最上川舟運の町、大石田

銀山温泉から戻り山形新幹線に乗るまでの間、少し時間をとって大石田の町を散策した。
結論から言うと、今回の点(大石田)と先の旅の点(酒田)が西廻り廻船を通じて、線として結びついたのが成果の一つである。

庄内の旅(その1:酒田、A:本間家)
庄内の旅(その1:酒田、B:三十六人衆)
庄内の旅(その1:酒田、C:その他)


大石田町
     ・最上川舟運
     ・大石田史跡
     ・大石田そば街道

1) 最上川舟運

◆ 最上川舟運
『今のように鉄道や自動車など、陸の交通機関が発達していなかったころ、荷物を運ぶ手段は船でした。最上川は、江戸時代に山形城主最上義光らにより上流から河口まで航路が開かれると、たちまち主要な輸送路となり、舟運が発達していきます。山形の物資は酒田から下関を通り、上方(今の大阪や京都)、江戸へと至る「西廻り航路」で運ばれました。行きの船には米・大豆・紅花・青芋・煙草などが送られ、帰りの船には、塩・魚・茶・古手(古着)・雛人形・仏像・石灯篭などが積まれてきました。山形は江戸や上方とつながることによって、経済だけではなく文化にも大きな影響を受けました。河北町の紅花資料館や酒田市の本間家旧本邸などで知られる雛人形はその代表ともいえます。経済や文化の交流の舞台となった最上川ですが、1903年(明治36年)に奥羽本線が新庄まで開通し、1914年(大正3年)に陸羽西線が開通すると、その役割は鉄道へと移り変わっていきました。』
(「最上川舟運の発展」より)

 大石田河岸
『御所山から流れる丹生(にう)川と朧気(おぼろげ)川にはさまれ、最上川に面した段丘上に大石田の集落がある。慶長年間、山形藩主最上義光が、最上川舟運の開発のために、河岸を設置したことが街村の基礎となった。そのとき義光は羽州街道との取付道路もつくっているが、大石田はその後、最上川流域諸藩の廻米をはじめ、物資輸送の最も重要な川港となった。最上川を就航する川船には酒田船とともに大石田船が圧倒的に多く、元禄年間に約300艘を数えたことが知られる。』
(「街道の日本史11 最上川と羽州浜街道」吉川弘文館 P20より)

 大石田舟着場の登場
『慶長19年(1614)10月、義光が最上郡大蔵村の清水氏を亡ぼすと、清水舟継ぎを廃して酒田舟を大石田まで上すことにし、…大石田は酒田大型川船(艜ひらた舟)の遡行する上限とされ、山形など上郷筋と酒田を結ぶ川船の中継河岸となった。爾来、羽州街道を陸送する物資の陸揚・積出河岸として栄えることになった。』
(「江戸時代図誌 第8巻 奥州道二」筑摩書房 P159より)

最上川と大石田河岸跡
大石田河岸

案内板
大石田河岸・看板

舟役所跡
舟役所跡

対岸の横山から見る、再現された舟役所跡大門方向
横山から再現・舟役所跡大門を

横山から見る、再現された塀蔵
横山から、再現・塀蔵を

2) 大石田の史跡

a.浄願寺山門
『寛文の頃、延沢城より引移した山門。木造入母屋造り。』
浄願寺山門

b.乗舩寺
乗舩寺

c.西光寺
『身の丈1丈2尺(3m64cm)の木造で寄木造。』
眉毛が太く、大変ユーモラスな仁王像である。
西光寺・大仁王像

d.聴禽書屋(ちょうきんしょおく)
『斉藤茂吉が疎開のとき暮らしていた二藤部家の元離れ。』
大石田町立歴史民族資料館の敷地内にある。
なお、歴史民族資料館では、雛人形・古典人形展が開かれており、元禄雛・享保雛・古今雛・現代雛などが飾られていた。また大石田ひなまつりが4月2日~3日開かれるそうだ。
聴禽書屋

