け平茶碗写し
粋甘粛 in 高取掛け分け平茶碗
粋甘粛
・断面
粋甘粛・断面
源吉兆庵   船橋市滝台2-2-28 

※ 女房によれば、源吉兆庵の別ブランド「日本橋屋長兵衛」から源吉兆庵に看板が変わってから1年ぐらいたつという。

源吉兆庵

b.岡埜栄泉
   船橋市薬園台4-2-22

※ ちなみに上野駅前の岡埜栄泉総本家は、こちら

岡埜栄泉

c.菓匠白妙   船橋市習志野台2-72-14

※ 別記事は、こちら

菓匠白妙

蛇足ながら、益子焼 販売店 高根木戸   船橋市高根台7-26-23

※ 陶器の店「えばた」というそうです。壁に沢山の陶器が埋め込まれているのが特徴。

益子焼販売店

習志野原の散策? 成田街道沿い

習志野原の散策? 成田街道沿い

手持ち資料は特になし。
20年か30年ほど前、新聞に薬園台の歴史散策コースが載ったことがあり、その情報で巡った記憶を手がかりに、歩いてみた。丹羽正伯の史跡への入り口はその時も分からずに交番で聞いた。今回も同じように迷った。

まず、新木戸から成田街道を上り始めると、すぐ左に陸上自衛隊・習志野演習場がある。

○ 陸上自衛隊習志野演習場
陸上自衛隊習志野駐屯地第一空挺団初降下訓練の様子は、こちら
習志野演習場
○ 陸上自衛隊習志野駐屯地の正門
習志野駐屯地
○ 「明治天皇駐蹕之処」

『船橋市郷土資料館の前に、「明治天皇駐蹕之処」という石碑がある。これはみゆき会館(船橋市習志野台4-59-8、習志野地名発祥の地)に建てられていたが、移転して今の場所にある。仙台石でできた高さ3.9m、幅1.6mの大きな碑であり、明治天皇が近衛兵を率いて、この地で露営し、習志野原を賜り、永く陸軍操練所と定めた旨、裏面に記されている』
(「船橋市の戦争遺跡1-千葉県の戦争遺跡」より)
明治天皇の碑
○ バロン西(西男爵)の下宿先

『1932年 ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。…
硫黄島で戦死。』
(「西竹一-Wikipedia」より)

『凛とした魅力を発するのが、やはり「硫黄島に死す」です。「死す」のは、男爵西竹一大佐。栗林忠道中将ではありません。『硫黄島からの手紙』でいえば、渡辺謙ではなく、伊原剛志。ロス・アンジェルス五輪の馬術で金メダルを獲った華族出身の軍人です。』
(「映画と本と音楽にあふれた英語塾|城山 三郎『硫黄島に死す』」より)

バロン西下宿先
○ 成田街道沿いの民家1
X邸
○ 成田街道沿いの民家2 (表札には名前がありません)

明治天皇が習志野原に行幸の折に、宿泊されたと言われる民家。
門・塀は、宮内庁が建てたとも聞く。
Y邸
○ 江戸時代の林家の長屋門。
門
○ 薬園台ゆかりの丹羽正伯と桐山太右衛門

『丹羽正伯供養碑
丹羽正伯
は伊勢国松阪(紀州藩・三重県)に生まれた。医者であったが薬草種芸にくわしく、享保7年(1722)4月1日江戸幕府の医員となった。同4日、和薬を作るための薬園用地として滝台野と呼ばれていたこの地30万坪のうち、15万坪が正伯に与えられた。残り15万坪は同じく薬草にくわしい江戸薬種問屋の桐山太右衛門にあたえられた、ともに薬草園の経営をまかされた。
正伯は宝暦6年(1756)4月14日66歳で江戸に没し葬られたが100余年後の万延元延(1860)11月、薬園台村の人々によりこの顕彰の供養碑が建てられた。正面に「諦通院日慮」とある。
平成10年3月 船橋市教育委員会』(碑文)
丹羽顕彰碑
○ 高幢庵(こうとうあん)の墓地

