帰路と土産~会津旅行5

帰路(会津若松喜多方ラーメン&郡山中華料理屋)と土産(会津ゆべし&郡山ゆべし) ~会津旅行5

一泊二日の小旅行は終わった。会津若松市内観光の最後は喜多方ラーメン店の無料の正油らーめん一杯。天気が崩れるという予報で、帰りを早めた。郡山でも予定の新幹線から変更することができない不自由な契約であったので、とある中華料理屋で飲み食いして過ごした。土産は会津と郡山のゆべしのみ。

喜多方・正油ラーメン at 来夢・会津若松駅前店/旅行社のプチサービス(無料)
正油らーめん

※ 私が幹事の旅行は、交通費と宿泊代と食事代が最小と思われる 「けちけち旅行」 となる。移動にはジャンボハイヤーを使い、フルに最大限のビューポイントを回る。あまりクレームは出なかった。代わりに来年の「入社50周年記念旅行」にはまた幹事をやれ、との要望が。また、古墳研究者とタッグを組むのか。

来夢・会津若松駅前店
来夢・会津若松駅前店

玄関から中を覗く
店内

※喜多方ラーメンの既報は、以下の通り。
・喜多方らーめんとわたらせ渓谷鉄道の旅は、こちら
・喜多方らーめんは、こちら
・ついでに、喜多方蔵めぐりは、こちら

郡山の中華料理店/中華をあてに紹興酒を飲む
郡山・中華屋

◆ 土産
A.会津ゆべし/第23回全国菓子大博覧会栄誉金賞受賞
    (有)白虎最中本舗 会津若松市七日町13-36

会津ゆべしon粉引皿
会津ゆべしon粉引皿

会津ゆべし・袋
会津ゆべし袋

箱/娘一家にも、一つずつおすそ分け
会津ゆべし箱

開封
会津ゆべし・開封

会津ゆべし個袋on粉引皿
個袋on粉引皿

B.郡山ゆべし/(有)郡山銘菓庵 大黒屋 郡山市中町14-8

大黒屋のくるみゆべしと黒ごまゆべしon青織部皿
大黒屋のくるみ&黒ごまゆべしon青織部小皿

くるみ&黒ごまゆべし 個袋
くるみ&黒ごまゆべし

大黒屋ゆべし・袋
郡山ゆべし袋

会津若松市内観光~会津旅行4

会津若松市内観光~会津旅行4

院内御廟(松平家墓所)・御薬園・鶴ヶ城・飯盛山・大塚山古墳を見て回った。

(1) 院内御廟(松平家墓所)
院内御廟の案内は、こちら
院内御廟案内板
院内御廟(松平家墓所)案内板

碑石・表石・鎮石案内板
碑石・表石・鎮石案内板

松平容保の表石(奥に同じく鎮石)
松平容保の表石(奥に同じく鎮石)

院内御廟・碑石群
院内御廟・碑石群

※ 院内御廟の既報は、こちら

(2) 御薬園
御薬園の案内は、こちら
女滝から見た楽寿亭と御茶屋御殿
女滝から見た楽寿亭と御茶屋御殿

心字池の紅葉
心字池の紅葉

(3) 鶴ヶ城
史跡若松城址・鶴ヶ城は、こちら

椿坂
椿坂

武者走
武者走

天守閣
天守閣

鶴ヶ城稲荷
鶴ヶ城稲荷

荒城の月の碑
荒城の月の碑

※鶴ヶ城 茶室・麟閣ほかの既報は、こちら

(4) 飯盛山
飯盛山のみどころは、こちら
a.さざえ堂
さざえ堂

b.戸ノ口堰洞穴(白虎隊引上げ洞門)
白虎隊引き上げ洞門(戸ノ口堰洞穴)

c.白虎隊十九士の墓
白虎隊19士の墓

d.白虎隊自刃の地と鶴ヶ城方面
自刃の地と鶴ヶ城方面

(4) 大塚山古墳
大塚山古墳の案内は、こちら
大塚山古墳案内板
会津大塚山古墳・案内板

大塚山古墳・石碑
大塚山古墳・石碑

cf.大塚山古墳の遠景
大塚山古墳・遠景

東山温泉 くつろぎ宿千代滝

東山温泉 くつろぎ宿千代滝~会津旅行3

くつろぎ宿千代滝/会津若松の街並みを眺められる露天風呂(10階)
露天風呂からの若松市内の眺望10F

ウェルカム・ドリンク/日本酒・末廣
ウェルエム・ドリンク(末廣)

夕食
お品書き
お品書き

 乾杯/一人遅れて到着。故に、2回乾杯
乾杯

造里・生トロ湯葉刺し、国産牛の陶板焼き、先付前菜・八寸七点盛、
彩菜・会津の恵み、蒸し物・粒蕎麦、焼き魚など
造里・生トロ湯葉刺し&陶板・国産牛の陶板焼、先付前菜・前菜・八寸七点盛、彩菜・会津の恵み、蒸し物・粒蕎麦、焼魚

こづゆ、田楽
こづゆ、田楽

食事・ご飯
食事・ご飯

甘味・季節のデザート
甘味・季節のデザート

【参考】 予約の取れなかった向瀧
向瀧

※ 朝食は、バイキング。カメラを部屋に忘れたので写真はない。

野口記念館・日新館・武家屋敷

土津神社・野口記念館・日新館・武家屋敷跡 ~会津旅行2

土津(はにつ)神社の紅葉
土津神社の紅葉

初日の午前を中心に、五色沼観光の後は、猪苗代駅から、保科正之を祀る土津神社、野口英世記念館、会津藩校/日新館、武家屋敷跡を巡ったのち、東山温泉に入った。

(1) 土津(はにつ)神社/会津松平家初代藩主・保科正之を祀る
土津神社鳥居を望む
土津神社鳥居を望む

土津神社・拝殿
土津神社・拝殿

保科正之墓所への参道入り口
保科正之墓参道入り口
時間の制約もあり、また目が悪いため歩くのが苦手の人がいたので、正之の墓所を見るのを断念した。
cf.保科正之の霊神之碑などの写真は、こちら