3)大石田そば街道

そば処 善之助
芭蕉膳を注文したら、一時間掛かりますよ、と。
そば処 善之助

もりそばと冷やし善之助
もりそばと冷やし善之助

メニュー
メニュー

★ 寺の社殿も雪囲いの中、お墓もビニールで巻かれて雪の下。
  この時期、この町は観光に適さない。
  当初計画より4時間早くこの町を去った。

銀山温泉/外湯・鏝絵・昼食・土産

銀山温泉補足

1)外湯(共同浴場)

温泉、実はその温泉地の評価は外湯で分かるという。チェックポイントとしては、疎かに出来ませぬぞ


a.しろがね湯
『浴室も三角形になっており、5~6人が浸かれる大きさ。玉子臭のする、微白濁の湯はけっこう熱め。湯の中には白い糸状の湯の花も浮かんでいて、hiro好みの湯。長湯はできませんでしたが、玉子臭の香りを楽しみながら湯に浸かりました。』
(「銀山温泉 しろがね湯」より)
500円の入湯料がいるが、旅館の宿泊客は無料。管理人がいるので、温度管理もまずまずであった。
しろがね湯

b.かじか湯
『狭い脱衣場から浴室にはいるとコンクリート造りのお風呂が出迎える。お湯は硫黄を含んだ熱めの湯。洗い場が狭いので2~3人程度しか使えない。当然汲み湯が基本。気温によっては白濁する日もあるお湯。』
(「銀山温泉大湯」より)
200円の料金がいるが、旅館の宿泊客は無料。昔、大湯といったそうだ。
私が入ったときはその前の人が水を出しっ放しにしていたらしく風邪を引きそうなのですぐ飛び出した。管理人がいない弊害がある。

かじか湯

c.おもかげ湯
『日帰りで訪れた家族連れやグループなどが、一緒にゆっくり温泉入浴を楽しめる、貸し切り風呂「おもかげ湯」がオープンした。』
(「銀山温泉に貸し切り風呂オープン 日帰り客のニーズに対応|山形新聞」より)
50分の貸し切り。一人で入ってもグループで入っても@1,600円。私が何度か通った限りでは、利用者はいなかった。

おもかげ湯

2)鏝絵(こてえ)

古山閣、永澤平八、能登屋などに鏝絵がある。
鏝絵(古山閣)

鏝絵(永澤平八他)

3)銀山温泉での昼食

連泊であろうとなかろうと、重要なというか切実なという問題が、昼食をどうするかという問題。

興味があった白銀の滝側のそば処滝見館はこの時期平日は休みである。


a.はいからさん通り
これは、店の名前であって、通りの名前ではありません。

はいからさん通り

鴨南蛮
鴨南蛮

メニュー
メニュー

ついでに、カリーパン
カリーパン

b.伊豆の華
伊豆の華

鴨せいろそぱ
ここの蕎麦は、美味しい。

鴨せいろ

メニュー
メニュー

店内・厨房方面
ところで、「銀山温泉ただいま人口190人」というポスターが張られていたので、今の人口を聞いた。高齢者で亡くなった人・引っ越して行った人が多く、今はその半分以下です、との話だった。寂しい限りである。

店内・厨房方面

c.野川とうふ店
ついでに、野川とうふ店で持ち帰り豆腐を買い、玄関で食べた。
豆腐は中がすこぶる柔らかい。味はノーコメント。

野川とうふ

立ち食いとうふ
立ち食いとうふ

4)銀山温泉土産

亀屋菓子舗
亀まんぢうとドライフルーツ・こくわ
亀屋菓子舗の亀まんぢうとこくわ

亀まんぢうとこくわ

a.亀まんぢう on粉引皿
数多くの受賞歴がある。第25回全国菓子大博覧会でも全菓博会長賞を受賞したそうな。
最初餡の塩味が強くて気になるが、慣れると温泉饅頭としては大変旨い部類に入ると思える。

亀まんぢう

b.ドライフルーツ‘こくわ(サルナシ)’on青白磁皿
病み付きになる、気になる味と感触である。
マタタビの仲間なので、食べすぎには注意が必要かも。

こくわ(サルナシ)

昭和館と能登屋旅館

今回の銀山温泉一人旅でお世話になった旅館を紹介します。

1) 味とまごころの宿 昭和館

とてもお洒落な落ち着いた館内

 5階は、女将の大好きな相田みつを先生のギャラリー。
銀山川を眼下に心が洗われます。
1階には売店、喫茶店、宴会場があり、
最上階6階には、天空露天風呂があります。