向かって右から、諦通院日慮(丹羽正伯)供養碑
真ん中が、出羽三山碑
左が、馬頭観世音
墓
○ 丹羽正伯供養碑の右側面に、俗称丹羽正伯云々と供養碑の説明が彫られている。
丹羽

習志野原の散策? 高根木戸から新木戸まで

習志野原の散策?   高根木戸~新木戸


10月4日、女房と習志野原を散策した。雨女と歩くと何時一雨きてもおかしくない空模様の元で。彼女は自転車、私は散歩させられる犬のごとく徒歩で。

【手持ち資料】
「歩いてみる船橋」 その53
  -高根台~習志野台-(高根木戸・古和釜木戸・新木戸)
  2002.10.26(土)・27(日)  船橋市郷土資料館
上記資料に基づき歩いてみた。2002年当時と比べると開発で途中が大幅に変わっていたので、後日一部写真の取り直しを行った(その日は晴れ男一人なので、晴天)。


? 高根木戸

『江戸時代、幕府は下総国など広大な台地上に野生馬(野馬)の放牧場(牧)を設けた。船橋市域には小金五牧のうちの下野牧があった。下野牧はさらに今の鎌ヶ谷市と、習志野市~千葉市にも続いていた。
 牧のまわりには土手や堀を築き、村々や田・畑・山林など、外部との境にしていた。牧は各地域に連続して広がっていたことから、各地を結ぶ道が牧を通り抜けていた。したがって牧の出入り口にあたる道の部分に土手や堀はなく、代わりに門(木戸)があって馬が逃げ出さないようになっていた。高根村(下総国葛飾郡)側の出入り口であったことから“高根木戸”と呼ばれた。』
(参考資料「歩いてみる船橋」より)

高根木戸があったとされるあたり
高根木戸

? 野馬除土手(古和釜木戸)

『高根台第二小学校の敷地内に残る土手の長さはおよそ75m。平成10年、小学校南東角の交差点改良工事のため道路が拡幅されることになり、同年4月確認調査が行われた。近世の土手であることが分かった。
元は南東700mほど、現在の習志野台第一小学校の近くまで直線状に続いていたと思われる。また、高根台二小前の道路-飯山満 古和釜線-を挟み、向かい側の高根台4丁目23番の方(北西)にも土手が続いていた。』(同上)

看板(野馬除土手跡)
看板(野馬除土手跡)
野馬除土手(古和釜木戸):高根台第二小学校敷地内(生垣の内側)
野馬除土手(古和釜木戸)

? 子者清水(こわしみず)

『習志野台地区の宅地造成以前、現在の北習志野駅の東側に当たる部分に台地が広がっていた。その台地が北に向かって緩やかなくだり斜面になり、低地に続くあたりに湧き水の池があった。
江戸
時代中頃の享保7年(1722)作という「小金下野牧」実測図には、この湧き水と思われる所に「コハ清水ト云出水有」と記されている。野馬を育成する必要から、湧き水の所在が確認されていたと思われる。
明治
時代、牧が陸軍の演習場(習志野原)になると軍馬の呑み水として利用されたようである。昭和6年(1931)には水呑み場として整備するための工事が行われた。
昭和20年
9月(1945)、習志野原の開拓が始まると、入植した人々の生活用水に利用された。また、子供たちの遊び場でもあった。
昭和37年(1962)習志野台団地の造成が始まり住宅街に変わった。』(同上)

看板(子者清水跡)
看板(子者清水跡)
子者清水跡の看板のある近隣公園
子者清水跡の看板のある近隣公園
子者清水跡(習志野台3-3-3号棟)
子者清水跡(習志野台3-3-3号棟)

? 永久保塁跡

『日露戦争(1904~05・明治37~38)の激戦地となった二〇三高地の保塁をまねて演習場内に築いたものといわれる。工事を始めた時期や完成年は不明。大正6年の地図には「永久保塁」の文字と絵が載っている。』(同上)