(2) 野口英世記念館
野口英世記念館・生家エリア
野口英世生家エリア
※ 野口英世生家エリア

展示/猪苗代・会津若松時代
野口英世記念館・展示

(3) 会津藩校/日新館

日新館入口
日新館・入口

武家屋敷跡内にあった日新館全図
武家屋敷跡の展示・日新館図

孔子廟
孔子廟

山川健次郎関連展示
山川健次郎関連の展示

(4) 武家屋敷跡

武家屋敷入口
武家屋敷入口

西郷家・家老屋敷
表玄関
家老・西郷家の表玄関

家老屋敷外観
家老屋敷外観

旧中畑陣屋(旗本・松平軍次郎の代官所)
旧中畑陣屋玄関

藩米精米所
精米所

女子の自刃(展示)
女子の自刃

茶室
茶室

武家屋敷の場内詳細案内は、こちら

五色沼自然探勝路を歩く

五色沼自然探勝路を歩く ~会津旅行1

会社同期で少人数の旅行に出かけた。前回45周年の時は東日本大震災の見舞の一環を兼ねた。今回も気持ちはお見舞い。津波や原発事故の直接被害の少ない会津地方となったが。天候にも恵まれ紅葉のベストの時期とも重なり楽しい旅行となった。以下に小旅行のショットを連載する。一回目は五色沼探勝。

※  東北震災見舞い/東松島・石巻、震災見舞いの旅
※※松島の観光

五色沼入口付近/毘沙門沼
五色沼入口付近・毘沙門沼

五色沼自然探勝路:五色沼入口から裏磐梯高原駅まで
実は、各沼の名称は正確に識別できなかった。

赤沼
赤沼

みどろ沼か(弁天沼かも知れない)
みどろ沼か

弁天沼か(青沼かも知れない)
弁天沼か

瑠璃沼か
瑠璃沼か

青沼か
青沼か

柳沼か
柳沼か

【追伸】 桧原湖と磐梯山

車窓より
桧原湖を望む/車で立ち寄り
車窓より桧原湖を望む

磐梯山を裏表から観る
磐梯山ゴールドラインから見た裏磐梯山
磐梯山ゴールドラインから見た裏磐梯山

猪苗代湖よりから見た表磐梯山
猪苗代湖よりから見た表磐梯山

足尾・通洞駅周辺散策

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅  補記5


足尾・通洞駅周辺散策

東武日光駅→(東武バス)→銅山観光
1日4本走っている。

いろは坂の南に位置し、足尾と日光を結ぶ日足トンネル。このトンネルの開通で日光と足尾の往来は一気に便利になった、と。
足尾と日光をつなぐ日足トンネル


? 通洞駅周辺

バスは一旦わたらせ渓谷鉄道の間藤駅前・足尾駅前を通過し通洞駅前を通って終点銅山観光前に引き返す。

途中の景色/足尾銅山の精錬所の面影を残す建物
足尾精錬所跡

排気ガスで禿山となっていたところの回復の様子。
植栽による禿山の回復

銅山観光前到着/東武バス
わたらせ渓谷鉄道周辺の情報に乏しい今回の旅の中で、貴重な情報源となった親切なバスの運転手さん。有難うございました。
銅山観光到着の東武バス

銅山観光
のトロッコ
銅山観光のトロッコ

すぐに坑内の終点
すぐに、トロッコの終点

私にはとても懐かしい湿気た坑内の風景。
私は実は、出発点が山師、いや鉱山技師なので…。
徒歩で湿気た坑内を散策

銅山観光を終え、徒歩で足尾駅方面に向かう。
かつて栄えた足尾銀座も今は廃れ、替わりに、田中正造によって弾劾された鉱毒の川も今は魚も戻って清流に。鉱毒の川の今

? 足尾駅周辺

足尾駅を少し通り過ぎると、社宅が。今も一部使われている。鉱山社宅跡

○ 古河掛水倶楽部

さすが古河財閥発祥の地。往時がしのばれる建物である。

『足尾銅山は慶長15年(1610年)備前楯山で二人の農民によって発見され江戸幕府直轄の銅山として栄え、その銅は東照宮、芝増上寺や江戸城の屋根や、銅銭「寛永通宝」にも使われました。
明治10年(1,877年)廃山同様になっていた足尾銅山を古河市兵衛が経営するようになり、日本の鉱山としては最先端の技術を取り入れ、日本の産銅の約半分を生産するに至り、東洋一の銅山と呼ばれるようになりました。
[古河 掛水倶楽部]は約100年前に銅山の迎賓館として建設され、1部の和風部分は明治末期に改築され洋風2階建てとなり、銅山の宿泊施設や会合に使用され現在も古河機械金属?の福利厚生施設として現役で活躍しています。公開日は、土曜、日曜,祝日ですが、ウィクデーも事前に予約により受付致します。』(「足尾の古河掛水倶楽部」より)

足尾掛水倶楽部

倶楽部内部
掛水倶楽部内部

三代目・古河虎之助
の愛した洋間
三代目の愛した洋間

庭園から見上げた倶楽部
庭園から見た、倶楽部

レンガ造りの書庫
レンガ造りの書庫跡

俄かに雲行きが怪しくなり、小雨が降ってきた。
そろそろ、トロッコわたらせ渓谷号の発車時間だ。
急いで足尾駅に戻ることにした

日光東照宮、日光よさこい祭り

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅  補記4


● 日光東照宮


東武日光駅発、わたらせ渓谷鉄道・足尾駅までのバスが発車するまでの間、大分時間があったので日光東照宮に立ち寄ることにした。父親の喜寿の祝いを兄弟揃って目白椿山荘で行った後、記念に日光まで足を伸ばした。あれから四半世紀経つ。