 館内には、 女将の心のこもったオブジェや生け花が活けてあり
心和ませてくれます』
(「昭和館 オリジナルホームページ」より)

昭和館
玄関先の大きな狸の置物が目印となる。
味とまごころの宿 昭和館

風呂

天空風呂 他に男女交代制の内風呂2
昭和館 天空風呂

● 夕食
岩魚の骨酒

昭和館・夕食 岩魚骨酒

・食前酒 :自家製こくわ(サルナシ)酒
・料理は、尾花沢牛の陶板焼きなど
昭和館・夕食1

昭和館・夕食2

昭和館・夕食3

○ 朝食
昭和館・朝食

2) 能登屋旅館

湯けむりが導くロマンチックストーリー。
    過ぎ去り日の思い出を伝えて・・・


川面に映る懐かしい風景を
静かに揺らして、そっと
風が吹き抜ける。
今、ゆるやかに流れゆく
歴史の川を紐解いて
まるで物語の一シーンのように。

深山の旅情の彼方に
    鉱山師たちと同じ夢を見る。


五百年もの歴史をもつ銀山温泉は、その名の通り昔は銀の鉱山として栄えた仙境の温泉です。
奥羽山脈を望む素晴らしい自然の中、銀山川をはさんで建ち並ぶ木造りの旅館。「家並み保存条例」により守られているその景観はまさに大正時代そのものの趣があります。しっとりと古の面影を残す銀山で、夢を求めて集まった人々の熱い心を感じて下さい。』
(「能登屋旅館 オリジナルホームページ」より)


能登屋旅館
能登屋旅館

風呂
から
洞窟風呂 他に露天風呂が隣接している大浴場と内風呂が男女交代制で
能登屋旅館 洞窟風呂

● 夕食

・利き酒セット
向かって左より、初孫・純米 「魔斬」出羽桜・大吟醸 「出羽桜」六歌仙 「おばね酒」 
最上川・純米吟醸 「銀山温泉」
利き酒セットと最上川・純米吟醸銀山温泉

・食前酒 :自家製山ぶどう酒
・珍味三種:水こぶ・しらあえ・あけび
・お造り :川魚お刺身サラダ風
・鍋物  :尾花沢牛しゃぶ・季節の野菜・紅花麩
・酢の物 :滝川豆腐
・凌ぎ  :手打ち蕎麦
・椀物  :蛤・松茸・三つ葉
・お食事 :ご飯・香の物
能登屋旅館・夕食1

・煮物  :山形名物いも煮
・焼物  :名残り鮎塩焼き
・温物  :茶碗蒸し
能登屋旅館・夕食2 温かい物

・水菓子 :季節の果物
能登屋旅館・夕食 デザート

夕食 品書き
能登屋旅館・夕食 品書き

○ 朝食
能登屋旅館・朝食

大広間で朝食
一人泊3人が確認できる。大半は二人泊
能登屋旅館・朝食 大広間

☆ 外から見える望楼部分:本館4階談話室には、雛人形が飾られていた。
本館4階談話室には、雛人形が

三日目、送迎バスが出るとき 大女将が店先から見送ってくれた。
玄関奥には、「おしん」の撮影のとき(昭和58~59年)の音羽信子とのツーショットの写真があるが、それから30年弱の年月が流れた、と。
大女将のお見送り

☆ フロントには、メカに強い男性がいるようだ。
  丹前の袖の中に携帯電話を入れていたが、廊下で落として一時撮影不能となった。部屋かかりの女中さんが直してもらってあげるといって、直してきてくれた。当の男性に直接お礼を言いそびれてしまった。食事はほとんど携帯で撮っている。本当に有難うございました。

一人旅の旅館予約について

一人旅の旅館予約 は、難しいか。


一人旅は、ビジネスホテルを予約する場合を除き、特に旅館では敬遠されると言われている。
ひと頃は胡散臭い一人旅の人間が自殺でもしたら大変だとか気にしたというが、国民の三割がいわゆる「お一人様」の時代になると、一人泊は部屋単価の問題だけだろうと私は思うのだが。
しかし雑誌でも“まっぷるマガジン 温泉&やど 東北”昭文社などをみると、一人泊 ○△×で区別されているし、ブログにも一人泊の拒否情報が飛び交っているようだ。