永久保塁
跡(習志野台6-7-2号棟)
永久保塁跡(習志野台6-7-2号棟)

? 野馬除土手

『土手と見分けがつく部分だけでも長さが250mほどある。かつては二重土手であったといわれるが、一部分では今でも二重であることが分かる。下野牧と坪井村(下総国千葉郡)の境であった。』(同上)

※ 『船橋市薬円台の野馬土手です。船橋市郷土資料館の南側の正面に小規模な土手が残っていました。実は、郷土資料館には以前、立派な野馬土手があったそうです。青木更吉先生が選ぶ野馬土手ベスト10で8位にランクされる土手でしたが、道路拡張工事のため跡形も無く消えてしまいました。
 近くの船橋日大前駅にも、10位にランクされた野馬土手があったのですが、こちらも宅地造成で完全に消滅しました。とても残念なことです。』

(「野馬土手~小金牧の残光」より)

二重土手のイメージは、こちらか?。

野馬除土手? (下野牧と坪井村境)
※ ごく最近の道路の開通・住居の開発などでこのあたりはすっかり変わり、どれが土手か分からなかった。
野馬除土手(下野牧と坪井村境)

? 新木戸

『佐倉道(=成田道)は下野牧を横切るように通り抜けていた。新木戸は大和田新田(千葉郡・現 八千代市大和田新田)側の出入り口に設けられた木戸であった。現在の船橋市-八千代市 境。…
出入り口には道の左右に大きな柱を建て、夜になると柱に貫(竹竿)を通し、馬の逃げ出すのを防いでいた様子が文化・文政(1804~29)頃の紀行文に見られる。』(同上)

新木戸交差点(現在)
新木戸交差点
看板(血流地蔵道の標識)
血流地蔵標識跡
地流地蔵道標識
地流地蔵道標識
成田道標識
成田道標識

【感想】
☆ 江戸、明治、大正・昭和の跡が伺える散歩道であった。
なお、習志野原の台地には、大きくは「坪井谷」と「鹿ヶ谷」が刻まれている。
坪井谷周辺には?高根木戸、?野馬除土手(古和釜木戸)、?子者清水、?永久保塁がある。
鹿ケ谷周辺には?野馬除土手がある。

地形図の参考資料:「砂塵を越えて」北習志野開拓50周年記念誌
      P358 練兵場時代の習志野原


【補足】
東葉高速鉄道・船橋日大駅・東側から見た坪井方面の開発の様子

※ 私的には、娘たちが小さい頃、このあたりへ自転車で来てウシガエルのオタマジャクシを獲った記憶があり、隔世の感有。
船橋日大前駅からの眺望
また、県道57号線と平行して、南北に新しく拡幅・開通した道には、マミーマートケーヨーデイツー等が立ち並んでおり、利便性はすこぶる向上している。

ホームセンター例
【追伸】
坪井谷の名残りは、アリーナの第二駐車場の下に残っている。
アリーナ駐車場地下

佐原の大祭・秋祭り、雨の中日 2010

時に激しく雨の振る中、佐原の大祭・秋祭り・中日は行われた。
朝一番で、佐原の商工会議所に電話をすると、雨天決行と。
友人の車で東関東自動車道を通り、佐原へと向かった。
※ 夏祭りは、こちら



佐原の大祭・秋祭り・中日

『小江戸佐原の一大イベント『佐原の大祭』は、7月中旬に行われる八坂神社祇園祭と、10月第二土曜日を中日とする3日間に行われる諏訪神社秋祭りの総称をいい、関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有します。
山車は24台あり、夏祭りに10台、秋祭りには14台の山車がそれぞれ曳き廻されます。・・・
自慢の山車は、総欅造りの本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には江戸・明治期の名人人形師によって制作された高さ4mにも及ぶ台人形などが飾られています。』
(「国の重要無形民俗文化財 佐原の大祭:佐原の大祭とは」より)