『現在の社殿群は、そのほとんどがご鎮座から20年後の寛永(かんえい)13年(1636)に建て替えられたものです。陽明門(国宝)など55棟、その費用は、金56万8千両、銀百貫匁、米千石(『日光山東照大権現様御造営御目録』より)を要し、ご造営の総責任者には秋元但馬守泰朝(あきもとたじまのかみやすとも)、工事や大工の総責任者には大棟梁甲良豊後宗広(こうらぶんごむねひろ)があたり、わずか1年5ヶ月の工期で完成しました。
 境内の特徴は、自然の地形を生かした参道や階段を用い、バランス良く配置された社殿群が荘厳な宗教的空間をつくりだしていることにあります。さらに建物には、漆や極彩色がほどこされ、柱などには数多くの彫刻が飾られていますが、これらは単なるデザインではなく、信仰形態学問・思想があらわされています。
 また、これらの社殿群は平成11年12月「世界文化遺産」に登録されました。』(「日光東照宮ホームページ|社殿の概要」より)

☆ 感想は、全く新鮮な感じがしたのは私だけでなく、女房も同じだった。何故かわからないが、初めて訪れた感じだった。学生時代も結婚してからも訪れたのに。何も知らなかったような気さえした。日光は、結構奥が深い。


神橋下の清流
神橋下の清流

日光輪王寺
日光山輪王寺

表参道
表参道

五重塔
五重塔

一の鳥居、陽明門
一の鳥居、陽明門

奥社御宝塔(家康公墓所)
奥社御宝塔(家康公墓所)

東照宮宝物館
鳴き龍は、始めてかも
天井絵の龍
の顔の下で拍子木を打つと、鈴を振るような音が響く。
東照宮宝物館

御旅所

御旅所他

眠り猫、神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)他
眠り猫他


○ 日光よさこい祭り



この日はたまたま、日光よさこい祭りが催されていた。
日光よさこい祭りパンフレット
日光観光資料

日光よさこい祭り/表参道
日光よさこい祭りat表参道

日光よさこい祭り
よさこい祭り

よさこい祭りスナップ集
よさこい祭り集

一旦日光駅に戻る途中出会った神橋の上の花嫁、バスの中から偶然撮った。
神橋の花嫁

東武日光駅に戻り、駅前の‘レストラン らんぶる'で昼食を。
ゆば天丼、ゆば丼:日光名物湯葉を使った料理ということで。
そして、‘金谷ホテル ベーカリー'で三時のおやつ用のパンを。
東武日光駅前で昼食

会津鉄道閑話

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅  補記3


会津鉄道 ほか

?西会津→(会津鉄道)→会津田島  


○ ふるさと列車
西若松から会津田島へ

『「はやくきてくたされ・・」野口英世博士にあてた、母シカの手紙の全文が野口博士の顔とともにペイントされています。』(「会津鉄道≫車両のご紹介」より)

野口英世号か

○ 芦ノ牧温泉駅から団体さんが乗ってきた
駅長猫の‘バス’を見るために来たのだが、生憎巡回中で会えなかったと。

『西には和歌山電鉄に猫駅長がいますが、東には会津鉄道芦ノ牧温泉駅に猫駅長がいます。彼女の名前は、バスといいます。某アニメ映画の猫バスから貰った名前だそうです。』(「動画共有サイト:毎日動画「芦ノ牧温泉駅の猫駅長バス」投稿者:knack555さん」より)

芦ノ牧温泉の駅長猫“バス”

○ 去年大内宿へ行くのに途中下車した湯野上温泉駅

湯野上温泉駅

反対ホームから見た湯野上温泉駅。雪が積もるとこの方向からの駅舎の眺めはさらに趣が増す、と。
湯野上温泉駅2

去年塔のへつりを見たが、そのちょっと上流の川
塔のへつりの手前の川

?会津田島→(会津鉄道・野岩鉄道・会津鬼怒川線)→川治湯元
会津田島で乗り換え

○ 1日三組限定の格安旅館のある、川治温泉はここ。
川治温泉1

男鹿川の渓流では夕方も朝早くも、魚釣り人が二・三人ほど
川治温泉の川

◆ 格安の宿の夕食
客室は、この値段にしては上出来か。
夕食は、まあこんなところといった感じ。
格安の宿の夕食
向う付け
向う付け
刺身
刺身
鮎の塩焼き
鮎の塩焼き

鍋
煮物
煮物
ご飯
ご飯
オプションの馬刺し
追加の馬刺し
地酒は、なんとカップ酒
地酒、なんとカップ酒

早立ちのため、宵のうちに清算し、朝食代わりにおにぎりを握ってもらった。
早立ちのため、宵のうちにおにぎりを

☆ 山味亭 こうわ
1日三組限定 格安価格@5,900円 (夕食・朝食付き)

『元祖・鬼子汁が自慢のお宿。お部屋は全室川側で快適ステイ。

 川治温泉のほぼ中央、新男鹿橋のたもとに建ち、全室川沿い。料理は「きのこわっぱ飯」と「元祖・鬼子汁」が自慢。かけ流しの温泉は、内湯ながら大きく取った窓から男鹿川の清流を眺めつつ、ゆったり』(「山味亭こうわ詳細-じゃらんnet」より)

鶴ケ城 茶室・麟閣ほか

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅  補記2


○ 会津若松・鶴ケ城内 茶室麟閣その他

『天正19年(1591)2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんでその子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけました。その結果、文禄3年(1594)と推定される「少庵召出状」が出されたのです。
 小庵は京都に帰って千家を再興し、千家茶道は一子、宗旦(そうたん)に引き継がれました。
 そののち宗左、宗室、宗守の3人の孫によって表、裏、武者小路の3千家が興され、今日の茶道隆盛の基が築かれました。 かくまわれている間、氏郷のために造ったと伝えられているのが「麟閣」であり、以来、鶴ヶ城(若松城)内で大切に使用されてきました。』(「会津若松市観光公社」より)