◆ 私はビジネスホテルや大規模宿泊施設は楽天やじゃらんでネット予約しているが、旅館の一人泊は直接電話すれば済むことだと今回感じた。
また銀山温泉の旅館の場合「日観連やど日本」でスムーズに予約できるような気がする。
(★じゃらんや楽天では、今回の例では『誠に申し訳ございませんが、この検索条件に該当する空室が見つかりませんでした。条件を変えて再検索してください。』となって、確かにめげてしまいそうになった。)


◆ しかし銀山温泉のシーズン(ピーク)が10月とすると、シーズンオフの今回は空いていれば予約できると電話で交渉して感じた。ただ二人一部屋使いに比べて一人一部屋では自ずから若干単価が上がることは覚悟する必要があるが。

ちなみに、今回銀山温泉では二泊したが、一泊目の宿は2人しか泊まってないようだったし二人とも一人泊、二泊目の宿は計40人超であったが10人弱の団体さんが一組、その他は二人泊が圧倒的多数に対し一人泊が三人いた。(これは朝食のときに確認できる。)


◆ 要するに、変な情報や思い込みをやめて、まず電話で直接当たるのが賢い。あなたが旅館の経営者ならば、空き室を部屋単価が安くなるからと言って一人旅の人を泊めないだろうか。シーズン中はともあれ、シーズンオフは一人泊をどんどん受けてくれる筈だ。気に入った旅館は、人の行かない時期に利用しよう。

雪の後

雪はその後どうなったか。
雪の日の昼、二軒目の宿にチェックインする頃には、道路の雪かきは終了していた。
素早いものだ。
また、お風呂三昧の時間が来た。
朝には雪かきが終了

★ 雪かきは各宿てんでばらばらに、しかし気がつくと温泉街のすべての道路から雪は消えていた。
実は雪かきは早朝から始まっていた。
写真を撮り終えて宿に帰るとき雪かき、ここの場合銀山川への雪捨てはすでに始まっていた。
旅人には風流に見える雪、しかし温泉の人々にとっては泊り客の安全の確保のために余計なものなのだろう。
実は早朝から雪捨ては始まっていた

銀山温泉の夜景

東北地方の天気は、明日は荒れそうだ、と。

銀山温泉の夜景

◆ 部屋から見た夜景。
『建築家隅研吾氏デザインの外観が目を引くデザイナーズ旅館』そして『日本一有名な“金髪女将”家出騒動に温泉街“困惑”』の藤屋に明かりが灯る。
細い割竹を組む簀虫籠(すむしこ)が、室内の明かりを受けて鮮明となる。
部屋からの夜景

◆ 外に出て、温泉街の夜景を撮ってみることにする。
一人旅の気ままさは、この辺りにある。
すでに道は、薄っすらと雪化粧を始めている。
温泉街の夜景1

銀山温泉の夜は、本当に静かだ。
温泉街の夜景2

雪はだんだん強くなってきた。
温泉街の夜景3

光に照らされて雪が舞う。
温泉街の夜景4

これは明朝、結構積もっていそうな予感がした。
これは、明日積もりそうだ

銀山温泉到着

期待していたレトロ調ボンネットバス『銀山はながさ号』ではなかったので少しがっかりしたが、尾花沢市営路線バスに乗って大石田駅から銀山温泉に向かった。
尾花沢市営路線バス

終点・銀山温泉。温泉街には車で乗り入れられないので、待合所から温泉街までは徒歩となる。ここからは温泉街が一望できないので、一瞬不安が募る。
終点・銀山温泉待合所から