2010年は3年に一度の「年番引継行事」が中日に実施される。
時折激しく降る雨の中で、行事は滞り勝ちのように見られた。
年番引継ぎは、南横宿の仁徳天皇山車から上宿の源義経山車へと。

? 南横宿の仁徳天皇山車

整列中の山車
法被の上に、雨合羽
仁徳天皇
のの字廻しの前
南横宿・仁徳天皇
のの字廻し中
年番引継
のの字廻し後、整列している13基の山車の横を通り、列の最後尾に向かう。
年番引継
? 新しく年番となる、上宿の源義経山車


整列中の源義経山車
整列中の源義経
緊張の感がある、上宿の連中
緊張の上宿連中
出番を待つ、上宿の山車
上宿・源義経
? 諏訪神社御旅所

諏訪神社御旅所
諏訪神社御旅所
? 雨で予定外となった街の風情


おまつりステージ
おまつりステージ
にぎわい広場
にぎわい広場
屋台
屋台
雨宿りした、佐原まちぐるみ博物館
雨宿りした、佐原まちぐるみ博物館

道端の花 コレクション

ぶらぶら街を散歩すると、次から次へと花に出くわすものだ。
一日花から、長く咲いているものまで色々。
見た覚えがあっても、名前を知らないものが多い。
そして、在来種がどんどん消え去り、外来種がますます多くなってくるのが気になるが…。



道端の花 コレクション 2010盛夏8月上旬


ゴーヤ

ゴーヤ

モミジアオイ 紅葉葵
葵(あおい)科、フヨウ(ハイビスカス)属
モミジアオイ

デュランタ
熊葛科(くまつづらか)、ハリマツリ属
メキシコ地方原産
デュランタ

ノウゼンカズラ
ノウゼンカズラ科 ノウゼンカズラ属
中国原産
ノウゼンカズラ

センニチコウ
  千日紅 千日草 
ひゆ科、センニチコウ属
熱帯アメリカ地方原産
センニチコウ

ルリマツリ

(名前は、この家の主に直接聞いて分かった。
なお娘によれば、九州のルリマツリはいい匂いがしたが、関東のは匂わないね、と。)
ルリマツリ

☆ 今回は、花の名前を調べるに当たって、『季節の花 300』が役に立った。

道端の花 2010初夏

道端の花 2010初夏

この時期、街中の道端にも、植栽にも色々な花が咲いているものだ。

むくげ
むくげの花
エンジェルストランペット
(Angel's Trumpet)
キダチチョウセンアサガオ属

この木の場合、ピンクと黄色の花が咲き分けていた。
(厳密に表現すると、淡黄色から淡紅色に変化すると言ったほうがいいか。)
ラッパの花
ヒルガオ

ヒルガオ
野生化した
ヒメヒオウギズイセン

フリージアのような花
インドハマユウ
 (本当は、アフリカハマユウ?)
ヒガンバナ科
ハマユウ
サルスベリ
サルスベリ
オニユリ
このユリを見て思い出すのは、茶碗蒸しとなり損ねた我が家のオニユリ
結局その後解けて消滅し、その根が再び食べられることは無かった。
オニユリ

江戸優り・佐原の大祭 夏祭り

女房が地元のサークルでやっているお囃子の仲間と一緒に、佐原囃子の実地見学のため佐原に出掛けた。

平成22年7月16~18日
国指定重要無形民俗文化財
江戸優り 佐原の大祭 夏祭り


佐原の大祭とは、
こちら
チラシ表
チラシ裏(案内マップ)


『江戸の匠による絢爛豪華な 日本一の大人形山車の競演!!』

7月17日(土)
『日中の山車の運行は「乱曳き」となります。夕方になると午後5時までに山車10台が香取街道に整列し、午後6時に一斉に提灯の灯がともり、各町総踊りを行った後、午後6時20分頃より「通し砂切」、午後6時30分頃から豪快な「のの字廻し」を披露します。のの字廻しを終えた山車は、おまつり広場方向へ進行し、各町の予定コースで曳き廻されます。』(チラシより)