☆会津若松で多少待ち時間が発生したので、この地が始めての女房を鶴ヶ城に案内した。

なお、会津若松に関する去年の既報は、
籠太さん                070915
院内御廟(会津藩主松平家墓所) 070916
御薬園                 070917
渋川問屋と五郎兵衛飴       070918


茶室 麟閣
鶴ケ城 茶室・麟閣

茶室
茶室 麟閣

にじり口
茶室 にじり口

その他
天守閣
天守閣

鉄(くろがね)門

鉄門

会津若松駅のあかべこ
若松駅のあかべこ

会津若松駅から鶴ケ城への当初予定循環バス(あかべぇ)
スケジュール上間に合わないので普通のタクシーを選択
会津若松駅から鶴ケ城への当初予定循環バス

鶴ケ城から西若松まで、たまたま居合わせたロンドンタクシーに乗る
鶴ケ城から西若松までのロンドンタクシー

喜多方 蔵めぐり

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅  補記1


 喜多方 蔵めぐり

『全国でも有数の「蔵のまち」として知られる喜多方ですが、その街並みはどこか奥ゆかしい様相。・・「白漆喰なまこ壁の蔵がズラリと・・・」というのとは趣がかなり違う喜多方の特異性は、酒蔵や味噌蔵などの「倉庫としての蔵」に加え、店舗や住まいも店蔵や座敷蔵といった「蔵造り」が多いこと。白漆喰、黒漆喰、土壁、レンガ壁など、姿や規模は様々ながら、どっしりとした造りが中心です。その典型は、店蔵なら金忠や小原酒造。座敷蔵なら若喜商店のレンガ蔵や甲斐本家蔵座敷。人々の暮らしの中に現役で生きる存在こそ、喜多方の蔵の魅力なのです。』(「タビリエ 喜多方磐梯会津」JTBパブリッシングP19より)


喜多方 蔵めぐり資料喜多方 蔵めぐり 資料

◆ 酒蔵

○ 大和川酒蔵北方風土館

大和川酒蔵玄関
大和川酒蔵

蔵群
大和川酒蔵

資料展示場となっている江戸蔵
大和川酒蔵・江戸蔵

コンサート場となっている昭和蔵
大和川酒蔵・昭和蔵

○ 小原酒造

小原酒造

◆ 座敷蔵

○ 若喜商店レンガ蔵 

若喜商店玄関
若喜商店 レンガ蔵

若喜商店レンガ蔵正面
若喜商店 レンガ蔵

若喜商店レンガ蔵 
若喜商店 レンガ蔵

縞柿の道具
若喜商店 縞柿の道具

縞柿の間
若喜商店 縞柿の間

若喜商店 味噌蔵?
若喜商店 味噌蔵方面


○ 甲斐本家座敷蔵

甲斐本家玄関
甲斐本家座敷蔵

甲斐本家座敷蔵
甲斐本家

座敷
甲斐本家座敷蔵

玄関脇の蔵
甲斐本家蔵

螺旋階段
甲斐本家 螺旋階段

味噌・醤油蔵
甲斐本家 味噌・醤油蔵

◆ 店蔵

○ 金忠 おたづき蔵通り
店蔵 金忠

タビリエの指摘するとおり、川越や倉敷や諸々の全国の蔵の街とは印象が違う。

トロッコわたらせ渓谷号

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅 第3報

わたらせ渓谷鐵道

   トロッコわたらせ渓谷号


足尾~大間々 1日1往復
     2008年9月の運転日は土日と祝日の10日。

・沿線ガイドは、こちら

◆ 足尾(あしお)通洞(つうどう)→原向(はらむこう)→沢入(そうり)神戸(ごうど)→小中(こなか)→中野(なかの)→花輪(はなわ)→水沼(みずぬま)→本宿(もとじゅく)→上神梅(かみかんばい)→大間々(おおまま)


『わたらせ渓谷鉄道:トロッコ列車、20万人達成 黒字化も視野 /群馬
 ◇住民らと経営努力実り
 1988年の開業以来、赤字経営が続いている第三セクターの「わたらせ渓谷鉄道」(わ鉄)が、会社の経営努力と、地元住民らで作る市民協議会(佐羽宏之会長)などの支援の広がりで、旅客売り上げが今までになく増え始め、初の黒字化も視野に入ってきた。23日には、10年前に導入したトロッコ列車の乗客が20万人に達した。』(「毎日新聞」群馬08年8月24日より)

今回のトロッコわたらせ渓谷号関係資料
トロッコわたらせ渓谷号資料

列車編成後のトロッコわたらせ渓谷号
牽引のディーゼル機関車はDE10形1537。
あかがね色に金帯。
トロッコわたらせ渓谷号

列車編成前のわたらせ渓谷号
列車編成前のわたらせ渓谷号

トロッコ(無蓋車)
ボディの痛みが、痛々しい。
トロッコ(無蓋車)

トロッコ(無蓋車)の中
この日、出発時に雨が降ってきた。それもかなりの雨脚だ。
雨女の女房らしい展開となった。
この日、足尾駅から乗り込んだのは5組ほどのファミリー。