白銀橋まで降りてくると、銀山川沿いの温泉街の雰囲気が感じられるようになった。
しろがね橋

銀山温泉街
道に、雪がない。
しかし雨上がりのように、空気が湿って感じられる。
銀山温泉街

銀山温泉街
これを大正ロマンというのか。
銀山温泉街2

温泉街の先には、滝があった。水量は少なくない。
白銀の滝というそうだ。
白銀の滝

疎水坑跡という銀山の名残りを見た後、細い山道を少し登った。
滝の落ち口があった。
白銀の滝の落ち口

白銀の滝の上、せことい橋か。
道が凍っていて滑る。その上は雪が深い。これ以上は進めない。
宿の人の話では、白銀公園は4月頃いっせいに掃除してGWには公園内を散策できるようになるそうだ。
白銀の滝の上、せことい橋か

癒しの旅-雪の銀山温泉

66歳のリタイアを機に、癒しの一人旅に出掛けた先は、銀山温泉。
山形新幹線大石田からバスで東に30~40分ほど分け入ったところにある。


銀山温泉 山形県尾花沢市銀山新畑

◆ 『銀山温泉は、尾花沢市の市街地から東に19kmほど行った閑静な山間に湯煙を上げる昔ながらの温泉地である。銀山川の清流を挟んだ両側に三層、四層の木造旅館が軒を接する温泉街の光景は風情たっぷりで、浴衣姿に下駄履きで闊歩すれば、さらに温泉情緒を身近に感じることができる。温泉街といえども、その距離は200m余り。大正時代の洋風建築を取り入れた木造はほとんどが温泉宿で、大正ロマンを平成の世に伝えている。…
銀山温泉は名が示すように日本三大銀山のひとつ延沢銀山で栄えたところ。1622(元和8年)には幕府直轄の銀鉱となり、最盛期には関係者をはじめ坑夫やその家族で人口が2万人を超したという。温泉は寛永年間(1624~44)に新しい鉱脈を探していた際、偶然に湧き出したもの。江戸時代初期のことである。』
(「温泉・宿ガイド 南東北」山と渓谷社P272より)

◆ 『まさに大正時代の温泉街そのまま
NHKの連続テレビ小説「おしん」の舞台として、一躍脚光を浴びた銀山温泉は、山形県尾花沢市の東、奥羽山脈を源とする銀山川の河畔にある。
その銀山の清冽な流れが照り輝く掘割の両側に、木造旅籠屋建築の三階建て、四階建て温泉宿が13軒、土産物屋や雑貨屋に交じって軒を連ねる。山あいの猫の額ほどの土地に突如として現れたこの異次元とも思える世界に、誰しも目を見張るに違いない。大正時代の温泉街がそのまんまに、たたずんでいたのである。』
(「温泉教授の日本百名湯」光文社新書 P90より)

◆ 『平成温泉番付 行司:松田忠徳
 東関脇 銀山温泉』
(「大人の温泉旅行術 本物の見分け方・入り方」PHP研究所 P199より)



● 雪の銀山温泉

☆ 私は、晴れ男である。なのに、到着の深夜から東北地方は天気が大荒れとなった。しかし、銀山温泉は雪が似合う。私はやはり、天気の神様がついていてくださったに違いない。
早朝、人がまだ足跡をつける前に、カメラを抱えて宿を飛び出していた。
この朝はすべて私のためにあるかのごとく、雪に包まれるこの温泉街を撮った。長靴を履かずに、下駄はずぶっともぐり、くるぶしまで雪はきた。が、寒くはなかった。
 

まだ眠りから覚めぬ温泉街
雪の銀山温泉1

一軒の宿に、明かりが灯った
雪の銀山温泉2

空が白けてくるのに、雪はまだ降り止まない
雪の銀山温泉3

部屋から見た温泉街
雪の銀山温泉4

水墨画のような、光景
雪の銀山温泉5

☆ 撮影の後、熱いお湯につかった。
  なんとも癒される朝であった。
  朝食後、ゆっくり白銀の滝を確かめに行った。

雪の銀山温泉7
プロフィール

yogaz

Author:yogaz
飯山満通信へようこそ!
満73歳になりました。予定寿命まで後7年です。ただいま終活中です。当面75歳までは、ボランティアガイドと生涯学習・介護予防のお手伝いを続けたいと思います。
なお、2006年6月14日から始めた飯山満通信は、2013年12月14日、ブログを引っ越しました。Dtiblogのブログサービスが終了したためです。

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