◆ 佐原囃子

『佐原囃子は日本三大囃子の一つで、リズム中心の他地域の祭り囃子とは異なり情緒的な メロディーを主体とする独特の祭り囃子です。

 佐原囃子を演奏する囃子方は歌舞伎等と同じように『下座』と呼ばれ、笛5~6人、 大皷1人、小鼓4~5人、大太鼓1人、小太鼓1人、すり鉦1人の15人前後で構成され、和楽器のオーケストラといえます。』
(「国の重要無形民族文化財 佐原の大祭: 曳き廻し・曲曳き」より)

佐原囃子
のの字廻し

・鷹/仁井宿
鷹/仁井宿
・神武天皇/船戸
神武天皇/船戸
曳き廻し
小野川沿いの例
曳き廻し
わくわく広場前での、手踊り
この辺りも、川越並みの小江戸の情緒がある町並みが見られる。
手踊り
※ 今回の写真は、すべて女房の提供によるものである。
  女房は時々、飯山満通信の特派員となってくれている。

道端の実~ブラックベリー

参議院選挙の日、投票場からの帰りに道端で黒い実を見つけた。
木苺の仲間か?


ブラックベリーの実

『食べてみた所一つ一つの粒の中にある種(↓)がかなり大きくて口に残るし、酸味も強くて食感があまり良くないのです。ウーンこんなはずではなかった!(+o+) 』
(「きいちご」より)

『「ブラックベリーを食べたけど、酸っぱくて食べれませんでした。食べられないブラックベリーというのが、あるんでしょうか?」
あるお客様からのお問い合わせです。
まだ日照も足りない時期で、完熟していない実を食べたのでしょう。

ブラックベリーの実を持って、力を入れないでも、ポロッと取れるのが「完熟」のあかしです。甘いですよ!無理に引っ張って取った実は、まだ熟しきっていないので酸っぱいのです。』
(「週刊ウンチク329「宮子花園のブラックベリー」宮子花園 宮子外喜子さん」より)

※ 落ちていた実を拾ってきたが、口に含むととても酸っぱかった。

※ 通常ジャムにして食べるそうだ。



ブラックベリーの実 on 安南染付写し小皿
ブラックベリーの実
ブラックベリーの実
ブラックベリー
別の畑の中のブラックベリーの実。
ブラックベリー
後者の木は以前、白い花の咲く6月頃写真を撮ったことがある。
ブラックベリーの花?

道端の実~ヒメコウゾの実

船橋市のとある道を歩いていると、道端に桑の実のようなものが生っていた。
去年もこの実に興味があったが、熟す前にヒヨドリなどの野鳥に先を越されて口にすることは無かった。今年は早めにゲットした。
しかし、眺めても眺めても子供の頃に口にし唇などを紫色にして食べたのがバレた、あの桑の実とは違う。調べてみた。


ヒメコウゾの実

『山地の林の縁などに生える落葉中木。樹皮は強く枝を折ってもちぎれない
和紙の原料となるコウゾ
は、ヒメコウゾとカジノキの雑種といわれている。かっては、ヒメコウゾも和紙の原料にしていた。』
(「愛媛の植物図鑑・ヒメコウゾ:永井保雄a1知恵の輪」より)

ヒメコウゾの実

『ヒメコウゾの果実は、クワの実とは異なり、真ん丸で直径1.5cm、大きいものでは2cm近くあります。透明感のある綺麗な橙色で、宝石の様に輝いています。 食べてみましたが、とても甘く果汁に富んでいました。しかし、一寸青臭さがあり、見かけほど美味しくはありません。眺めるだけの方が良いようです。
 しかし、私が子供の頃ならば、まだ日本は貧乏でしたから、これでも喜んで食べたと思います。当時は、とても酸っぱいガマズミの実でさえ食べていました。』
(「ヒメコウゾ:成城の動植物」より)