最初の部分は進行方向右の席が、また後半ルートは左の席がお薦め。
渡良瀬渓谷の景色がそちらが良いわけだ。
トロッコの内部

あと5分で出発の足尾駅。
あと5分で出発

車窓からのわたらせ渓谷
出発直後の車窓の景色1

足尾から沢入(そうり)駅までは、このような渓谷美が続く。
車窓の景色2

白い大きな石が特徴
車窓の景色3

沢入駅と神戸(ごうど)駅の間の、全長5,242mという長い草木トンネル
暗闇の中、轟音が続く
沢入駅と神戸駅の間の長いトンネルの中

神戸駅での販売
神戸駅の物売り

向うに見えるのは列車のレストラン‘清流’
向うはレストラン「清流」

神戸駅より下流の車窓の景色
石は丸みを帯び、小さくなっていく。
神戸駅より下流の車窓の景色1

水もよどむところが多くなる
小さな滝が救いか。
神戸駅~水沼駅の車窓の景色2

名物駅構内の温泉。水沼駅の温泉センター
燃料高騰により、10月1日からは露天の「かっぱ風呂」の利用はしばらくの間、休止とのこと。
水沼駅温泉センター

なお、大間々からは平凡な次の列車に乗り継ぐ。
大間々駅から次の列車に乗り換え

☆ 足尾駅、通洞駅近辺での道草については、いずれ追記する予定。

まこと食堂の中華そば

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅 第2報

喜多方らーめん

『札幌・博多と並び“日本三大ラーメン”と讃えられる喜多方ラーメン。昼時はもちろん、開店前から行列が出来てしまう日も。ゆっくり味わうには平日の11時前、または14時過ぎが狙いメ!』(「タベリエ 喜多方 磐梯 会津」JTBパブリッシングより)

今回の喜多方ラーメン関係資料
喜多方ラーメン・わざわざ行きたい5軒

選択肢が沢山ありすぎて選べない状態。そこで時々車を飛ばしてわざわざ喜多方ラーメンを食べに来る長女に、女房がさっそく携帯でメールした。長女のお薦めは、まこと食堂と坂内食堂。


まこと食堂 小田付道下

行列のできる老舗の味は喜多方スタンダード

昭和22年創業の老舗。地元の常連客が多く、夏休みシーズンには7時30分の開店時から行列ができるほど人気。その秘密は、初代から受け継がれた伝統の味を頑固に守り続けていることにある。一口飲めばわかるコクと力のあるスープは、トンコツと煮干がメインのダシに、数種類の醤油を合せたもの。メニューも中華そばとチャーシューメン、それに各大盛りのみと徹底している。』(同上)

まこと食堂
まこと食堂

まこと食堂の中華そば @600円

定番の、『透明でコクのあるアッサリ系のスープ』(同上)
そして、太い縮れ麺。
まこと食堂の中華そば

うなるほどの個性はないが、飽きの来ない味だ。
金忠や若喜商店などのおいしい醤油が下支えしているのではないかと私には思えた。
秋の紅葉シーズン前の平日でもあり、また早めに入店したので何とか待たずに座れた。
やはり、地元の客が多い。

喜多方らーめんと わたらせ渓谷鉄道の旅

珍しく夫婦で旅することになった。
年休の消化が今年は2日しかなくもっと取れと催促されたのも一因の一つ。

我が家のケチケチ旅行の原則は、青春18切符で日帰り旅行するか、泊る場合は素泊まり換算@4,000円。今回は一泊することになり、急遽宿を予約することとした。楽天やじゃらんなどを検索すると、一日三組限定・格安旅館が見つかった。夕食・朝食付き@5,900円。まずはゲット。

その場所は、川治温泉。関西方面の二人にとって、関東並びに南東北は地理に疎い。去年の会津旅行の帰りに通った、会津鉄道・野岩鉄道・東武日光線の途中にあった。鬼怒川温泉と湯西川温泉の中間点。

ところで女房の希望の注残は、銚子電鉄とわたらせ渓谷鐡道。
そこで何故か喜多方らーめんとトロッコわたらせ渓谷号の旅を企画することになった。おおまかな切符の手配は、いつものJR東日本・水道橋びゅうのザビさん達に相談。

後はいつもの通り、現地で、アドリブで。


旅の結果は次の通り。

◆ 喜多方らーめん

     トロッコわたらせ渓谷鐡道の旅


9月12日(金)
・東北新幹線
  やまびこ43号 上野発7:10 → 郡山着  8:22
・磐越西線
  快速      郡山発8:31 → 喜多方着10:09
○喜多方市  らーめん&蔵巡り
・磐越西線
  普通      喜多方発13:49→会津若松14:06
・タクシー
 ○会津若松市 鶴ケ城見物
・タクシー(ロンドンタクシー)
・会津鉄道
  普通      西若松発15:03→会津田島16:09
  普通      会津田島16:21→川治湯元17:24
 ●川治温泉泊

9月13日(土)
・会津鉄道・野岩鉄道・会津鬼怒川線・東武鉄道
  普通      川治湯元発7:43→下今市着 8:43
・東武鉄道
  普通      下今市発 8:45頃→東武日光8:51頃?
・東武バス 
          東武日光駅     →神橋
 ○日光東照宮&日光よさこい祭り
・東武バス     総合会館前     →東武日光駅前
 ◇昼食
・東武バス     東武日光駅11:21→銅山観光前12:14
 ○(足尾)銅山観光
・徒歩
 ○古河掛水倶楽部
・わたらせ渓谷鐡道 トロッコわたらせ渓谷号
          足尾発  14:25→大間々着16:02
・東武鉄道 
  普通      大間々発 16:16→相老着 16:23
・東武鉄道     りょうもう36号
  特急      相老発 17:03→浅草着 18:25
○浅草浅草寺&浅草観音通り商店街(夕食)
  

◆ では、手始めに第一報として、

利用した交通手段の写真を掲載します。

?郡山→喜多方
・磐越西線
  快速      郡山発8:31 → 喜多方着10:09
郡山→喜多方

?喜多方→会津若松
・磐越西線
  普通      喜多方発13:49→会津若松14:06
喜多方→会津若松

?会津若松→鶴ケ城
・タクシー
会津若松→鶴ケ城

?鶴ケ城→西若松
・ロンドンタクシー
ロンドンタクシー

?西若松→会津田島
・会津鉄道
  普通      西若松発15:03→会津田島16:09
西若松→会津田島

?会津田島→川治湯元
・会津鉄道
  普通      会津田島16:21→川治湯元17:24
会津田島→川治湯元

◆9月13日(土)
?川治湯元→下今市
・会津鉄道・野岩鉄道・会津鬼怒川線・東武鉄道
  普通      川治湯元発7:43→下今市着 8:43
川治湯元→下今市

?下今市→東武日光
・東武鉄道
  普通      下今市発 8:45頃→東武日光8:51頃?
下今市→東武日光

?東武日光駅→神橋
?総合会館前→東武日光駅
・いずれも東武バス(写真なし)
?東武日光駅→銅山観光前
・東武バス     東武日光駅11:21→銅山観光前12:14
東武日光→銅山観光前

?足尾→大間々
・わたらせ渓谷鐡道 トロッコわたらせ渓谷号
          足尾発  14:25→大間々着16:02
足尾→大間々

?大間々→相老
・東武鉄道 
  普通      大間々発 16:16→相老着 16:23
大間々→相老

?相老→浅草
・東武鉄道     りょうもう36号
  特急      相老発 17:03→浅草着 18:25
相老→浅草

では、次回以降、喜多方らーめん、蔵巡り、鶴ケ城、日光東照宮、トロッコわたらせ渓谷号など投稿する予定です。

塔のへつり

■ 塔のへつり


無人の会津鉄道・塔のへつり駅には、自動販売機は有ったが、コインロッカーはなかった。
駅から遊歩道入口へ300mちょっとというが、薮蚊を追い払いながらの道中は、旅行鞄と会津若松&大内宿土産を持つ手もしびれてくる。

『奇岩、怪岩が塔のように 塀立する塔のへつりは、 大川(阿賀川)ラインの中でも 最大の見どころ。百万年もの長い年月をかけて、 侵食と風化を繰り返し このように見事な景観を 創り上げました。へつりとは、この地方の方言で 川に沿った断崖や急斜面の意味。』(「NAF 下郷町 塔のへつり」より)

この崖が、国指定天然記念物

土産物屋の展望台からの眺め
塔のへつり1

つり橋といい、舞台岩からの見下ろしといい、本来高所恐怖症の私ではあるが、両手の荷物でバランスが取れてすこぶる安定感があり平気だった。

左上から時計回りに、
遊歩道入口を下り始めた辺りからの眺め、つり橋を渡ったところの削れたところ、舞台岩?から見下ろした眺め、虚空蔵菩薩の祠
塔のへつり2

大内宿

■大内宿


◆会津西街道 会津若松から今市へ

藩主の参勤交代ルート、物資の輸送に利用
福島県南部、会津若松から山王峠を越えて、栃木県今市に至る会津西街道は約30里(120キロ)。会津藩の初代藩主保科正之の頃に整備され、江戸へ廻米などをはこぶ物資輸送路であるとともに、会津藩主の参勤交代の際にも利用される会津と関東を結ぶ重要な街道だった。』(「全国古街道事典―東日本編―」東京堂出版p96より)

江戸時代そのままの宿場の姿を残す大内宿
会津若松城下から約20キロ、三つ目の宿場である大内宿(下郷町)は会津鉄道湯野上温泉駅の北西約6キロ、標高680メートルの高原盆地にあって会津西街道に唯一残る宿場だ。
宿場の道幅は5メートル、南北に一直線に延びる400メートルの街道に沿って寄せ棟造りの民家40数戸が整然と軒を連ねている。道の両側の側溝を澄んだ水が勢いよく流れ、野菜などの洗い場として使われている。』(「同上」p97より)


○大内宿の全貌
大内宿

大内宿

大内宿

○大内宿雑風景
左上から、時計回りに
・美濃屋
『(明治11年イギリス女性)イザベラ・バードが宿泊した農家。蚕小屋と郵便局・運送所・宿屋を兼ねていた。』(「イザベラ・バードの道を行く」より)
マメコバチの巣筒
りんご・桃・梨などの花の受粉をさせる蜂。
・側溝
山からの冷たい湧き水で、ラムネや果物を冷やしている。ラムネよりこの水の方が冷たくて美味しかった。
・萱葺き材料
ここでは、主にススキが使われるようだ。
雑風景

大内宿には、街道に駐車している車が見あたらない。木曽路の妻籠宿や馬籠宿とはこの点が大きく異なる。この秘密は、街道を平行に挟む生活道
○大内宿の道路図
大内宿の道路地図

○大内宿の生活道路の様子
左上から時計回りに
・大内宿の中心を通る街道
・各民家の間の道路
・街道に沿う西側の生活道路
・街道に平行に走る東側の生活道路
大内宿の生活道路

○大内宿は、このとき蕎麦の花が満開であった。
満開の蕎麦畑




☆余談(1)
脇本陣石原屋(蕎麦屋)の看板犬/石原けい子ちゃん
クチコミで聞いたので、家の前にいた若女将を経由して女将に奥に閉まってあった人形を出してもらった。何で女の子、と聞くと、女将いわく、うちは女の子がいないので犬は女の子にしたの、と。そういえば、可愛い若女将が連れていたのもやんちゃな男の子だった。
石原けい子

☆余談(2)
山形屋の骨酒用岩魚の燻製
骨酒用岩魚

☆余談(3)
山形屋の堅焼き煎餅
堅焼き煎餅

渋川問屋と五郎兵衛飴

■ 会津料理

渋川問屋

会津鉄道で湯野上温泉行きを考えて、JR只見線の七日町駅前で昼食をとることにした。後から考えると、大内宿で蕎麦を食べる手もあったが・・・
何しろ前日に居酒屋籠太で会津料理を食べることが出来ないとわかって出発前に、郷土料理が食べれて、かつ、その後の列車への乗り込みの便を考えて、渋川問屋に予約を入れておいたのだ。