ヤマグワ、モミジイチゴ、ヒメコウゾの比較の写真を見つけた。
(「舞岡公園の自然:■ 山の幸 09.5.18 (ヤマグワ、モミジイチゴ、ヒメコウゾ)」より)

※ ぬるっとして甘いが、棘が舌に刺さる。女房は一口でギブアップした。毒が無いということなので、私は食べつくした。

★ 樹から実を採り、口にしている姿を見て、「あの人、子供みたい」と知らないおばさんに言われてしまった。お言葉ですが、今日日の子供は、道端の木の実は食べませんよ~だ。

稲毛浅間神社と稲毛せんげん通り商店街

● 稲毛浅間神社

『霊峰富士山を神と仰ぐ 富士信仰の古社』
(「稲毛浅間神社ホームページ」より)

稲毛浅間神社・本殿
お宮参りの三世代が福笹を持って、本殿をバックに記念写真を撮っていた。この日は吉日か?
稲毛浅間神社・本殿

乳の出が良くなる猫?
若い夫婦づれの奥さんの方が猫のおっぱいを両手でがっちり握り締めて、それを亭主らしい人がシャッターを押していた。
姑か母親かさだかではないが、歳をとった女性がそれを冷やかしていた。
おっぱい猫

鳥居
鳥居

京成稲毛駅
京成稲毛駅

稲毛探索図
稲毛探索図

● 稲毛せんげん通り商店街


『京成稲毛駅前JR稲毛方面へ長さ約150m・稲毛浅間神社へ長さ約150m、
 稲毛せんげん通りを中心に商店街区を形成』
(「稲毛商店街振興組合」より)

『こちらの商店街は千葉市内で一番古い商店街。
最盛期には120軒ものお店が軒を連ねていましたが、
土地の埋め立てが進み、大型スーパーが建つようになってから、活気を失っていったそうです。
そこで考えたのが、「いなげ逸品」という企画。
商店街の活性化のために、一軒のお店が一品の自慢商品を選び、
お客さんへのおすすめ商品として販売促進するというものです。
お店ごとに勝手に決めるのではなく、13の商店が研究会を作って商品を持ち寄り、
厳しい意見をぶつけ合って1年かけて商品化しています。』
(「稲毛せんげん通り商店街」より)

『『新・がんばる商店街77選』に「稲毛せんげん通り商店街」が選ばれました』
(「千葉市産業振興財団」より)

商店街地図
商店街地図

酒屋/並木酒店
商店街活性化のリーダー?
『『並木酒店』は、三年寝かせた純米酒『浅間(せんげん)の恵』』
並木酒店

銘茶・海苔店/稲毛園
『お茶の『稲毛園』は、アサリなどをお茶で煮た佃煮『浜のごちそう』』
銘茶・海苔の稲毛園

写真館/川島写真館
『『川島写真館』は、アイドル気分を味わえる『デザイナーズアルバム』』
川島写真館

韓国料理店
『『韓国家庭料理 チングヨ』は『コチジャンツナパスタ』』
韓国料理店

薬屋
『トキタ薬局』は、『グァバ葉』
くすりや

その他の商店

中華料理店/香港料理 海鮮餃子
香港料理 海鮮餃子

スタジオ/土・日曜日はフラダンスのレッスン日
スタジオ

お菓子屋/御菓子司 くらや
御菓子司 くらや

寿司屋/魚がし寿し
魚がし寿し


千葉の道端の花-2010初夏

船橋市、千葉市などの道庭、道端などには知らない花が色々咲いている。
散歩がてら撮り溜めた。

街中の花々 2010年6月


※ 名前が分からない花は写真の列挙にとどめる。


ブラシノキ
洗瓶ブラシのような赤い花。
樹1

アップ
アップ

樹2

草1

草?