店の中や、庭も素晴らしいと聞いていたが、時間がなくて、写真に撮ることは適わなかった。
渋川問屋

○ 祭り御膳・亀

食前酒・棒たら煮・鰊の山椒漬・こづゆ・鰊の昆布巻ほか

こづゆについては、会津若松・喜多方・猪苗代・南会津・西会津等会津の各地で違うそうだ。
参照はこちら→『会津伝統の郷土料理こづゆ食べ比べ』(「るるぷぅAIZU」より)
この記事の中で、『「再現された江戸時代のこづゆ」(籠太)』というのはどういう味だったんでしょうね。興味津々です。

祭り御膳・亀

塩川牛
塩川牛

鰊の天麩羅・そば粒がゆ・季節の混ぜごはん・デザート
亀3

棒ダラ
が貴重な素材となるのは、海から離れた京都と同じ理由であろう。
(勿論、こづゆの出汁は、干し貝柱が基本ですね。)

若松市内観光で時間オーバーとなったので、結果として、渋川問屋での昼食は慌しいものとなった。七日町駅で、列車に飛び乗ったのはギリギリの状態であった。


■ 会津土産

○ 五郎兵衛飴

『昭和28年頃、当時“新平家物語”を執筆中の吉川英治先生より我が家に伝わる武蔵坊弁慶自筆の賞状について問合せを受けてその問にお答した事があります。この弁慶の賞状というのは源義経公が兄頼朝に京都を追われた“後の平泉落ち”の途次我が家に立ち寄り飴を所望された際、その代金の借証文として残したものと伝えられ、文治4年(1189年)午4月2日と記録されています。・・・』(「會津名産五郎兵衛飴由来」より)

創業800年
はここからくるらしい。

五郎兵衛飴総本舗
総本舗

店内
許可を得て店内を撮ったのに、この方はカメラから逃げ回っているようだった。この方は、ひょっとして、38代目五郎兵衛さん?
店内

五郎兵衛飴
五郎兵衛飴1

五郎兵衛飴2

五郎兵衛飴3

五郎兵衛飴

『会津産の餅米麦芽だけで作る滋養に富んだ飴は、現在も昔と変わらない製法でていねいに作られています。外はもっちりの程良い歯ごたえ、中はとろっのなめらかな歯ざわり。口いっぱいに広がるふくよかな甘さは、さすが!のひと言です。』(「五郎兵衛飴総本舗の五郎兵衛飴」より)
五郎兵衛飴4

とにかく懐かしい味だ。私には、紙芝居屋で買った水飴が思い出された。800年前も、もち米と麦芽はあったであろうから。

御薬園

 御薬園


『若松城の東1.3kmにある会津松平氏庭園(国名勝)は、御楽園として親しまれている。・・・1643年(寛永20年)、会津の領主となった保科正之は、ここを保養所とし、2代正経が各種の薬草を栽培させてから「御薬園」の名がおこった。元禄年間、3代正容は江戸から近江出身の目黒浄定を招き、遠州流によって回遊・舟遊式の本格的な借景庭園として整備した。』(「福島県の歴史散歩』山川出版社 P207より)

『戊辰戦争では西軍負傷者の診療所にあてられたため、戦火を免れた。』(同上より)

『(明治元年、松平容保)会津に入るが鶴ヶ城に入らず城下御薬園で謹慎』(「松平容保年表」より)

御茶屋御殿
ここで抹茶と水羊羹を戴いた。
御薬園1

庭園の心字の池にある数寄屋造の楽寿亭
御薬園2

御茶屋御殿の右に見えるのは、重陽閣
重陽閣の前には、薬園がある。
御薬園3

重陽閣は、この日板前研修のため、薬膳料理の予約が断られた。
受付の女性は、それをよく覚えていて、気持ちだけですがと、プチプレゼントをくれた。
御薬園で採れたベニバナの種と、起き上がりコボシ。
プチプレゼント

鎌倉時代のものとされる石造三重塔(県文化財)
石造三重塔

庭の苔
冬は雪が積もるだろうに、どのように苔の管理をしているのだろうか。
庭の苔

院内御廟

○ 院内御廟(会津藩主松平家墓所)


『通称、院内御廟として親しまれている会津藩主松平家墓所は、院内山に会津藩初代の殿さま保科正之が長男の正頼が亡くなった明暦3年(1657年)に造られました。その後、二代藩主正経から九代松平容保までの殿さまのお墓が建てられていますが、正之のお墓は磐梯山のふもと猪苗代町の土津神社にあります。』(「院内御廟&東山温泉・・」カタログより)

三代正容の亀石
『碑石を支える台石で、亀趺(きふ)座といいます。古代中国の故事から引用された、死者の霊を護る想像上の動物です。』(同上より)
頭の方向は、すべて保科正之(ほしな まさゆき)の墓に向いている、と。
院内御廟


松平容保の墓



会津松平家9代松平容保(まつだいら かたもり)は、『会津藩最後の藩主。京都守護職を担い、新撰組を配下におく。孝明天皇の厚い信頼を受け、御宸翰賜る。享年59才(在位17年)』(同上より)

九代容保の碑石(ひせき・いしぶみいし)
『墓誌石ともいわれ、故人の姓名・生い立ち・人柄・終生の経歴・業績など、功徳を讃える文章が詳細に刻まれています。』(同上より)
容保の碑石

容保の表石(ひょうせき・おもていし)
『鎮石の表口にあたるところに目印として建てられた石で、故人の生前の名前と官位・身分が行書体で刻まれています。』(同上より)
容保の表石