ベニスモモ
、と表示されていた。
べにすもも

草?2

タンポポの仲間?

アップ
カセンソウのような花

これはお馴染み、どくだみの花
どくだみ

こちらも、ムラサキツユクサ
ムラサキツユクサ

花見川・柏井の野鳥

花見川自然観察会に参加した。

花見川団地中央公園前バス停、9時30分集合。

コースは、中央公園バス停→花島公園→花島橋→花見川東岸を柏井橋・花見川水管橋を通過して上流へ→鷹の台カンツリー倶楽部手前ぐらいでUターン→(昼食)→柏井橋を渡って柏井町の畠地を抜けながら→中央公園バス停

花島公園にて
1花島公園

10m先の斜面で落ち葉を払いながら採餌に夢中なアカハラを観察
2アカハラ・花島公園内

池でホシハジロ・コガモ・マガモなどを見た後、菜の花の咲く花見川に至る。
カイツブリなど観察。
3花見川を見る

花島観音下あたりで、ジョウビタキの雄を飽きずに観察した後、花島橋から花見川上流を望む。千葉市内というのになんと自然が良く保全されたところか。
4花見川・花島橋から望む

花見川東岸からはこちら岸足元並びに樹上に、アカハラ・カワラヒワが観察された。
ここでのアカハラは潅木に止まっていたため、正面・横側だけでなく、下から白い腹まで観察できた。珍しい角度だ。
あちらの岸側にはオオバン・バン・カワウ・マガモ・コガモなどが観察。中でもこの地区では珍しいオシドリ雄3・雌2羽見られ、常連が喜んでいた。
ウグイスの声が聞こえる。まだ下手だ(この地区のウグイスの初鳴きは2月18日と地元の観察者が花島公園で話していた)。この辺りでめっきり減ってしまったコジュケイの声も聞こえたと。
5オシドリ・柏井橋の上流

柏井橋を渡り、柏井町の畠や林を抜ける。
民家で大きなやぶ椿にシジュウカラやヒヨドリに混じって、メジロが群れていた。(写真では見にくいが、赤い自動車の上方に大株のやぶ椿があり赤い花が満開)
メジロ等・やぶ椿

柏井町の畑地にある林のこずえにシメの60羽ほどの群れがいた。
7シメ・柏井町畑地

◆ オオタカ

花見川と柏井町で、合計6回オオタカが上空を飛翔するのが見られた(野鳥の会の見解では、2羽のオオタカ)。大サービスであり、感激だ。柏井町の方では、猛禽類がいる場合のカラスの騒ぎが観察された。また、カワセミが現れなかった原因でもあるのか。

◆ エメラルドブルーのカワウの目

野鳥の会のメンバーがセットしたフィールドスコープを覗いてみろという。カワウの目が、豪華なエメラルドのように輝かしい。写真では想像できない。よほど光線の具合が良かったと見える。こんなに綺麗なカワウの目を見たことはない。本日の成果のひとつだ。

◆ 水清きにして・・・
生活廃水の流入をカットしたところ、カモ類が激減したと。富栄養化が防げたが、行き過ぎて植物性プランクトンも減り→→小魚も減り→…という生態系の変化らしい。自然界は微妙なバランスの上に成り立っている。
8生活廃水カット

鳥合せ  本日の観察 34種類

本日も快晴なり。花粉症の影響か、帰宅してから顔の皮膚が腫れっぽい、火照る(寒風のせいばかりではなさそう)、目の周りが痒い・・・今年もやってきたか、花粉症が。




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yogaz

Author:yogaz
飯山満通信へようこそ!
満73歳になりました。予定寿命まで後7年です。ただいま終活中です。当面75歳までは、ボランティアガイドと生涯学習・介護予防のお手伝いを続けたいと思います。
なお、2006年6月14日から始めた飯山満通信は、2013年12月14日、ブログを引っ越しました。Dtiblogのブログサービスが終了したためです。

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