容保の鎮石(ちんせき・しずめいし)
神を鎮め祀る石のことで、ご遺体はここに埋葬されています。霊神名が篆書で刻まれています。』(同上より)
容保の鎮石

時代を物語る碑石の大きさ
三代正容(まさかた)と四代容貞(かたさだ)の碑石は高さ5mもある巨大な石柱ですが、五代容頌以降は見るからに細くなって、何とも哀れになってしまいます。これも藩の財政が影響しているのでしょうか。』(同上より)

九代は、もっとも小さく、当然真新しい。

ところで、三代から九代までは神式だが、二代正経(まさつね)のは仏式であるので、参考までに写真を添えます。
仏式

院内御廟は、今も聖域であり、羽黒山のような趣が漂っていた。
御廟

籠太さん

■ 居酒屋「籠太」の親父さんとの出会い


出発前、ネットで籠太を予約した。日曜日は不定休。ところが、その日は生憎休みの日曜日。

『私の自宅の近くの居酒屋で今から十年程前にラベルのない試験酒を飲んだのが彼との出会いの始まりでした。非常に荒っぽくてゴツゴツした酒という印象でした。ただあまり感じない可能性のようなものを感じました
もしよろしければ。当日市内に居りますので携帯の方へ電話をいただければ夕食でも共にとりながらその辺りのお話を出来ると思います。よろしければお電話をください。』と、返事を戴いた。

ところで、行けなかった籠太のHPから、簡単に籠太の紹介を。
○籠太の取扱の
○籠太で食べれる郷土料理(蹴飛ばし、こづゆ、鰊の山椒漬など)


かくして、飛露喜について語るべく、見知らぬ私のために時間を作ってくれた。実に光栄である。

ちなみに、廣木酒造9代目は、醸造科でなく青学の普通の学科を卒業。社長兼杜氏。
NHKの「新日本探訪」というドキュメンタリー番組をきっかけに、今では、東京でもてはやされる酒となった。このテレビ取材の時も、籠太さんがかんでいるそうだ。

飛露喜とは、『蔵元さんいわく、「濃密な透明感のある、存在感のある酒を造りたい」…』(「飛露喜 蔵元紹介」より)


○親父第一推薦の店:「会津っこ」も日曜日で休み。
そしていくつかの店も休み。たどり着いたのが、鶴我。
店

この日・この店での籠太さんの推薦は、

?奈良萬 夢心酒造(株) すっきりしている
?てふ  国権酒造(株) コクがあるのに、さわやかで、切れがいい
?飛露喜 廣木酒造本店 無濾過 賑やか 

いずれも美味しい。今、会津の酒が注目されるわけがわかる。今日は特に‘てふ’が気に入った。

☆帰ってから、会津の酒を調べてみた。例えば、「フィールドイン楓林舎で地酒を楽しもう」でも、この三つはノミネートされている。

【三つを飲み比べての私の感想】
○飛露喜:発展途上にある酒
○飛露喜:銘柄の多さは、素人杜氏が現状に満足することなく日々チャレンジ続けている証拠? そういえば、山形の十四代と似た歳。十四代を超えるべく目標はとてつもなく高いところにあるのかもしれない。  
○飛露喜:‘歓びの泉 大吟醸極至中汲’に似た賑やかな味

てふ

突出
つるむらさき、枝豆
紫つる草等

蹴飛ばし(馬刺し)
このうち、たてがみは初めて。熊本や長野のものより美味しく感じた。
蹴飛ばし

ユッケ
ユッケ

色々携帯で写真を撮ったが、一生懸命に話を聞こうとして、『保存』処置をしなかったために、多くのショットが消えていた。学習効果のない爺である。全く惜しいことをした。会津の漆塗りの酒器に、会津の旨酒は似合ったのに。

○このあと、籠太さんの行き付けのバーへお供

ソルティドッグ 
私のは、ノンアルコール。 一応スノースタイル

実はこの一週間舌炎に悩まされ、チョコラBBを飲み続けたのによくならず、2日間の酒断ちとお粥暮らしで、何とかこの日に備えた。会津の酒を堪能するための執念で、お陰で美味しくいただけた。良き先生に恵まれたし。そういう状態なので、酒は三杯で終了させた訳である。

バー


『ご主人の鈴木真也さんは,郷土料理の研究家でもあり,こづゆ等の郷土料理がいつでも楽しめる。こづゆは,古く武家料理から広がった代表的な郷土食で,お椀の蓋に盛って出したのが最初。』(「全国居酒屋紀行 会津若松編」より) 


■「籠太」の親父さん、本名鈴木真也さんのもうひとつの顔は、

『○日本経営品質協議会アセッサー
    ちなみに、日本経営品質賞は、会社の健康診断
    マルコム・ボルドリッジ賞の考え方を基本にしている。
    日本では、(財)社会経済生産性本部が創設
    その成果は、市町村商工会や自治体にコンサルタント事業を実施

 ○地域興しマイスター/専門分野:経営・加工・文化
    地域食材の加工、郷土料理の復元・伝承
    その成果は、
    会津若松御薬園にて天保年間の会津藩料理を再現指導(昭和60年)
    会津の明治期の婚礼、江戸期の精進料理を再現(昭和61年)
    会津古典料理研究会を創設  』(「特定農山村総合支援事業」より)

この日も、喜多方?のイタリアンレストランの経営指導に出掛けたとのこと。

 ○作家:電子出版 「いのちの継承―会津の食から」鈴木真也/奥会津書房

いずれにしろ、多才な人だった。お疲れのところ有難うございました。
いい写真も残せず、ましな文章も思い浮かばず、宝の持ち腐れとなったことをお詫びします。
プロフィール

yogaz

Author:yogaz
飯山満通信へようこそ!
満73歳になりました。予定寿命まで後7年です。ただいま終活中です。当面75歳までは、ボランティアガイドと生涯学習・介護予防のお手伝いを続けたいと思います。
なお、2006年6月14日から始めた飯山満通信は、2013年12月14日、ブログを引っ越しました。Dtiblogのブログサービスが終了したためです。

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